目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第11話

  俺は慌てて鈴村楓の腕を力強く振り払い、未来に近づいて両手に持った紙袋を掻っ攫った。


「3時に退院予定だったんじゃ」

「検査枠に一つ急遽キャンセルが出たみたいで、その枠で検査して貰えたので退院が早まったんです」

 微笑みながら俺に語りかける未来は、少し顔色も良くなっている。


「桜田さーん、空気読めない頭の病気か何かで入院してたの? お疲れ様」

 存在を忘れかけていた鈴村楓が悪い顔をして俺たちの間に割り込んできた。

未来が現れた途端、明らかに鈴村楓の表情が変わった。

 敵意を隠さず、絶対に相手を陥れてやるという危険な目をしている。

 未来が実家を後ろ盾に生きてきた彼女とは真逆の存在で、その存在だけで人を惹きつけているのが面白くないのだろう。


 鈴村楓は明らかに未来に対して、恐ろしい程の敵対心を持っている。

 彼女はモデル事務所を首にする程度ではなく、社会的に抹殺しておいた方が未来にとって良いかもしれない。

 俺はどんなことをしてでも、未来を傷つける全てのものから彼女を守りたいと思っていた。


「鈴村さん、まだ、私に何か用?」

 冷ややかな未来の声に、俺は彼女と出会った日の事を思い出した。

 俺に「最低」だと言った彼女の声だ。

 心から軽蔑する相手に向ける冷たい声色を聞き、今、彼女を騙して恋人でいる事実を思い出す。


「未来、こんな女には関わるのはやめよう。疲れているだろうから、部屋に早く戻ろう」

 俺の言葉に突然、鈴村楓が笑い出す。


「こんな女って、失礼しちゃう。ねえ、桜田さん。城ヶ崎さんって、散々女の子を弄んでは捨ててる超遊び人なんだよ。知らなかったでしょ」


 俺に断られた仕返しとばかりに、鈴村楓が得意げに言う。

 心臓が一瞬で急速冷凍されたような感覚を覚えた。

(終わった⋯⋯)


「鈴村さんって相変わらずそうやって生きているのね。私をいじめていた時も散々パパ活やってるだの、万引き常習犯だの嘘ばっかり言いふらしてたよね」

 凛とした未来の声がエントランスホールに響く。

 厳しく人を罰するような声。

 一瞬で、自分の生き方を見直させられるような真っ直ぐな瞳。


 最近、彼女の照れたような顔や甘い表情を見ていて忘れていたが、俺が最初に見た彼女はこういった顔をしていた。


「私、嘘ついてないよ。証拠だってあるんだから。モデル仲間の話を音声に録音してきたの」

 鈴村楓が慌ててカバンに手を入れてスマホを取り出す。

 俺は一瞬慌てるも、未来は全く動じていなかった。


「その証拠だって偽造でしょ。人を陥れる為に、仲間内で音声データを作ったりしてるの? 貴方が嘘つきなんて、同級生も町のみんなも全員知ってたわよ。ただ、貴方が地元の名士の娘だから逆らえなかっただけ。貴方の言葉なんて、誰も信じないわよ。それが、自分のやってきた行動の結果!」


 鈴村楓を糾弾するような言葉なのに、まるで自分が責められているような感覚に陥っていた。


「いや、でも、城ヶ崎さんの女遊びの激しさの件は本当なの」

 鈴村楓は自分が相手にされなかった経験が少ないのかもしれない。

側から見ても、明らかに気が動転しているのが分かった。


「だから、鈴村さんの言う事は、誰も信じないって言ったでしょ。それが耐えられないなら、嘘でも信じたフリをしてくれる地元に帰ったら? 貴方の生き方が通用するのは半径2キロ以内のあの町の中だけだから」


 厳しい未来の言葉に、鈴村楓は口をハクハクさせていた。

 未来は本当に様々な面を持った不思議な子だ。

 純粋で男慣れしてなくて、自分に自信がない自己肯定感の低い子かと思えば、曲がったことは許せなく徹底的に糾弾する強い面を見せてくる。


「まだ、ここにいるの? 通行人の迷惑だから、もう出て行ったら? どうせなら、貴方とお似合いの江夏爽太も地元に連れて帰ってよ。イジメっ子同士、仲良く一生あの町で暮らしたら?」


 未来の口から江夏爽太の名前が出てきたが、初恋の相手に向けるような甘い感じてはない。


「待って? 爽太はあんたの事をイジメてなくない?」


「傍観者も加害者と同じように罪に問えれば良いのにね。鈴村さん、イジメって違法行為で損害賠償も請求できるのよ。人を騙すこと、陥れること、嘘をついたことは絶対に貴方に返ってくる。その事を忘れて生きてきても、やられた方は忘れないからね」


 未来の強い言葉に追い詰められた鈴村楓は顔を真っ青にして、逃げるようにマンションを出て行った。未来は弱々しく倒れたかと思えば、俺の出番なんて必要ないような強い女の子だ。


「未来⋯⋯信じてくれてありがとう」

「当然です。連絡もせずに急に帰ってきてごめんなさい。今、私を迎えに来ようとしていた所でしたよね。下手すればすれ違ってましたね」

 先程までの冷たく厳しい彼女は幻であったかのように、未来は優しく俺に微笑みかけた。


 部屋に戻ると、冷蔵庫の中を見て未来が振り向き様に俺に話し掛ける。


「冬馬さん、冷蔵庫の中、飲み物しかなくなってますよ。私、スーパーまでちょっと行ってきますね」

「未来は退院したばかりなんだから、ゆっくりしててよ」

 彼女の料理は美味しいけれど、料理を作らなくても買い物をしなくても良いから俺を好きになって欲しいと思った。

 自分が彼女に相応しくない最低な人間だとは分かっていても、彼女が信じてくれるなら変われる気がした。



「で、でも⋯⋯」

 困った顔をした彼女を強く抱きしめる。

 甘い彼女の匂いに混じった消毒液のような病院の匂いがした。


「さっきは、なんで俺の事を信じてくれたの?」

「鈴村さんが信用できない人間というのもありますが⋯⋯その⋯⋯私たち結婚するんですよね。私、温かい家庭を作るのが夢なんです。だから、夫になる人を信じて1番の味方でいたいと思ってます」


 心から彼女が好きで結婚したいと改めて思った。

 軽く彼女に口付けすると、彼女は照れくさそうに笑った。



「明後日のディナーなんだけど、うちの親に会ってくれる? 退院したばかりで難しかったらリスケするから遠慮なく言って」

「いえ、私は大丈夫です。冬馬さんのご両親に早くお会いしたいです」


 彼女の笑顔を守りたいと思いながらも、彼女が本当の俺を知らない内に逃げられなくしてしまおうとする俺はやはりクズだった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?