赤茶けた異星の大地に、凶兆を告げる嵐が吹き荒れる。
――1標準時間前。
タオト五大都市のひとつ、西のラドカーン。
その近郊で最初の異変は発生した。
空一面に巨大な魔法陣が出現し、歯車のようなその機構がガチャリと噛み合うと、中央部分から一匹の獣を生み落としたのである。
翼のないドラゴンのような爬虫類系の胴体。一方、頭部にそなえた複眼と触覚、そして真横に開閉する口は、昆虫のそれである。
全身には鋭いトゲがびっしりと並び、先端から青緑色の毒液を絶えず滴らせている。
何より、その桁外れに巨大な体躯。
ラドカーンの高層ビル群が、まるで崩されるのを待つ子供の積み木のように見える。
ギィオォオオオオオーーーーーーーン。
『召喚獣』イゾ。
その咆哮は、惑星全土を震撼させるのに十分なものだった。
「まずは西の都に消えていただこう」
死神ユベレーは、興行師を気取ったような口調で地表に広域テレパシーをばら撒いた。
理由はひとつ。
この殺戮を、より甘美なものに仕立てるためだ。
バリア・システムを失った大都市に、巨大なる『死』そのものが迫りくる。
逃げまどう人々がそこら中で渋滞し、悲鳴と怒号が交錯した。我先にとぶつかり合い、押しのけ合い、ついには群衆同士の争いが生まれる。
恐怖と絶望に彩られた、阿鼻叫喚の地獄絵図。
しかし、それを切り裂くようなエンジン音がどこからともなく響き渡った。
――イゾの足元。人の絶えた道路を、一台のバイクが駆けてくる。
乗っているのは群青の鎧で全身を包んだ人物だった。
半実体の紅いマフラーが長く尾を引いている。
「待っていたぞ」
衛星軌道に静止したキルダートに跨がり、イゾの視界を通して地上の様子を眺めていたユベレーは、満足げに呟いた。
アーウィルは変形しながら大地を離れ、イゾの鼻先をかすめるように急上昇した。
イゾがそれを追って頭上を仰いだとき、舞い降りた『
ギョォオオッ!
不意を突かれた巨獣は全身のトゲから毒液を噴射する。
周囲のビル群が白煙を上げて崩れ落ちた。
腐食系の攻撃には『魔鎧』といえど油断できない。
仮面の内側で顔をしかめながら、
その時、彼の脳裏にテレパシーが響いた。
「私のメッセージは見てくれたかな? 【
「死神……ユベレーか」
「ああ、今度は直接話せて嬉しいよ。さて、取引の続きだ。君がその『魔鎧』を渡すなら、私は今すぐに攻撃を中止しよう」
「信用しろと?」
「死神の誇りにかけて」
ユベレーはわざとらしく騎士然とした調子で言った。
「必要ない。ぼくがこいつを倒す」
「ははははは。わかっていないな」
愉しげな死神の笑い声が木霊した。
「私が操る『召喚獣』が、ただの一体だけだと思ったのかい」
その頃。
遥か東方に横たわる五大都市ゲドリクでは、巨大な魔力震が観測されていた。
空に開いた魔法陣から黒雲のようなものが湧きだし、市街地へ向けてゆっくりと移動を開始したのだ。
それは群れなす『死』の旋風だった。
ライオンの頭部とハネアリのような体をもつ飛行魔獣が、新鮮な餌を求めて一斉にゲドリクへと殺到しつつあった。
「東のゲドリクへ『召喚獣』ミロウジャを向かわせた。やつらが通り過ぎたあとには、草一本、骨一本残るまい」
ユベレーはすでに取引など関係なく、これから繰り広げられる惨劇の観客たる歓びにうち震えていた。
――が、その時。
「そんなこったろうと思いましたわよ」
唐突にテレパシーへ介入してきたその声は、彼女にとってあまりにも聞き慣れたものだった。
「ペルミナ……貴様」
「もっとも離れたふたつの都市を同時に攻撃する。いかにも貴方が考えそうなセコい手段ですわ」
