「おとうさん、孫の名前まちがえてるんだけど」
父と母がいっしょうけんめい考えてつけてくれた名前だというのに、あろうことか、ぼくの祖父は役所の書類でちがう名前を書いて提出してしまった。
ぼくのほんとうの名前は大輝だったのだが祖父が書いたのは男子だった。
うっかりミスどころではない。まったくべつの名前というか性別だ。
ありえないまちがえをしたくせ祖父はあっけらかんと、
「そうだったか? すまんすまん。でもいいだろ、だんご。昭和の男って感じだ」
「いいわけないでしょ。うちは御手洗なのに。これじゃあ、みたらい団子じゃない」
「おしい。あと一文字でみたし団子だったのに」
悪びれもなくへらへら笑う祖父。
怒る祖母と若い母。
なにも言えずに気まずそうにしている婿の父。
なにも知らないでぎゃあぎゃあ泣いている赤ちゃんのぼく。
そしてその様子を窓からのぞきこんでいる未来からきた大学生のぼく。
大きく輝くはずだったのぼくの人生は、なんにも起こることなく文字どおり、ただの男子で流れている。
みたらし団子だとか、男子手を洗えだとかいったい何度からかわれてきたことか。
大輝だったらきっと、もっといい学校にかよっていて、彼女や友人にめぐまれた輝く人生をおくっていたはずなんだ。
だからぼくは本来の名前になろうとタイムマシンにのって祖父のミスをとめにきた。
入学式で買ってもらったスーツを着たぼくは実家のインターフォンを鳴らす。
はい、と出たのは母だったけど祖父がわりこむように「きみか」と言った。
「市役所のかたがなんのごようですか?」
「え? ええと、上司から訂正の手続きがあるとつたえるよう言われてまいりました」
「変えられるんですか!?」
声をはずませる母にぼくはかんたんに説明した。
「おとうさん、まだ名前もどせるって」
「だめだ」
は? と両親と祖母が首をかしげたのにつられてぼくも声をだしそうになった。
「一度それで提出したんだから変えるなんてだめにきまってる。男子に二言はない」
ぜんぜんうまいこと言ってないのになぜか得意げな祖父。
「いえ家庭裁判所のほうで許可をもらえれば――」
かわいい孫が未来からやってきて説得しているというのに気づかない祖父は聞く耳をもたない。
だめだの一点張り。
この性格はむかしから変わっていない。
はあっとため息をついてぼくは実家からでていった。
しかたない。もう一回やりなおそう。
祖父がひとりで市役所をおとずれるのを待っていたぼくは到着するやいなやすぐに声をかけた。
「きょうはどういったご要件で?」
「あれ、きみは」
「はい?」
「ああいや、孫が生まれたから出生届をだしにきたんだけど」
「おめでとうございます。たまにいらっしゃるのですが、お名前はまちがえないよう注意してくださいね」
「だいじょうぶだって。ええっと、なんだったかな」
しっかりしてほしい。このときは年齢的にまだボケていないはずなのだが。
「ああそうだ。大輝だ、大輝」
「よかった」
「え?」
「いえなんでもありません。では窓口のほうで大輝くんのお名前のご記入をおねがいいたします」
わかった。そうはっきりと祖父はうなずいた。
なのにぼくのマイナンバーカードの名前は男子のままだった。
なんで?
しかたない。もう一回やりなおそう。
もしかしたら祖父はぼくが生まれたころからボケはじめていたのではないか。
だから男児を男子とそのまま名前に書いてしまった。
そう判断したぼくは大輝という名前をすりこませるためにさらに過去へともどった。
ベビーベッドにいる赤ちゃんのぼくと遊んでいる祖父はかなり上機嫌だ。
ふたりのやり取りを見ていると、自分のことなのにまるでホームビデオでも見ている気持ちにつつまれて、つい顔がほころんだ。
さてここからどうやって大輝という名前だとすりこませようか。
あかちゃんのぼくをベビーカーにのせて公園にでもきてくれればいいんだけど。
すると祖父は赤ちゃんのぼくのほおをつついて笑った。
「おーやわらかい。モチみたいだな」
まさかとは思うけど、それで団子が男子になったのでは……。
しょーもないオヤジギャグだ。
赤ちゃんのぼくは祖父の指をとってきゃっきゃっとはしゃぐ。
「おーそうかそうか。おまえも団子がすきか」
予感はあたったかもしれない。ぼくも団子がすきといったんだから、この子の名前は男子だとなったのかも。
だとするともうこの時点でやりなおさないとだめかもしれない。
ぼくが窓からそっとはなれようとすると家のなかから、
「おかあさんは大輝って名前にしたそうなんだが、おじいちゃんはべつの名前がつけたいんだよ」
「――え?」
「まあ、いまさらな話か」
そう言って祖父はこの話をするのをやめてしまった。
なんだろう。いまさらな話?
