駅から続くこの大通りは、綺麗に整備された道路を挟むように街路樹として欅の木が均等に植えられていてる。青々とした葉に覆われた木の枝先が道路側に流れてアーチ状になり、木漏れ日を落とす新緑のトンネルとして人の目を惹き付けて止まない。その光景はコンクリートジャングルの中に居るにもかかわらず、索漠とした現実を微塵も感じさせないほど壮観なものだった。
そんな幻想的にも見える緑に彩られたトンネルの脇にある歩道を再会した二人は木漏れ日を浴びながら歩いていた……まるで何かに祝福されてるかのように。
(いや、最後のやつ必要ないでしょ……)
「それにしても、ななみんは全然変わらないなぁ……あの頃のままだ」
槇本は振り返り睦美の姿を見ながらそう呟くと、自分の言った言葉に恥ずかしさを覚えたのか、すぐさま前を向いて平静を装っていた。
「そうですか? ちょっと嬉しいですね、そう言って貰えると」
今日の睦美の服装は、季節に合わせたサックスブルーのルーズシルエットデニムが清涼感のある爽やかなイメージを出している。ネイビーのリネンシャツとレザーのトートバックがモダンな要素を見せながらもデニムのスニーカーとラフな着こなしのおかげで気取らずこなれたムードを漂わせていた。見た目だけなら、童顔とポニーテールのおかげで20代に見えなくもない。ギリギリ見えなくもないのだが……睦美は40歳なのだ。
(――! それ前にも言ったよね⁉ 絶対言ったよね⁉)
「エル……槇本さんも変わらないですよ、あの頃のままです」
「そう言って貰えると有難いねー、もういい歳だからね」
槇本は照れ隠しでもするかのように自分の後頭部を掻きながら少し嬉しそうに答えていた。
【
(毎度毎度、一言無駄に多いのよ! 最後の補足要らないから!)
「ななみん、何か食べたいもののリクエストある?」
「いえ、特には……槇本さんにお任せします」
「そっか、それじゃゆっくり出来そうなところでも探しますか」
「はい、お願いします。私もお話ししたいことがありますので……」
暫くの無言が続く中、槇本は周囲に目を配りながら今から入る店舗を物色しているようだった。睦美はそんな槇本の後ろを歩きながら、自分たちを覆い尽くしている街路樹のトンネルを横目で眺めながら歩いていた。
(それにしても凄いなぁ、絵画みたいで本当に綺麗……)
「お、この店いいなぁ……よし! ここにしようか」
足を止めた槇本が指さした先には、レトロな雰囲気を見せるカフェレストランがあった。
その異国情緒溢れるレンガ造りの洋館の外装には緑のツタが茂っていて、周辺の景色に違和感なく溶け込んでいる。そこにアーチ型の窓が優美な印象を演出している。表にはテラス席が設置されていて、街路樹から差し込む木漏れ日を浴びながらお茶を楽しむ人の姿があった。
「うわぁ、素敵なお店ですね!」
「気に入ってもらえたみたいだし、中に入ろっか」
「はい!」
二人は入り口に設置されている黒い立て看板に書かれたメニュー表を横目に、ラナンキュラスとミモザで作られた春らしい色合いのリースが掛けられた木製の扉を開けて中に入っていく。
<カランコロンカラン――>
ドアベルの奏でる音がどこか懐かしい……雰囲気も相まってそう感じさせるのだろう。
店内には大きな柱時計にグラモフォン、アンティーク家具で統一されたレトロな空間が広がっていた。ところどころに設置された観葉植物のおかげか、落ち着いた雰囲気の空間が心地よい。二人は店員に案内され、奥の席に誘導されていった。
「なんでも好きなもの頼んでいいよー、今日は俺の奢りだから」
「そんなの悪いですよ、自分の分はちゃんと払いますから……」
「そこは素直に奢られて欲しいなぁ、誘った俺の顔立ててさ」
「でも…………はい。じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きますね」
「そうそう、素直でよろしい!」
「ふふっ」
