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第2話 僕が魔王?


 真夏に差し掛かり、イベットバルトスの森には緑が生い茂る。リスやイタチがエサを求めてビビアンを待つ僕の足元にやってきた。


「こんにちは! ほら、いつもの木の実だよ。お食べ」


 彼らは嬉しそうに木の実をとると、茂みの奥へ入って消えていく。


「ナター! お待たせー!」

「ビビアン。いらっしゃい!」


 ルイスがいなくなっても、ビビアンは毎日のように僕に会いに来てくれた。ルイスがいなくなって半年が経つ。あんなに兄のルイスに甘えん坊だったビビアンは、どこか背筋がスッ伸びて大人っぽく見える。


「明日はナタの誕生日でしょう? お祝いしなきゃね!」

「でも大丈夫かい? 村は日照りが続いているって聞いたけど」

「うん。作物が実らなくて、ちょっと大変。だけど毎年のことだから大丈夫よ。いつもなんとかしてきたから」


 ビビアンはそう言うと、ポケットから水切り用の石を取り出した。ルイスがいなくなってから、ビビアンは寂しさを紛らわすように水切りをしようと僕を誘う。本当は慰めてあげたいが、ビビアンはそう言うのを嫌うのだ。僕は何も言わずに彼女の言う通りに水切り用の石をポケットから取り出す。


「私、だんだんとうまくなってると思うの! 今日も教えてよね! 先生!」

「もちろん。さ、川へ行こう」


 僕たちはいつもの川に向かった。日照りが続いているせいか、川の水の勢いが悪い。僕らが上流まで歩いていると、ビビアンが指を差した。


「あれ、先客がいるわ。あなたのお友達? 耳がピーンと立ってる。エルフみたいね」


 おかしいな。この森のエルフ族は僕とリングスしかいないはずなのに。僕は川を眺めている男に話しかけた。


「あのー、あなたもエルフなの?」


 男はぎっとこちらを睨み付けた。顔の左頬に傷があり、目は鷹のように鋭く、がたいはしっかりしている。戦闘タイプのエルフもいるのかと思っていると、彼は僕を見るなり驚き、そして近づいてきた。


「君がナタくんだね」

「どうして僕の名前を?」

「私はキャデス。リングスの友人なんだ。すまないが、リングスに会わせてくれないかな」


 僕はビビアンを村に帰らせて、キャデスをリングスのところへ案内する。リングスも彼を探していたのだろう。大木の周りをそわそわと歩いていた。


「良かった。道に迷われたのかと」

「ナタが案内してくれたのだ。明日は君の誕生日だろう?」


 どうしてこの人は僕の誕生日を知っているのだろうか。


「そうだけど、おじさんは何者なの?」

「それは後で説明するよ。さぁ、中へいれてもらってもいいかな?」


 リングスはキャデスを中へいれた。


「ナタ。あなたも中へ。話したいことがあるのです」

「僕も?」


 僕はリングスの言う通りに、大木の中に入った。僕に何の用事があるのだろう。僕の名前も知っているし、明日が誕生日だってこともわかっている。もしかして、キャデスが僕のお父さんとか? 僕が色々な方向で考えあぐねていると2人は僕に向かって振り返り突然跪いた。


「え! なになに!?」

「ナタ様。この日をずっと待っていました」


 キャデスがそう言うと、今度はリングスが続けて言う。


「ナタ様は魔王として生まれてこられたのです」

「僕がなんだって?」


 僕は後退り、壁に背中をつける。

 僕が今、なんだって言ったんだ?


「ナタ様はこの世界で生まれた新たな魔王なのです」

「魔王……? 何を言っているのリングス。僕はエルフ族のナタ。そうでしょう?」

「あなたが混乱するといけないので、その時が来るまで真実は話すまいと前魔王と話をしたのです。あなたは黒き稲妻から生まれたこの世界を征服する魔王……」

「嘘だ! 僕はちょっとの魔法しか使えないし、それに世界を征服するつもりもないよ! 僕はエルフだ! エルフ族のナタだ!! それに君たちもエルフ。そうだろう?」


 いつも笑ってくれるリングスが、今日は笑ってくれない。それどころか、細い目を開けて金貨のような黄金の瞳で僕を見ている。キャデスはやれやれと言いながら、肩をすくめた。


