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第15話 邪神とプロレス



 白亜の城がごとき実験棟が崩れ落ち、内部から黒々とした小山のような物体が露出した。

 それは饅頭を割って中のあんこを確かめる様子を思い起こさせたが、黒いものは小豆のペーストとは似てもにつかぬおぞましさを備えていた。

 絶えず流動するねばついた体表に、目、口、手、足といった無数の人体部品がぷかぷかと浮き沈みを繰り返している。それが生物であることは疑いようもないが、生物と認めることを憚らざるを得ない冒涜性にまみれていた。


「めっちゃくちゃキモいんですけど……何あれ? 宇宙怪獣か何かが逃げ出したのかしら?」

「わからないけど、ヤバいだろこれは……」


 案外けろりとした帆波ほなみに対して、円巳まるみはそのグロテスクさに叫びだしそうだった。


「アレは邪神だ。わたしが持ち込んだ魔導書を介して、この星の人間がび出してしまった」


 メルトは苦々しい顔で言った。

 周囲には職員や警備の人間が数人いたが、ある者は昏倒し、ある者は虚空を見つめたまま意味不明の言語を唱え続けていた。


「魔導書が誘発した『呼び声』の影響だな」


 アーウィルの圧縮空間内に隠れていなければ、円巳や帆波もこうなっていたかもしれない。ここが人里離れた山中の施設なのは不幸中の幸いであった。


「邪神、って、神様なんですか? そんなの、どうすれば……」

「神といっても、あの死神と同じで、人間より力のある存在を便宜上そう呼んでるだけだ。手立てがないわけじゃない――正規の手順で召喚されたものでないなら、なおさらな」


 怪物は体の大半が山型をした不定形の塊だったが、人間の上半身に似た形状をした部分がそこから突き出していた。頭部には触腕のようなものが数本伸び、背中には蝙蝠のような翼が生えている。

 先程の『呼び声』の影響なのか、正気を失った人々は吸い寄せられるように怪物へ近付いていった。そして、伸びてきた触腕が次々と彼らをからめとり、体内に呑み込んでいく。

 これには帆波もさすがに悲鳴を上げた。


「人を食べてる……止めなきゃ!」

「マルミ、『魔鎧まがい』の機動力で周りの人間を逃がしてくれ。それから、やつの体のどこかに魔導書が開いているはずだ。それを探してほしい。やつの動きはこちらで抑える」

「魔導書を?」

「そこからやつはやって来たんだ。だから、そこに帰すしかない」

「でも、体の内側に取り込まれてたら……」

「それは大丈夫だ。やつがこの次元に存在するためには、ページは『外』に向かって開かれていなくてはならない。そういうものなのさ」

「……了解した」


 円巳は人形サイズの『魔鎧』を取り出し、両手をクロスした。


「『燦現ウェニト』!!」


 閃光の中から群青の戦鬼が躍り出る。

 前回の戦いで負った円巳の怪我は、アーウィル備え付けの医療ポッドの働きにより、この一週間のうちに完治していた。損傷していた『魔鎧』も、円巳の手を離れるだけで自己再生スキルが働くらしく、失われた右手部分はすっかり元通りになっていた。