荒涼たるタオトの大地にあって、わずかな草木が繁茂するゲドリク郊外。
迫る死の旋風の前に、金髪の少女が立ちはだかる。
身に付けているのは、アーウィルから引っ張り出した予備の白いスペース・スーツだ。
すぅううううううう。
ペルミナは深く静かな呼吸で集中力を高めた。
森羅万象に満ちる魔素の流れを読み、自らをその一部と化す。
名もなき惑星からタオトへ至る旅の間に、彼女は自分の魔法にひたすら磨きをかけた。
より強く、より
鍛練の果てに得たのは、死神であった頃を上回る魔力だった。
それは、彼女がヒトとなったからこそ成し遂げられたことだろう。
「『
ペルミナが詠唱とともにかざした手の先に、小さな桃色の火球が灯る。
それは徐々に高度を上げながら肥大化し、瞬く間に天体レベルの巨大な火の玉へと成長を遂げた。
しかし、彼女の魔力操作は完璧であり、地表の都市や生命体を焼くことは決してない。
――彼女は決して、今まで繰り返してきた殺戮を悔い改めたわけではなかった。
ただ、そこに価値を見い出さなくなっただけだ。
ヒトとして生まれ変わり、宇宙の生態系に還元された彼女のなかには、「命を守る」という新たな価値観が、おのずと芽生えていた。
「冥府へ帰りなさい、哀れなしもべたち」
慈悲のこもった呟きとともにペルミナが指を鳴らすと、火球は弾け飛び、指向性をもった大熱波がミロウジャの群れを包み込んだ。
数億にものぼる魔獣たちは、一切の痛みも恐怖も感じることなく、灼熱に
そこには灰の一片すら残らず、穏やかな風が大地を撫でるのみだった。
「あ~~~~~~、くっっっそ疲れましたわ!!」
汗だくのペルミナは大の字となって草原に横たわった。
その表情はどこか爽やかだった。
「やってくれたな、ペルミナ。だが、貴様はいつも詰めが甘い」
「ユベレー……貴方、まだ何かするつもりですの?」
「当然だ。手ぶらで帰れるか」
ユベレーの駆るキルダートはすでに大気圏を突破し、首都ギンク・ルーに接近していた。
「タオトの連中も聞いておけ。今からギンク・ルーの一般市民を無差別に殺していく。ひとりでも犠牲者を減らしたくば、『魔導砲』の図面と『魔鎧』とを揃えて差し出せ」
殺戮を許された死神の残虐性については疑うべくもない。
それはペルミナが一番知っている。
犠牲となる民衆は、ただ殺されるだけでなく、自ら死を望むに至るまで徹底的にいたぶられることになるだろう。
見せしめと、快楽のために。
「……最悪ですわ」
騎士というポーズもどこへやら。もはやなりふり構わなくなったユベレーの暴挙にペルミナは舌打ちしたが、すでに体は言うことを聞きそうになかった。
――こんちくしょう。
ペルミナは唇を噛み締めた。
悔しい。ここまで来て、何もできないことが。
目の前に広がるタオトの黄色い空。
その色彩は、彼女が1000年間追い続け、憎み続けた少女の衣装を想起させた。
――今はもう、二度と見ることのない彼女の。
「何をやってますのよ。死んでる場合じゃありませんわよ。いつもみたいに、英雄ぶって駆けつけてみなさいよ」
光る何かが頬を伝った。
その、時だった。
「ライバルのお前にそうまで言われたら、仕方ないな」
ペルミナは耳を疑った。いや、テレパシーとして脳に流れ込んできた、その情報を疑った。
――以前の彼女なら、二度と聞きたくなかったであろう、その人物の声を。
「帰ってきちまったよ。『死神の死神』に、地獄はぬるすぎてね」
ギンク・ルーの中心部に降り立ったユベレーを、ひとりの少女が待ちかまえていた。
「バカな……貴様は……貴様は」
黄色いコート、白いボディスーツ。
背負った漆黒の大鎌。
「
彼女の名はメルト。
死神を狩る、死神。