「だから生まれた時から教育させておけば良かったんだよ、リングス」

「前魔王の願いですから。どうせ運命には逆らえませんのでね。ナタ」


 リングスは立ち上がり、氷のように冷たい目で僕を見て言う。


「我々は魔族。エルフではありません。自分の運命に足掻きたければどうぞ好きに足掻いてください。いずれ、あなたの方から魔王になると言うときが必ず来ます。そう決まっているのです。そのための明日。あなたの力が目覚めたその時が楽しみだ」


 キャデスも立ち上がると、椅子に座って足を組む。


「そのために俺が来たのですよ。魔族の軍勢をまとめるこのキャデス将軍が。この世で最も恐れられる魔王としてあなたを鍛えるために」

「僕は魔王になんてならないぞ!」

「待っていますよ、ナタ様」

「嫌だ! 僕は魔王じゃない! 魔王じゃないんだ!」


 僕はそう吐き捨てると、自室に籠ってベッドに飛び込んだ。


 僕が魔王だって!?

 そんなわけないじゃないか。リングスは僕を驚かせようとしてあんなこと言ったんだ。そうだ。そうに違いない。


 今日はやけに秒針の音が大きい。

 カチカチと鳴るその音は、ますます僕をイライラさせる。


 あんなことを言われてすんなりと眠れるわけがない。皆冗談にしては悪ふざけがすぎるよ。


 零時まで後5分。


 リングスとキャデスの声が聞こえる。内容は聞き取れないが、僕のことを話しているに違いなかった。もし、もしも僕が魔王だったとしても、絶対に悪いことはしない。この世界を征服することも、人を傷つけることも絶対にしない。前代未聞の心優しい皆から好かれる魔王になるんだ。


 そしたら、ルイスは? ルイスはどうするだろう。僕が魔王になったら、僕を倒しに来るのだろうか。いや、悪いことをするつもりがないのに倒すなんてことはルイスに限ってない。勇者と魔王が友達で、この先もその関係が変わらないとして誰がそれを責めるだろうか。皆が平和で幸せなら、それでいいじゃないか。


 零時まで後1分。


 心臓がドクドクと大きく音を立てる。全身の血が一気に巡っているのを感じた。頭がだんだんと痛くなっていく。

 あれだけ満点の星が輝いていた空が、今はインクをこぼしたようにべっとりとした闇に覆われている。動物たちの痛々しい悲鳴が聞こえ、草木は強風にあおられ、なぎ倒されていくのがわかる。

 おかしい。何かがおかしい。僕の中の何かが。この森の全てが時を超えて、枯れていく。怖い! 怖い怖い! 僕は恐ろしさのあまり叫んでいた。


「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」



 零時。



 叫び声は森を抜けて、村まで聞こえそうな勢いだった。リングスが僕の部屋に入る。彼はいつものように満面な笑顔で僕に言った。



「誕生日おめでとう。ナタ」



 *** 


 あんなに酷かった頭痛が治まっていく。

 おどろおどろしかった闇色の空は嘘のように晴れ渡り、窓から朝日が溢れる。僕は大木の窪みから出て、森の様子を確かめに行く。


 イベットバルトスの森は、恐ろしく変わっていた。まるで山火事が起きたかのように、木々や地面は炭のように丸焦げになり、生き物は焼き死に、3人で遊んでいた川は干上がっていた。


「な……何が起こって」

「あなたの力です」


 リングスが後ろから杖をついて歩いてやってきた。麻で作った服装でなく、黒い燕尾服姿でハットを被り、手には白手袋を身に付けている。これが本来のリングスの姿なのだろう。


「僕の……力」

「あなたは目覚めた。とてつもなく沸き上がる何かを感じませんか?」


 感じる。胸の底から、歯がゆいような、くすぐったいようなそんな沸々と沸き上がる何かを。その何かを解放できたらどれだけ気持ちが晴れるか。どれだけ気分がいいか。

 でも僕は嘘をついた。


「全然感じないよ」

「そうですか。それならそれでかまいませんよ」


 森の向こう側から僕の名前を呼ぶ声がする。


「おや、君のお友達じゃないですか。ナタ。これをどう説明するおつもりで?」

「説明も何もない! これは僕には関係ないことだ。リングス。余計なことを言ったら許さないからね」

「とんでもない。ナタ様が嫌がることは一切致しません。どうぞ、いってらっしゃいませ」


 リングスがわざとらしくお辞儀をする。僕はビビアンの声がする方へ駆けていった。イベットバルトスの森がこんなことになっているから、きっと村も大変なことになっているはず。そのことをビビアンは伝えようとしてくれているんだ。


 僕は黒く荒れ果てたイベットバルトスの森を走り抜けた。

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