 鎧を装着した円巳はひと跳びで生存者のもとにたどり着き、ひょいと小脇に抱えあげた。


「基地周辺の森の中に逃がしてやるんだ。やつの視界に入らないように」

「了解!」


 円巳はメルトの指示通り、有刺鉄線つきの壁を軽々と跳び越えていった。


「さて、こっちもやるぞ。お嬢さん、使える魔法かスキルはあるか?」

「氷魔法なら、ある程度は……」

「よぉし。やつの体はゲル状だ、氷魔法は相性がいいぞ。まずは触腕を凍らせて、被害を防いでくれ。本体はわたしが止める!」

「わかりました! 『六花リリ・ズァーロ』!」


 帆波が両手で花のような形を作ると、そこから放たれた光弾が怪物の鼻先で爆発した。

 真白い雪の花弁が散ると、カチカチに凍結された怪物の触腕が、冷気の渦の中から現れた。


「やるな、お嬢さん。名前を訊いてもいいか?」

「帆波。玉串たまぐし帆波です」

「ホナミ、よくやってくれた。わたしも負けずにやってみよう!」


 メルトが右手を開くと、一瞬の閃光ののち、体内に隠していた立方体型マシンが手品のように現れた。


「『タイタス・コア巨人の心臓』起動!」


 空中に放たれた『タイタス・コア』は、生成者のイメージに従い、別次元から引き出した質量を巨大魔導兵器へと変換する。

 付与された呪いのデメリットスキル【てもちぶさた】によって武器の生成はできないが、パワーと耐久力には制限がかからない。

 空中に現れたのは、アーウィルによく似た流線形のフォルムをもつ、鮮やかな蛍光グリーンの巨人だった。


「いくぞッ! メルト・ダゴン!」


 ちなみに、兵器としてのネーミングも生成者が決定するため、センスが問われるところだ。

 メルトの意思に従い、巨人は怪物と真っ向から組み合った。両者の力は拮抗――いや、巨人の方がわずかに勝っていた。

 怪物の頭部を抱え込み、大地にねじ伏せようとするも――怪物は途端に体を流動化させ、拘束を逃れた。そして、逆に巨人の体を羽交い締めにすると、ズブズブと体に吸収し始めた。


「食べられちゃう!」


 帆波が再び悲鳴じみた声を上げたが、メルトは余裕の表情だった。


「心配ないよ。――むしろこれを狙ってた」


 怪物に吸収されかけていた巨人のボディが、突如ドロドロと溶け始めた。そして怪物の体と混じり合い、黒と緑のまだら模様を描くと、縄のように全身を締め上げた。


「不定形はそっちの専売特許じゃないってことだ」


 生成者の意思で自在に具象形を変える『タイタス・コア』には、このような戦法もある。といっても、初めて使うメルトにとっては、ぶっつけ本番の賭けに近いものだったが。


「……マルミ、動きは封じた。あとは頼むぜ」


 一方、人々を救出しながら怪物の周囲を跳び回っていた円巳の目が、ようやくそれを捉えた。人体部品の波間に、ページを開いたままの本がたゆたっているのがチラリと見えたのだ。

 それは怪物の頭頂部にあたる部分に位置していた。


「帆波、やつの右側頭部に足場を作ってくれ!」

「わかったわ!」


 氷魔法が再び直撃し、怪物の体表を凍結させた。


 ――これで魔導書まで届く。


 円巳は白く凍りついた地点を目指して跳躍した。

 近付くにつれ、より克明になるグロテスクさに鎧の下の顔をしかめたが――、飛び出した人体部品の上にうまく足をかけ、魔導書に向かって手を伸ばした。


「もう少し……っ!?」


 円巳は目を疑った。

 すぐそこにあったはずの本が、どんどん遠ざかっていく。

 怪物の体は動いていない。が、まるで空間自体がズームアウトしていくように、魔導書が彼方の点に変わりつつある。

 だまし絵の中に入り込んでしまったような感覚だった。


 ――これではどうしようも――いや――


 これが怪物の――邪神のもつ何らかのスキルによる現象だとしたらどうだろう。

 円巳は危険を承知で鎧を解除した。

 【空白ブランク】スキルが発動する際、必ずしも素肌で接触しなければならないわけではい。しかし、無効化しようとするスキルが強力なほど、より密着する必要がある。これも潜伏中の一週間のうちに検証した事実だった。

 相手が神なら、こちらも全力で勝負するしかない。

 円巳は吐き気をこらえながら、素手で敵の体表に触れた。


「マルミっ!?」


 メルトの叫ぶ声が、途中から水槽に投げ込まれたように歪んで聞こえた。

 円巳の脳髄に濁流のような情報の波が押し寄せ、あっという間に意識を吞み込んでいったのだ。


 そして気が付くと彼は、果てしない『宇宙』を漂っていた。




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