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第8話 早く欲しい(冬馬視点)

 婚約指輪を購入してご機嫌な気持ちでマンションに戻ると、愛しの未来が笑い者にされている場面に遭遇した。


 鈴村楓は未来をイジメた首謀者として調査済みだった。


 モデル事務所に所属していているようだから、圧力をかけて仕事をなくしてやろうと思った。


 俺が気になったのは、江夏爽太の方だった。

 彼は調査では上がってこなかったが、明らかに未来に特別な感情を抱いている。

 人の顔と名前は覚えるのが得意なので、本当は三池商事で挨拶をした彼のことは覚えていた。俺の力で目の前から消すことができる人間だ。同じマンションに未来に色目を使うような男がいるのは耐えられない。


 俺は他人の恋愛感情は割と敏感に察する方だ。悲しい事に未来が俺に対して、さして夢中になっておらず恋すらしてくれているか怪しいことも分かっていた。


 帰宅して2人で仲良く手を洗っていたら、仕事の電話が来た。


 リハーサルは滞りなく進んでるらしい。

「あとは、任せるよ。トラブルがあったら、お前の判断でなんとかしてみて。一々連絡しなくても良いから」

「ありがとうございます。城ヶ崎副社長に信じて頂けるなんて嬉しいです」


 秘書の柳田が感動して涙ぐんだような声をあげる。


 俺は割とワーカホリックな上に他人の仕事を信用しないところがあり、必要以上に何でも自分が確認しなきゃ気が済まなかった。忙しさで溜まったストレスを女を使って発散していたという自覚がある。でも、今は部下に仕事を任せて未来を堪能したい。


 電話をしている間に、美味しそうな料理が食卓に並んでいた。

「未来は本当に手際が良いな」

「私、家事くらいしかこの10年やって来てないので⋯⋯」

 悲しそうな顔で未来が呟く。

 昔の嫌な因縁の相手と出会い、嫌な記憶が蘇ったのだろう。

 2人とも俺が彼女の視界から消すから問題ない。


「サラダのドレッシング、手作りだよね。レモンが切り刻んだやつが入っていて爽やかで美味しい」

「苦手な味じゃなかったのなら、良かったです。苦手な食べ物とか好きな食べ物あったら教えてください」

 彼女が初めて俺について聞いてくれた。


「好きな食べ物は未来かな」

「私は食べ物じゃないです」

 甘い雰囲気を作りたくて言った言葉は困ったように返された。


「このハンバーグのソースも美味しい!」

「それは、ケチャップとウスターソースを混ぜて作っただけです。手抜き料理ですみません。あまり、気を遣わないでください」

 彼女は俺が気を遣って褒めていると思っているようだった。

 でも、俺は本当に今まで食べたハンバーグの中で一番美味しいと思って食べていた。彼女が俺の為に作ったという事実が俺にそう感じさせているのかもしれない。


「本当に美味しいよ。未来が作ったご飯を一生食べていたい」

 このセリフは効いたようで、彼女が頬を染めて指輪を触り始めた。

(細い指だと思ってた。サイズが合って良かった)


「冬馬さんは本当に私との結婚を考えてくれてるんですね。なら、私も自分がどういう人間かちゃんと冬馬さんに話させてください。それから、本当に結婚したいか考え直してくれますか? もし、私と一緒になるのはやはり難しいという判断になった場合は、この指輪をお返しします」


 彼女が真剣な顔で語り出したのは、既に俺が調査で知っている内容だった。


 未婚の母親に育てられ、父親が誰かも分からない子だということ。

 母親は不倫の子の未来を出産した事で実家から勘当されている為、親戚がいないこと。

 中学時代にいじめられ10年引きこもっているので、最終学歴が中卒であること。


「流石にそれはないわ⋯⋯」

「そうですよね。さようなら、冬馬さん」

 彼女はスッと婚約指輪を外してテーブルに置いて立ち上がる。

 俺は慌てて彼女を後ろから抱きしめた。


「どうして、それが俺が未来を諦めなければ理由になるの?」

「で、でも⋯⋯」

 彼女の声が涙声になっていて、胸がキュンとなってしまった。

(俺は変態か⋯⋯)


「⋯⋯未来は、父親に会いたい?」

「会いたくないです。不倫するような人は最低です。私は母のことも軽蔑していました」

 彼女はやっぱり潔癖だ。

「俺は未来のお母様は素敵な人だと思うけど⋯⋯こんな天使みたいな子を育てたんだから」

 彼女の耳にキスして囁くと、彼女が耳を抑えて顔を真っ赤にして振り向いた。

 自分の華々しいキャリアを捨て後ろ指を指されてまで、未来を一人産んで育てた桜田美亜が可哀想になって自然と出た言葉だった。



「冬馬さんは本当に素敵な人ですね。私、貴方のことが好きです」

 真っ直ぐに澄んだ目で告げられた言葉に心が満たされていくのを感じた。

「俺も未来が好き、心から愛してる」

 俺は自分が心から彼女を愛しているのだと実感した。


 彼女の唇に軽くキスをすると、彼女が耳まで赤くなった。

(『ファーストキスなのに舌を入れてきたんですよ。犯罪ですよね』)

 初対面の時に彼女が言っていた言葉を思い出す。

 もう、ファーストキスじゃないからディープキスをしても犯罪ではないはずだ。

 俺は彼女を強く抱きしめながら深いキスをする。

 唇を離すと彼女がとろけるような顔で俺を見つめていた。

(もう、このまま抱いて既成事実作っても平気な気がしてきた)


 俺は彼女を横抱きにし、そのまま寝室の方へと向かった。


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