『魔王城』第ゼロ階層。
『オーナーのバイタル喪失。緊急モードに移行します』
『インペリアルゴーゴン』アデューカの能力により石化したメルトの背後から、唐突に電子音声が鳴り響いた。
「あぁ?」
――バシュン! ……ドゴッ!!
アデューカが眉根を寄せた瞬間、アーウィルの機体後部から何かが射出され、彼女の眼前に落下――いや、着地した。
雄々しく右の拳を大地に突き立て、膝をついた状態でゆっくりと顔を起こしたのは、一人の女性だった。
黒目がちのこぼれ落ちそうな瞳、サラサラとこぼれるミントグリーンのロングヘアー。黒いボディスーツの上からダボッとした白とオレンジの断熱服を着ており、手足の長さから、かなりの長身であることが伺えた。
「なんだか知らないが……あんたも石になりな」
アデューカは髪を掻き分けて顔を露にしたが、それを見つめる女性には一切変化がなかった。
「ドロイドモード、動作正常」
「……こいつ、生き物じゃないのか。面倒くさい」
アデューカが察した通り、彼女はアーウィルの非常用端末として造られた身長2メートル弱のアンドロイドであった。
その用途は精密作業と緊急離脱、そして白兵戦闘である。
「目標を制圧します」
足裏のバーニアで前方へ飛翔すると、アーウィル
タキオンパウダーである。
「マニューバー・ニアライト・アーツ」
彼女は一気に敵の鼻先まで距離を詰め、タキオンの効果で一時的に亜光速まで加速した拳を叩き込んだ。
その一撃は防御の隙を与えず、アデューカの頭部に突き刺さった。
続けてハイキック、拳、翻って裏拳。それは頭部の一点のみを狙った、流れるように美しい連撃だった。
アデューカは大きく後方に跳ね飛ばされ、壁を砕いて地面に落下した。
「……いっててて」
しかし、彼女はけろりとした様子で身を起こした。青銅のような皮膚は、見た目以上に硬いのだ。
「あー、頭にきた」
アデューカの長髪が生き物のように鎌首をもたげたかと思うと、たちまち牙を剥いた大蛇の頭部に変幻する。
「噛み砕いてやるよ」
アーウィルDは襲いくる大蛇を亜光速機動で易々とかわした。――が、次の瞬間、別方向からの攻撃をセンサーが感知した。
石像のひとつが床の上を滑るように移動し、こちらへ向かってくる。激突すればただでは済まない速度だ。
アーウィルDは再び回避行動をとった。
――しかし、避けたその先にはまた別の石像が迫っている。
「あんた、機械だけあって動きが正確だ」
反撃の
そして、その動きを先読みするかのように、次々と石像の群れが彼女を追い込んでいく。
「おかげで、予測がしやすい」
いつしか、アーウィルDは広間の角へと誘導されていた。
タキオン粒子の残量はすでにレッドゾーンへ入っている。亜光速機動は使用できない。
「
口を開けた大蛇が猛然と獲物に襲いかかった。
アーウィルDは丸呑みにされる寸前、両手で顎の上下を掴んだ。
腕部から火花が散り、白煙が上がる。
「出力オーバーロード、危険域」
「ぶっ壊れちまいなよぉ!」
身動きできないアーウィルDを目がけて、アデューカが石像の群れをぶつけようとした――その時だった。
回転しながら飛来した巨大な刃が、大蛇の首を――アデューカの髪を切断した。
大蛇は髪の束に戻り、アーウィルDはすんでのところでジャンプし、石像の突撃をかわした。
乾いた音を立てて石と石がぶつかり合い、破片が飛び散った。
「なんだと……どこのどいつだ、女の命を!」
ブーメランのように戻っていった大鎌を、下から伸びた手がはっしと掴んだ。
「わたしだよ、わたし」
そこには、石化したはずのメルトが、何事もなかったかのように立っていた。
アデューカの能力を防ぐよう、フードを目深に被りながら。
「こ……こんなことはあり得ない!!」
アデューカは思わず叫んだ。
こんなことは未だかつてなかった。彼女に石化された生物が元に戻るなど。
「なっ、なんでだ……っ!?」
「その秘密がこちら」
アデューカは、メルトがそう言いながら掲げた大鎌を凝視した。
その磨き抜かれた巨大な刃に、狼狽するアデューカの顔が映っている。
「……ぐわ!!!」
途端に彼女は両手で顔面を覆い、叫び声を上げた。
「しまった、こんな、単純な手に――」
アデューカはあっという間に物言わぬ石像へと変わっていた。彼女の言う通り、二度と元に戻ることはないだろう。
「嘘はついてないさ。こいつに記録された魔法を使って、石にされる前に自分から石になったんだよ」
死神グルイグからコピーした
「しかし、これでマジックポイントは使い切ってしまったし……どうしたものかね」
* * *
『魔王城』、第三階層。
白い天蓋に、ふかふかのベッド。
――ここは? 天国だろうか?
「あっ、起きたー」
傍らで編み物をしていた女の子が振り向いた。
肩出しの黒いゴスロリワンピース風衣装に身を包み、黒とピンクのツートンカラーの長髪をツインテールにしている。
さらに、ゴツゴツしたアクセサリーを全身に散りばめているあたり……ひとことで言えば、典型的な地雷系女子のファッションにそっくりだった。
「リッキの血を飲ませたから、体、元気になったはずだよ」
――確かに、疲労も痛みも消えて……血?
少し聞き捨てならないワードもあったが、彼女が手当てしてくれたのは本当らしい。
「ありがとう」
円巳が素直に礼を言うと、
「よかったぁ」
少女は八重歯を見せて嬉しそうに笑った。
濃いめのメイクは円巳の好みではなかったが、人懐こい笑顔はとても可愛らしかった。
「リッキのフロアは『魔王城』のセーブポイントなんだよ」
通常、ダンジョンには冒険者が休息をとるための地点が設けられているのだが、『魔王城』においてはこのフロア自体がその役目を果たしているらしい。
ピンク色の壁にきらびやかな調度品。ゆとりのあるベッド。言ってはなんだが、その内装は未成年立ち入り厳禁の宿泊施設を思わせた。
「――そうだ、メルト! 帆波!」
円巳は慌てて布団をはね除け、ベッドから立ち上がった。
「まだ寝てたらいいのにー」
「そうもいかないんだ。仲間を探さないと……!」
「それって、女の子?」
「そうそう! もしかして知ってる? 黄色いレインコートの子と、紺のブレザーの子で――」
「女がいるんだ」
少女の様子がおかしかった。赤い瞳をらんらんと光らせ、円巳を睨みつけている。
「……どうかしたの?」
「どうもこうもないよ! よくもリッキの純情をーーーーっ!!」
叫び声とともに、少女の背中から二対の蝙蝠ような翼が生えた。
手にしていた編みかけの赤いマフラーのようなものを引き裂き、床に叩きつける。
「一万年ずーーっと待ってた出会いだったのに!!」
「き、君は……!?」
「リッキは『
天蓋を引き裂いて、赤い瞳に蝙蝠の翼を生やしたモンスターの群れが舞い降りてくる。
「お前もリッキの
モンスターは様々な種族のヒューマノイドだったが、みな一様に血濡れた牙を光らせていた。
あれに噛まれたらどうなるか、想像に難くない。
――冗談じゃないぞ。
『魔鎧』は先程使ったせいでしばらく頼れない。
円巳は背筋に冷たいものが走るのを感じた。