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第11話 「聞くんじゃなかったわ……」

 車の中から見る無機質な建物に覆われた国道は、お世辞にも美しい風景とは言えないものだった。殺風景なその色の無い景色に突如として陽の光が差し込む……大きな建物が少なくなり、開けたその先に夕映えの光を反射してキラキラと輝く海が見えた。

 暫くその景色を横目に走っていると、ウインカーの出す音を残しながら車は海を背に交差点を曲がっていく。見慣れた街並みに気付いた睦美がフロントガラス越しに見たのは、路線バスやタクシーが止まっているロータリーと大きな駅舎だった。


「おまたせ、駅に着いたよ」


 槇本はそう言うと車を駅前のロータリーの中で止めた。助手席から降りた睦美の目の前には、高い天井と広いエントランスを持つターミナル駅のような優美な外観をした駅舎があった。この建物は駅名の入った青い正面部分とそれを挟みこむように白い外壁で構成されていて、その見た目のイメージはウォーターフロントにある駅という観点から、青い海と白い砂浜を表しているようにも見える。


「わざわざ送って頂いて、本当に有難うございます」


「いいよいいよ、気にしないで! それじゃ、また連絡するね」


「はい! 何かあったら、こちらからも連絡させて頂きますね」


 睦美が言うのと同時に、槇本は窓から出した手を振りながら車を走らせていた。その車のテールランプを見つめながら睦美は小さく手を振る……その姿は車が見えなくなるまで続いた。


「――はぁ、もうダメ。緊張しすぎて変になりそうだったよ……」


 そう呟きながら家に向けて歩き出した睦美の表情は晴れやかで、伝えたい事を無事に話すことが出来た達成感に満更でもないことがうかがい知れる。多少の疲れこそ見せてはいるものの、前を見据えて歩くその姿は嬉々としていた。

 数時間前にこの道を駅に向けて歩いていた時は不安で押しつぶされそうだったのに、今ではそんな悲観的な感情も一切感じることはない。きっと槇本の存在は今後も睦美の進む道を照らす一条ひとすじの光となってくれることだろう。それでも、光があるところには必ず影が出来ることも忘れてはいけないのだ。


(……影かぁ、確かに何か隠してるような気もするんだよねぇ)


 睦美は今日あったことを思い返しながら歩き続ける……絶対に変わると誓った自分をひたすら鼓舞しながら。そんな精神的にも一回り成長した小さな姿を労るように、吹きわたる爽やかな五月風が優しく背中を押してくれていた。




「――ただいまぁ」


 狭い部屋の中、安堵に満ちた睦美の声が響き渡る。誰も居なくても帰ったことを確認するように口にして伝えてしまうのは人の性なのだろうか。部屋の中まで歩いた勢いそのままで重力に任せ、ソファーへと全身を預けて天井を見つめていた。その状態から無意識に出た溜息には色々な想いがこもっているように感じられる。そこにある感情は懸念、疲労感、喪失感、そして違和感……。


「好き放題言ってくれてるねぇ……。ちなみに疲労感は感情じゃないからね?」


『――うっ! でも、他は間違ってないっすよね?』


「そう……ねぇ……。遠からず近からずってとこかなぁ」


『懸念は今後の睦美さんが変わっていかなくちゃいけないことっす。そして、喪失感は……』


「――! 言わなくていい! 言わなくていいからね⁉」


『そうっすか? 最後の違和感……これは自分も感じたっす、絶対に何か隠してるっすよ?』


「だよねぇ、でも聞けないじゃない……仕方ないよ」


 そう呟いた睦美の表情はどこか悲しげだ。当然だが言えない事の1つや2つあっても責めることなど出来はしない。それでも、自分にだけは包み隠さずにすべてを伝えて欲しかったのだ。親身に自分のことを想ってくれてるからこそ、その僅かに見せる陰が重くのしかかってきて辛いのだ。


(いや、普通に話せばいいじゃない……そいうとこ律儀だなぁ)

「まぁ、考えてもしかたないよね。それよりも気になってたことがあるんだけど……」


『なんすか? 自分のことっすか?』


「そう! 君のことだよ! 今日の食事してるとき、注文してから食べ終わるまでの間、一切語らなかったよね? なんで?」


『あぁ、そのことっすか。そんなの簡単なことっすよ? だって自分、食事しないから味とか匂いとか分からないっすもん! 語りようがないんすよ』


「うわぁ、聞くんじゃなかったわ……まさかこんな弱点があったとはねぇ」


『今までもそうでしたよ? 常に語ってる訳じゃないのでその延長ってことで』


「今まで何度も私に『台無しじゃないっすか!』って言ってきたくせに、そっちのほうが色んな意味で台無しにしてるじゃない……」


 そう言う睦美の表情は先程までと違って柔らかいものになっていた。これが今の自分を支える大切な日常であり、かけがいのない時間なのだと心の底から思うのだ。たとえ惰性で生きてると言われた今の生活を変えようとも、それだけは決して変わることはない……いや、正確には変えたくないのだ。


「こら、話変えて逃げようとしないで! 全く油断も隙もないんだから……。しかし、槇本さんからあんな風に言われるとは思ってもみなかったよ……」


『まぁ、的を得た言葉だったっすからねぇ……それよりも自覚あったんすか? 話の流れであんな風に語っちゃったんすけど……』


「いや、それなら確認ぐらい取ろうよ……。自覚はあるよ、無いわけないでしょ」


『でもどうするんすか? 変わるって断言しちゃってましたけど』


「……………………」


『ひょっとして、何も考えてないんすか? 勢いで言っちゃった的なやつっすか?』


「それを考えるのが君の仕事だよねっ!」


『断固として違うっすから』


「――!? 見捨てるの早くない? もうちょっと親身になってよぉ……」


『そりゃ、協力は惜しまないっすけど……』


「でしょ? だから考えて! ねっ、お願い!」


『却下するっす! 何度も言ってるっすけど、自分で決めて進まないとダメっすよ』


「やっぱりダメですかぁ……何かいい案ないもんかなぁ……」


『一人で無理なら誰かを頼ればいいっすよ。そうっすねぇ……面白そうなのは……逢澤さんとか?』


「すでに面白そうって言ってますけど?」


 確かに逢澤なら睦美に対して親身になって相談に乗ってくれるだろうし、協力もしてくれるだろう。多少のリスクはあったとしても、それを補ってもお釣りが出るぐらいのインパクトはあるのだ。


「語りに逃げて楽しんでるでしょ! 絶対ネタにしたいんでしょ!」


『ソンナコトナイッスヨ』


「……でも、確かに逢澤さんなら私を変えてくれるかも……リスキーだけど」


 溺れる者は藁をもつかむという言葉があるが、今の睦美が掴もうとしている逢澤という名の藁が果たして救いとなるのか、その結末は誰一人として想像も出来ないだろう。

 ただ、1つだけ分かっていることがあるとすれば、溺れるにしてもそれは睦美自身ではなく、縋り付いてきた睦美の声を溺愛してその声に溺れている逢澤の姿だろう……。


「……とりあえず君は、逢澤さんに謝ることから始めようね」


『……………………』


 窓の外は暗がりを見せ夜の訪れを告げている。街には静けさが漂いだしているが、この部屋の中に訪れるはずの夜の静寂は、まだまだ先になりそうだった……。

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