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第37話 すべては流れて



 破滅の光の洪水にすべてが呑み込まれてから、どれだけの時間と空間が流れ過ぎたことだろう。

 宇路円巳うろ まるみは、闇のただなかにいた。


「マルミ」


 ――メルト?


「マルミ、しっかりしろ」


 ――メルト……!


「目を覚ますんだ」


 ――よかった。生きてたんだな。無事だったんだな。


「死んだりするもんか」


 ――もう絶対に逝くなよ。離さないからな……!


 もにょん。


 ――もにょん?

 あれ? ぼくの知っているメルトとは、何かが――、


「この……どぉすけべがぁですわぁあああああああああああああ!!!」


 ――ですわ?


 次の瞬間、顔面を打ち据えた怒涛の衝撃が、円巳を再び現実世界へと引き上げた。


「こ……こは……?」


 視界いっぱいに広がる青空。

 草花がサラサラと耳元で音を立て、緑の匂いが鼻腔をくすぐる。

 円巳は草原に寝転んでいた。

 身を起こすと、半壊したアーウィルが地面に突き刺さっている。

 ――そして、傍らには、


「ペル……ミナ……!?」


 太陽に突っ込んだはずの、あの死神ペルミナが、憤懣ふんまんやるかたなしといった様子で腕を組みながらこちらを睨んでいた。

 状況からして、どうやら『魔星』の爆発のあと、彼女と円巳はアーウィルとともにこの場所まで漂流してきたらしい。

 円巳の記憶は定かでなかったが、おそらくアーウィルが自発的に彼を救ってくれたのだろう。


「まったく、そんな顔して油断も隙もありませんわね。人間の男ときたら」


 円巳の防具――毛皮のジャケットを素肌の上から羽織っている。

 どうやら、その開放的な胸元へ円巳は無意識に飛び込んでしまったらしい。


「いや……ごめん。けど、君に思いきりビンタされて、よくこの程度で済んだな」


 円巳は2倍ほどに腫れ上がった頬をさすりながら言った。

 死神の超人的な身体能力からして、彼の首が180度回転してもおかしくない事案だっただろう。


「わたくしにもよくわかりませんの。……けど、今の体は、おそらく……」


 死神ペルミナは肉体が破壊された際、その情報をタキオン粒子に変換して転送を行い、死神の本拠地で元通りに再生するというシステムを内蔵していた。

 しかし、超新星爆発とブラックホールの影響により粒子は散逸し、帰還方向を見失ってしまう。

 さまよう粒子はアーウィルとともに漂流する円巳に――彼の首の死痕シグマに引き寄せられ、結果、そこでペルミナの肉体は再生された。

 大幅な情報の欠損により、生体兵器ではなく、ごく普通のヒューマノイドとして。


「じゃあ、今の君は普通の人間!?」

「……少なくとも、戦闘能力については非力な貴方たちと一緒ですわ」


 ペルミナは鼻を鳴らして自嘲した。


「さぞかし気分がいいでしょうね。貴方の学友を殺し、学び舎を破壊し、命を狙ったわたくしが……使い捨てられたあげく、死神から人間に成り下がったのだから」


 鬱憤をぶつけるようなその言葉に、円巳は戸惑いながら言った。


「別に、そんなことは思わないよ。……確かに、君がしたことは許せない。絶対に許すわけにはいかない。けど、ぼくが君の立場なら、同じように生きるしかなかったのかもしれない……と思う」