もしかして男子という名前は怒られるのをしょうちのうえで、あえて書いたのかもしれない。
気になったぼくはさらに過去にさかのぼることにした。
このときぼくはまだ母のお腹のなかだ。
たんじょうびから考えるに、もうじきのはず。
祖父は家からふらりとでると近所の神社におまいりにいった。
「どうかぶじに生まれますように」
とお祈りする祖父にぼくは話しかけた。
「お孫さんが生まれるんですか?」
「え? ええまあ、はい。うちは娘がふたり――いえ、ほんとは息子もいたんですけどね。その……流産でして」
じつはぼくに、おじさんにあたる人がいたとは知らなかった。
いちおうこの場では他人なのでぼくは感情をおもてにはださず、
「それじゃあお孫さんは男の子かもしれないんですね」
「はい。ずっと息子がほしかったんですよ。だから今から楽しみで楽しみで」
「なるほど。ちなみに名前はもう決めてあるんですか?」
すると祖父はすこしばつの悪そうにほおをかいて、
「娘は大輝という名前にしたがっているようなんですけどね」
「けど?」
「私は男護という名前にしたいんですよ。生まれてこれなかった息子のぶんもこめて護るという文字を使いたいのです」
そうだったのか。それでこの名前にやたらとこだわりを持っていたんだ。
でもそうなるとおかしな点がある。
ぼくの名前は男子であって、男護ではない。
祖父はこの漢字に思い入れがあるはずなのに、なんで直前になって変えてしまったのだろう。
「でもやっぱり、おかしの団子みたいで変ですよね」
と祖父は苦笑いするものだから、ぼくはつい頭をふってしまった。
「そんなことありません。良い名前ですよ」
「うちの名字、御手洗ですけど、それでも?」
せっかく今いい流れだったんだからそのまますなおに受けとればいいものを。
ぼくがまったくの赤の他人だったら吹き出したかもしれない。
しかしまさかこんなことになるだなんて。
改名しようとタイムトラベルしてきたのに、名前のほんとうの由来を知ってしまっては否定なんてできるわけがない。
ずっと嫌だった名前をぼくはようやく受け入れられた。
「お孫さんも最初は嫌かもしれませんが、そうですね、たぶん今のぼくと同い年ぐらいになればわかってくれますよ」
「……そうですか。ありがとうございます」
そう言う祖父の顔はすこし照れくさそうにはにかんでいた。
「いえ。それじゃあぼくはこのへんで失礼します。どうかお元気で」
一礼して祖父からはなれるとぼくは現代に帰ることにした。
今の祖父は介護施設にいる。
ぼくは母から持っていくよう頼まれた荷物を受付にあずけて祖父の部屋に入った。
「おじいちゃん」
「ああ、職員さん。いつもありがとうございます」
手を合わせてぺこぺこ頭をさげる祖父。ありがとねえ、わるいねえ、と他人行儀でぼくをねぎらってくる。
いつものことなので今のままを受け入れてぼくたち家族は話すようにしている。
「そういえばさ、おじいちゃんなんでぼくの名前の漢字を変えたの?」
覚えているわけないか、と思っていると祖父はハッとして、
「きみはあのときの青年。元気にしていましたか?」
「え? ああうん」
まさか二十年もまえの記憶がいまよみがえるだなんて、なにかの偶然だろうか。
「いや、お恥ずかしい。孫の名前なんですが団子とまざってうっかり書きまちがえてしまいまして」
「え?」
「わざわざきみが家まできてくれたのに、ひとまえでまちがえを認めるのがはずかしくて」
はにかむ祖父の顔は神社ではにかんだときと同じだった。
まったくしょうがない人である。でも、
「おじいちゃんらしいね」
とぼくも笑う。ビニール袋からおかしをだして、
「お団子買ってきたけど食べる?」
「プリンがいいです」
あやうくプリンになるところだった。