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第10話

 急いで救急車を呼び、病院に到着する。

 医者も未来が倒れた原因が分からないらしく、しばらく検査入院となった。


 未来は5時間も意識が戻らなかった。

「脳の状態については、極めてレアで私も初めてのケースでして⋯⋯とにかく、精密検査をしつつ様子を見ましょう。記憶に関しては何か思い出しましたか?」

 医者の言葉に未来はゆっくりと首を振る。


「できるだけ早く失った記憶を取り戻したいのですが、何かその為に私ができる事はありますか?」

 真っ青な顔で祈るように未来が医者に尋ねる。


「この3日間は検査入院をして頂きますが、その間に脳を刺激するトレーニングをしてみましょう」


 彼女が記憶を取り戻したがっているのに、一生記憶が戻らない事を願っている自分がいる。


(本当に俺は自分の事しか考えないクズだな⋯⋯)


 医者と看護師が下がると、未来が申し訳なさそうに俺を見つめてくる。



「検査入院なんですが3日もかかるみたいで、ご心配掛けて申し訳ございません。料理の作り置きとかしておけば良かったですね」


 意識が戻っても未来の目は少し虚ろで本調子ではないのが分かる。

 やっと見つけた愛おしい人が苦しんでいるのは全て俺のせいだ。



「本当にごめんな。未来」

 彼女の頬に手を当てながら謝る。

 俺のせいで刺された彼女を騙し、好きになったからと嘘をついたまま結婚までしようとしている。

 目の前の澄んだ瞳の清廉潔白な女が、記憶を取り戻して俺を許すはずがない。

 それが分かっているから後戻りのできないところまで関係を進めてしまおうとした。

 つい先日まで意識のなかった彼女を労るような気持ちを忘れていた。


「なんで、冬馬さんが謝るんですか? 美し過ぎてストーカー被害に遭ってごめんなさいって事ですか? 人を好きになるのって、時に乱暴な感情を生み出すんですね。それは、冬馬さんのせいではありませんよ」

 俺を元気づけるように明るい声を無理して出している彼女を誰にも渡したくないと思った。

 笹倉絵馬が自分のものにならないなら死んで欲しいという感情と似た感情を俺も彼女に抱いていた。

 乱暴で身勝手な狂気のような感情だ。


「退院は3日後だよな。ずっとついていてあげられなくてごめん」

 ファッションウィークなので分刻みのスケジュールで忙しい。

 ワーカホリックの俺が仕事に行きたくないなんて思う日が来るなんて夢にも思わなかった。


「何、言ってるんですか? お仕事最優先でお願いします。私よりも冬馬さんを必要としている人たちが待ってますよ」


 くすくす笑いながら、彼女がいう言葉に引っ掛かりを覚える。


 頭の中で愛の天秤が傾く音を感じた。

 俺の方が彼女を好き過ぎて、彼女がそうでもない状況が寂しい。


「いやっ、俺がずっと未来と一緒にいたいんだけどな⋯⋯」

 彼女が何気なく言った言葉に想像以上に傷ついていて、言葉が続かない。

 俺は誰より彼女を必要としているのに、彼女はそうではないということだ。


 その後は、たわいもない会話をして面会時間が終わるまで病室で過ごした。


 3日間はできるだけ時間を作って彼女の元に顔を出した。

 俺に心配をかけまいと青い顔をしながらも、明るく振る舞う彼女が健気で胸が締め付けられる。


 彼女が退院する日、仕事を早めに切り上げて一度部屋に戻る。

 スーツから普段着に着替えて、マンションのエントランスロビーまで行ったところで予想外の人物と出会した。


「城ヶ崎さん!」

 弾むような声で媚びるような目つきで俺に近づいてきたのは、鈴村楓だった。彼女のモデル事務所には圧力をかけて既に彼女を首にしてある。一昨年のうちのブランドの春夏物を着ているが、モデルとして使って欲しいとアピールしたいのだろう。

(せめて、今季の着てこいよ⋯⋯ド三流が!)


「何、不法侵入してるの? このマンション基本的に住民以外は立ち入り禁止なんだけど」


「待ってください! 私、実は桜田さんとは中学の同級生で、あの時は⋯

⋯その私と一緒にいた男性、江夏君のことで彼女と喧嘩しちゃってただけなんです。私、2人の恋が再熱するかと思ったら、怖くなって彼女を罵倒するような事をしちゃって⋯⋯」

 鈴村楓は俺の腕に勢いよくしがみつきながら、予想外の事を語り出した。


 あの後、江夏爽太についても調査したが、中学2年の時に未来と同級生だった事しか2人に接点はなかった。中学時代の彼はサッカー部のエースで成績も優秀なクラスの人気者だったらしい。その後、高校は慶明大学付属高校に通いそのまま大学まで上がる。卒業後は大手総合商社三池商事に就職。経理部に配属され、今年からアパレル営業部に移動したとの調査結果だった。


 俺は彼が東京本社から地方の支社に異動するように圧力をかけた。

 彼が未来を見る視線に恋愛感情が混ざっていたのを感じ取ったからだ。


「大丈夫ですか? 私、江夏君とは別れました。やっぱり、初恋って特別なんですよね。江夏君と桜田さんはお似合いカップルだったから」

 気が付くと鈴村楓に腕に胸を擦り付けられていた。


 俺は女のこういう所が一番嫌いだ。

 男は万年発情期でモーションをかければ揺らぐと勘違いしている。

 そういう安っぽい女には吐き気がする。


「気持ち悪いから離れてくれない? そういうの女から男にしても痴漢行為だよ」

 俺が冷ややかに言った言葉に彼女はムッとするも離れようとしない。


「城ヶ崎さんって結構遊んでますよね。モデル事務所の子の半分以上が貴方に抱かれたって言ってましたよ。桜田さんは知っているんですか? あの子、空気読めないくらいの潔癖症だから絶対にそういう人と付き合わないと思うんですけど」


 ニヤリと気持ち悪い顔で言われた言葉に動揺する。

 その一瞬を蛇のような女は見逃さなかった。


「もしかして、図星ですか? 桜田さんに言わないであげる代わりに⋯⋯」

「何が望み? まさか、その程度のルックスでブランドのアンバサダーにして欲しいとか言わないよな」


 彼女は俺の返答に苦笑すると、俺の手を引っ張り耳元で囁いてきた。

「私、彼氏と別れて人肌恋しいんです。一度で良いので抱いてくれませんか? 他の子たちの話を聞いてたら、私も城ヶ崎さんと手合わせしたくなっちゃって⋯⋯」

「冗談やめろよ。流石に無理だわ。気持ち悪い⋯⋯」

 そんな事をしなくても、彼女の口を閉じさせる方法など幾らでもある。


 たまに、出現する万年発情期の女に遭遇しうんざりし、彼女を引き剥がそうとした時だった。


「冬馬さん?」

 愛おしい未来の声がする方を見てみると、両手に紙袋を持った彼女が俺を見て驚いたような顔をして立っていた。


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