 円巳は、『魔星』におけるペルミナの痛ましい姿を思い出した。敵ながら、彼女がこうして生きていることを、よかったとすら思った。

 味方をあんな風に嬉々として使い捨てる組織に数千年も属していたら、自分も殺戮に捌け口をもとめる存在にならざるを得なかったかもしれない。


「はっ、貴方ごときが、わたくしに情けを? とんだ思い上がりですわね」

「だから、そういうんじゃないんだって」


 円巳は困ったように頭を掻いた。


「……そういえば、ここはどこなんだ?」

「あのガラクタにインプットされていた星図からすると、銀河辺境の未開惑星のようですわね」


 ペルミナはアーウィルを顎で示しながら言った。


「未開?こんなにいい環境なのに」


 地平線まで続く緑の絨毯。

 心地よい風が二人の間を駆け抜けていく。


「まあ、そう珍しいことではありませんわよ。貴方たち原始人が思っているよりずっと宇宙は広いのですわ」

「ずっと広い……か……」


 肩をすくめ、溜め息混じりにペルミナが言うと、円巳は青空のその先を仰ぎ見た。


「ペルミナ、助けが来るまで協力しよう。アーウィルも動かないようだし」

「心配ありませんわよ。救助ビーコンは発信されているし、何より貴方がここにいる以上、あの黄色いカッパのチビ助がすっ飛んできますわ」

「……メルト……」


 円巳が懸命に記憶の底へと沈めようとしていた情景が脳裏に浮上する。

 血の海。

 両手で抱えた頭部。

 見開かれたまま、光を失った瞳。


 ――おぶぉ。


 円巳は背中を丸めて嘔吐した。


「げっ」


 ペルミナが慌てて飛びのく。


「きったな……急にどうしましたの?」

「ぼくが……ぼくが悪かったんだ」


 涙とはなみずよだれを垂れ流しながら、円巳は頭を抱え、地面にうずくまった。


「ぼくのせいで……ぼくがあのとき、戦おうとしたせいで」

「話が見えませんわ」


 想定外の反応に、ペルミナは困惑を隠せない。


「そうだ。こんなことになったのはぼくのせいだ。ぼくと出会わなければ、メルトは死ななかったんだ……!!」

「……死んだ……? 『死神の死神』が……?」


 ミュゴに従っている間も、ペルミナの意識はかすかに残されていた。

 自分が捨て駒にされたことも、ミュゴとメルトが対峙していたことも記憶にある。

 しかし、数千年戦い続けた仇敵の死を、彼女はすぐには信じられなかった。


「事実ですよ。彼女の所持する『呪われし八つの秘宝オクト・エクサル』をミュゴが持ち帰ったことがその証拠です」

「爆弾にされたうえ宿敵の首をかっさらわれるたぁ、ざまぁねえな」


 唐突に響いた声にペルミナが振り向くと、そこに二人の少女が立っていた。

 どちらもグレーのボディスーツを纏っているが、ロングヘアーの少女は黒い軍服のようなジャケットを上から羽織り、四角いフレームの眼鏡をかけている。

 もう一方、癖っ毛のショートヘアーの少女はスーツの各部が破れて素肌が覗いているが、どうやらダメージジーンズのようなファッションであるらしい。


「セーゲン、エルパテラ……」


 ペルミナは顔馴染みの死神の名を呟いた。


「ペルミナ、残念です。私は貴方の能力に敬意を持っていました」

「あたしは良い気味だね。威張り腐ってた死重将カルデッドのひとりが、みじめなもんだ」


 セーゲンが眼鏡を直しながら、エルパテラが愉快そうに笑いながら、交互に口を開く。


「万年二軍の貴方たちが、こんなド田舎までわざわざ野次を飛ばしに来ましたの?」

「戦力でなくなった貴方がどこでどうしようが我々には関係ありません。しかし、その頭脳に残っている機密情報が他所に渡るのは不都合なのですよ」

「それに、そっちのガキは『魔鎧まがい』を隠し持ってるって話なんだろ? 一石二鳥だ、あたしたちにもツキが回ってきたね。死重将カルデッドの後釜は決まったようなもんさ」


 二人の死神がそれぞれ体内に圧縮していた『ハーベスター』を外側に転送し、装備する。


「起動、『ハーベスター・エウラリア』」

「来な! 『ハーベスター・マルガリタ』!」


 セーゲンの手には槍のように長く鋭い注ぎ口をもった如雨露が握られ、エルパネラの上半身を岩のようにゴツゴツとした鎧が包み込んだ。


「……来ますわよ。協力するつもりがあるなら、貴方も這いつくばってないで、戦う準備をなさい」


 ペルミナが身構える一方、円巳は地に伏せたまま動こうとしなかった。


「ちょっと、聞いてますの?」

「……ダメだ。死神には勝てない。ぼくはもう、戦えない」

「ならてめぇからあの世に逝きなぁ!」


 空中から舞い降りたエルパテラが両腕を振り下ろす。

 穏やかな草原の空気は一瞬に破られ、轟音とともに巨大なクレーターが口を開ける。

 噴き上げる土煙の中から飛び出した影は、円巳を抱えたペルミナだった。


「仮にも一度はわたくしを倒した男が、あんな雑魚に殺されては困りますわ」


 自身のプライドのためとはいえ、彼女が人の命を救うのは初めてのことだった。


「ありがとう。……でも、いいんだ。ぼくにはもう無理だ。最初から無理だったんだ。ハズレスキルごときで、宇宙を救うなんて」


 円巳がうなだれてそう呟いたとき、彼女は、自身でも思いがけない言葉を口にしていた。


「しっかりなさい。貴方を――貴方のスキルをめぐって、わたくしとあのチビは1000年間も争ってきましたのよ。その貴方が簡単に諦めたら、わたくしたちが馬鹿みたいではなくて?」


 ペルミナは、円巳の両肩を掴み、正面から目を見据えて言った。


「だから! 絶対に!! 諦めるな!!!」


 彼女の言葉と意志は、円巳の中で時間を止めていた何かを、そっと押すだけの力を持っていた。


「ペル……ミナ」

「そこで見ていなさい。麗死うるわしのペルミナの戦いを」




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