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第3話

 目を開けると真っ白な天井が見えた。


 スーツ姿のすらっとした美しい青年が私を心配そうにみている。

「あっ、あのどちら様ですか?」

 私の言葉に目の前の青年が慌てて、ナースコールを押した。優しそうな初老の白髪まじりの先生と仕事ができそうな看護師さんが駆けつけてくる。


 先生と看護師さんの会話から察するに私は背中を刺されて2ヶ月もの間、意識が戻らなかったらしい。


「名前は言えるかな?」

「桜田未来です。すみません、私はどうして病院に? 母が亡くなって、私がお葬式の準備をしなくちゃいけないんです。身内は私しかいないから⋯⋯」

 私の言葉に医師と見知らぬ青年は困った顔をした。


「未来、大丈夫だから。お母さんの葬儀は滞りなく終わったよ」


 私を宥めるように髪を撫でてくる青年の手の温かさに安心する。なんだか色々と私の世話をやいていてくれていたみたいなのに私は彼のことが思い出せない。

「すみません、貴方の事を忘れてしまったみたいなんです」

「俺は城ヶ崎冬馬、未来の恋人だよ」

「えっ? なんで、私にこんな素敵な恋人が?」


 宝くじに当たるより可能性の低い状況に私は目を白黒させた。

 すると、冬馬さんは私の唇に軽くキスしてくる。お医者様もいる前なのに恥ずかしくて私は顔を両手で隠した。


「これで、思い出さない? 俺のこと⋯⋯」

「凄くドキドキするから冬馬さんに恋をしてた気はするんですが、思い出せなくて⋯⋯悲しい思いをさせてごめんなさい」


 私は恋人に忘れられた彼が可哀想で、自分が申し訳なさ過ぎて涙がポロポロと溢れた。

「すみません、少し2人っきりにさせてくれますか? 早めに退院して、検査は通院という形でお願いできると助かります」

「分かりました。では、今日明日で一通り精密検査をしたら、退院という形をとれるようにします」

 お医者様と看護師さんが病室を出ていくと、病室には私と冬馬さんの2人きりになった。

 冬馬さんが椅子から降りて、私が腰を掛けているベッドに移動してくると、私を安心させるようにそっと抱きしめてくれた。

 私は自分を気遣ってくれる人がいた事が嬉しくて、彼の胸に身を預ける。


「未来、早く俺たちの家に帰ろう」

 私を冬馬さんの腕の中は温かくて心地よかった。私を労ってくれる声も優しい。

「早く冬馬さんの事を思い出したいです! 本当にごめんなさい」

 私が泣きながら告げると、彼が頬を伝う涙を吸ってきた。


「未来、たとえ今後一生俺のことを思い出せなくても、俺は構わないよ。思い出なんてまた2人で作っていけば良いよ」

 自分の方が辛いのに、私を気遣ってくれる彼の優しさにますます涙が溢れ出してくる。


「未来は本当に泣き虫だな。泣き顔も可愛いけど、笑った顔を見せて欲しいかな。俺は君の笑った顔が大好きだから」

 私は彼の要望に答えようと必死に涙をとめて、笑顔を作った。

「大好き、冬馬さん!」

 私の言葉に冬馬さんが目を丸くして頬を染める。早く彼の事を思い出したいと強く思った。


♢♢♢


 「凄いマンション⋯⋯ホテルみたい⋯⋯エレベーターがいっぱい」

 タワーマンションの中に入ったのは初めてだが、内装は高級ホテルのようだった。最も、高級ホテルにも泊まったことはない。


「未来、こっちだよ」

 冬馬さんが私の手を引いていく、エレベーターは階層ごとに分かれているらしい。

 彼について高層階用のエレベーターに入ると、彼が最上階の52階のボタンを押した。

「これ鍵、ここに近づけると自分の住んでいる階だけ降りられるようになっているんだ」

「52階なんですね。そんな高いところ行くのは初めてです」

 人生で一番高い場所に行ったのは小中学校の5階建ての校舎の5階だ。

 上の液晶を見ていると、どんどん階層の表示が上層階になっていってその早さに驚く。


「高所恐怖症?」

「ちょっと怖いけれど、冬馬さんがいるから大丈夫です」

 私は彼が握ってくれている手を強く握り返した。


 最上階の52階に到着すると、部屋が1つしかない。

(ペントハウス?ってやつだよね)


