玄関に向かう扉を開けると、振り向いた冬馬さんが驚いたような顔をした。
「城ヶ崎がいつもお世話になっております。私用のものの買い物を頼むなど非常識なお願いをしてしまい申し訳ございません」
「えっと⋯⋯誰? 今日は3Pってことですか? 亀甲縛りできるようにロープも買ってきましたよ」
私を見た秘書の方はモデルのように高身長で目鼻立ちのはっきりした美人な方だった。私に下着が入っただろう紙袋と、ロープを渡してくる。
私は紙袋とロープを受け取った。
「お気遣いありがとうございます。キッコーロープも確かに受け取りました」
「未来、あっ、あのさ⋯⋯ちょっと、仕事の話もあるから中に入っててくれる?」
冬馬さんが心底困ったような顔をした。
「すみません。失礼します」
社会人経験がない自分が恥ずかしい。
余計な邪魔をしてしまったようで、私は慌ててキッチンに戻った。
私に話を聞かれないように、玄関扉の外に出たのか声が聞こえなくなった。
秘書の方と社外秘の機密事項を話しているのだろう。
程なくして料理が完成し並べるために食器を探す。
使用感が全くないが、明らかに高価な陶器の皿が食器棚にあるのを発見した。
作った料理をテーブルに並べて、しばらくすると、冬馬さんが戻ってきた。
「うわっ! 凄い。あれしかない食材でこんなに品数作れるの? 料亭みたいじゃん」
「お皿が素敵だから、そう見えるだけです⋯⋯」
冬馬さんが席に座り、お味噌汁を飲む。
「美味しい! びっくりした。未来は料理が上手だな」
私が仕事の邪魔をした事に触れずに、ただ料理を褒めてくれる彼の優しさに鼻の奥がツンとなる。引きこもり10年もの間、私は家事くらいしかしていない。社会人の常識さえ持っていない自分が恥ずかしい。
「冬馬さん、お仕事の邪魔をして申し訳ございませんでした」
「いや、全然気にしないで、下着は大丈夫そうだった?」
「大丈夫です。何から何までありがとうございます」
下着の確認はしていないが、確か50セットも用意してくれたと聞いた。
私は通常2セットの下着を回していたのに、多大すぎる彼の気遣いになんとも言えない気持ちになる。
たわいもない話をしながら楽しい食事の時間を過ごす。
このような時間を前にも過ごしてきたはずなのに、何も思い出せない。
食事が終わり、食器を片付けようとすると冬馬さんに手首を掴まれた。
「俺が、片付けるよ。本当に美味しかったから、お礼にそれくらいはさせて」
「えっ、でも」
「未来は先にお風呂に入ってて、久しぶりだし早く未来を抱きたいんだ」
冬馬さんの言葉に私は頭がパニック状態に陥った。
「お風呂に行って参ります!」
私はそういう事をした記憶がないが、一緒に暮らしていると言う事は彼とはそういう事を日常的にしていた関係なのだろう。
「とにかく、しっかり洗わなきゃ⋯⋯でも⋯⋯」
部屋くらい広いお風呂場で自分の体を洗いながら、このまま彼に抱かれて良いのか悩んだ。
私は彼のことを凄く素敵だと思うし、同棲していてそういう関係にあった事は理解できる。
しかし、彼への恋心を忘れている。
ホテルライクのふかふかのバスタオルで体をふく。
寝巻きも置いてあったが、スケスケのネグリジェばかりで着る勇気がない。
お風呂場から出て紙袋に入っている下着を見て固まった。
レースが繊細すぎて、着ているのか裸なのか分からない布面積のないものばかりだ。
セレブの中ではこういった私から見ればセクシー過ぎる下着が普通なのかもしれない。
私は、その中で一番布面積の大きな赤い下着を選んで来た。
そして、自分の体が一番隠れそうな浴室に掛けてあったバスローブを羽織る。
私が脱衣所から出ると、バスローブ姿の冬馬さんが待ち構えていた。
少し濡れた髪と私を見る色っぽい視線。
彼の姿がセクシー過ぎて直視できない。
「あの⋯⋯お風呂先に頂きました」
「俺もあっちでもう、シャワー浴びてきたから」
この家にはお風呂場以外にシャワーブースが2つあった。
本来なら、私がそちらを使って彼がお風呂にゆっくり浸かるべきだろう。
「すみません。お風呂をお借りして」
「何言ってるの? 背中の傷に化膿止めを塗ってあげるからおいで」
突然彼に横抱きにされて私は驚いて彼にしがみ付いた。
「お姫様抱っこして貰うの初めてです」
思わず漏れた呟きに罪悪感を感じた。
きっと、彼と私はこういう時間を何度も過ごして来た。
私の何気ない発言は、私が記憶を失って苦しんでいるだろう彼に対して失礼過ぎる。
ベッドに連れて行かれ、バスローブを肌けさせられる。
死ぬ程恥ずかしいが、必死に耐えた。
冬馬さんが沢山背中に口付けをしてくるが、彼のようなセレブでも「唾をつけておけば治る」的な民間療法をするらしい。
「私の傷、まだそんなに残ってます?」
「ごめん、今、化膿止め塗るね」
彼が傷跡があるだろう場所に化膿止めを塗る。
そのクリームが思いの外、熱くてビクついてしまった。
私の震えに気がついたのか、彼が後ろから抱きついてくる。
「未来は本当に可愛いな」
痛々しい傷跡が残っているだろう私を気遣うような冬馬さんの言葉に胸が熱くなった。
「冬馬さん、何も思い出せなくて本当にごめんなさい。良ければ私たちの出会いを教えてくれますか」
「⋯⋯」
一瞬、彼の戸惑いが伝わってきた。
私は肌けたバスローブを丁寧に着直して、彼に向き直る。
カッコよくて、優しくて、彼が私の彼氏なんて現実とは思えない。
セレブな彼と、人生詰んだような私がどうしたら出会えるのかが気になった。