 貧乏で天涯孤独になった私と、明らかに高そうなスーツに身を包みペントハウスで暮らす冬馬さんが付き合っている事にますます疑問が湧く。


「冬馬さん! 鍵、開けてみて良いですか?」

「ふふっ、どうぞ!」

 手渡された鍵はギザギザしてなくて、私の見た事ない形状のものだった。

 1人の時にちゃんと開けられるか不安で、彼にやり方があっているか確認して貰おうと思った。


 2箇所ある穴に、鍵を緊張しながら刺して回すと扉を開ける事に成功した。

「やった、開きましたよ! 冬馬さん!」

「どうぞ入って、可愛いお姫様」

 扉を抑えながら彼が部屋の中にエスコートしてくれる。

 玄関が一部屋分くらいあり、私は驚いてしまった。


「お邪魔します⋯⋯」

 緊張しながら中に入る。

「未来の部屋に案内するね」

 冬馬さんの後をついて行くと、20畳くらいありそうなベッドと鏡台と机のある部屋に案内される。

 リビングはモノクロの家具で統一されていたが、私の部屋は淡いウッド調の家具で統一されていた。


 何気なくクローゼットを開けると、高級ブランドの趣味の良い服がずらっと並んでいる。

(私、いつからこんなハイセンスに? 家でいつもジャージ生活だった私が?)

 スマホのカレンダーでチェックした限り、母の葬儀から3ヶ月も経っていない。

 その3ヶ月で私は冬馬さんのようなセレブと交際を初め、ハイセンスなブランド服を着こなすようになっていたということだ。


「今日から、お風呂に入れるんだよね? 一緒に入る?」

「いえ、一人で入れます! 体自体は回復しているので問題ありません。お気遣いありがとうございます」

 私は2ヶ月もの間意識がなかったらしいが、体自体はその間に回復していた。背中に刺し傷の跡がまだ残っていると言われても、自分では見れないので気にならない。


 私は引き出しを開けながら、ある事に気が付く。

「あれっ?」

「どうした? 何か足りないものがあった?」

「下着をどこにしまったのか、分からなくて」

「し、下着? あっ、忘れてた」

「忘れてた?」

「実は3月末に引っ越して来たばかりで、買い揃える前に未来が入院しちゃって⋯⋯」

 私は引っ越しをした事がないが、引っ越す度に下着は新調するものらしい。

 そして、母が亡くなったのが3月頭なのに3月末には彼と同棲を始めているという事実に改めて驚いた。

 目の前にいる冬馬さんは本当に素敵な人で、私が彼に恋に落ちる理由はあっても彼が私に恋に落ちる理由はなさそうだ。


「私、買ってきます」

 ネガティブ思考を何とかしたくて、出かけようと思ったたら冬馬さんからストップが掛かった。


「いや、秘書に持って来させるから。Dの65で良いよね?」


 私は冬馬さんが自分のブラのサイズまで知っている事に恥ずかしくなり、熱くなる頬を隠すように頷いた。冬馬さんがどこかに電話を掛けている。


(同棲しているんだものね⋯⋯そう言うサイズも知られているものなのかな⋯⋯何だか恥ずかしい⋯⋯)


「冬馬さん、お腹空いてますよね。私、何か作ります」

 私は何だかソワソワしてきて、キッチンの方に急いだ。

(アイランドキッチンってやつだ!)


 冷蔵庫を見ると業者用のように大きく、隣にはワインセラーまである。

「冷蔵庫開けますね」

 一言彼に断って、開けた冷蔵庫は飲み物ばかりで食材が殆ど入ってなかった。


「最近、殆ど外食してたから⋯⋯。今日はケータリングでも頼もう」

「いえ、あるもので作ります。冬馬さんは寛いでてください」

「でも未来は今日退院したばかりなのに⋯⋯」

「入院している間、冬馬さんのお食事のお世話とかできなかったので、させてください」

 私が微笑むと、彼は戸惑ったように微笑み返してきた。


 料理をしていると、インターホンがなる。

 冬馬さんが液晶に映った女性らしき人を見て呟いた。

「あっ、下着来たわ」

 私がエプロンを外して玄関の方に行こうとすると、彼に手で制された。


「俺行ってくるから、待ってて」

「でも、私の下着なのに⋯⋯」 

 恥ずかしく感じながらも、私はお言葉に甘えて料理を続けた。


 開いた玄関扉の音と共に微かに甘ったるい若い女性の声が聞こえてくる。

 冬馬さんの秘書の方の声だろう。


『もう、副社長ってば、私には飽きたって言ってたのに新居に呼んでくれるなんて嬉しいですう。ブラとショーツのセットを50着も持って来させて、今日はどんなプレイをするんですか?』


『うるせえな。もう、仕事以外で話し掛けるなって言っただろう。はい、ご苦労様、もう帰って』

 聞いた事のないような冬馬さんの冷たい声が聞こえてきて驚いてしまう。


 もしかしたら、下着を買って来いなどとパワハラな命令をして部下と揉めているのかもしれない。私は包丁を置いて、玄関の方にご挨拶に伺う事した。






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