お互いに注文したものを食べながらの談笑は、今の睦美にとっては新鮮な時間だった。過去の事件から一応は立ち直り社会復帰こそ出来たものの、他者との交流は未だ普通に出来ないで居たのだから当然である。そんな睦美を気遣ってか、槇本も近況を話すでだけで過去のことには一切触れることがなかった……そのさりげない彼の優しさが嬉しく、同時に彼女の心を揺らしていた。
(だから、なんでそう話に持っていきたがるの! 絶対に楽しんでるでしょ⁉)
食事を終えた二人は、追加で注文した珈琲を飲みながら食事の余韻に浸っていた。
「本当に美味しかったです! 盛り付けも可愛かったし――」
「うんうん、美味しかった! ここにしてよかったよ、喜んでもらえたみたいだし」
「槇本さん、今日は誘ってくれて本当に有難うござました!」
「いえいえ、こちらこそ我儘に付き合ってくれてありがとね」
「――あの、お店に入る前にもお話したんですが、お聞きしたいことがあるんです」
睦美は先程までの和やかな表情から一転して真剣な顔で槇本に問いかけた。まだ聞くことに対する不安が消せないのか、膝の上に下ろした両手はサックスブルーのデニムを強く握りしめていた。槇本もそれを見て、静かに睦美と向き合い耳を傾けてくれている。
「うん、俺に答えられることなら何でも聞いて?」
「……えーっと、私が聞きたいのはあゆみさんのことなんです。前にメッセージを送ったとき、別れたことを返信で知ったので無神経なことを言ってるのは重々承知してます。それでも、他に聞ける人がいないんです……連絡が取れないんです……」
そう語る睦美の表情は苦悶に満ちていた。若干震える声を絞り出し、槇本のことを真っすぐ見つめながら話した。
「どうしてあゆみと連絡を取りたいの? 何か理由があるんだよね?」
真剣な眼差しで答える槇本の姿は、睦美のことを本気で心配してくれてるのが伝わってくる。過去の経緯を知る彼にしてみれば、それが意味することを知っているからだろう。
「――分からないんです。自分でも何で今になってあゆみさんの現状を知りたいと思ったのか……。それでも、やっぱり気になるんです!」
「……気持ちは分かったよ。でも、それが意味することは理解してるよね? 昔の事を思い出して、また辛い思いをするかもしれないんだよ?」
「はい、重々承知してます。……ここ数年、自分を守ることで精一杯でした。だから何か変わったかと言われれば、正直なところ何も変わってないと思います。けど、思い出してしまったんです……楽しかったあの頃のことを……」
睦美は唇を噛みしめながら下を向き、泣きそうになるのを堪えているようだった。感情が先行して、伝えたいことが言葉に出来ているのか不安で仕方ない。それでも、進むと決めたのだから言葉を紡ぐしかなかった。
「うーん……覚悟はしてるんだね、分かったよ。――けど、一つだけ条件がある」
「条件……ですか? なんでしょう?」
「その前に、今のあゆみを知ることでどんな結末が待っていたとしても絶対に受け入れること……これは約束して欲しい」
そう言った槇本の表情は、何故か哀愁に満ちていた……まるで自分に何かを言い聞かせるように言葉を選んでいるようだった。
「そして君が今の保守的な生活を……、惰性で生きてる今を変えて前を向いて進むことが条件だよ」
「……………………」
想像だにしなかった槇本の発言に睦美は言葉を失った。当然自覚はあったのだ、惰性で生きてると言われたら反論の余地もない。今の生活が気楽で楽しいと思っていたのではなく、唯々怖かったのだ……また築き上げたものを失うのが。それでも、変わりたいし取り戻したいと思う気持ちは確かにあるのだ。
「……分かりました。 絶対に受け入れます! 変わってみせます!」
そう答えた睦美の目には、希望にも似た光が宿っていた。今を見渡し怯えるのではなく、未来に期待し、それを望むあの頃と同じ目を取り戻していた。
そして今この瞬間、あの日に止まってしまい睦美を縛り付けていた時計の針は完全に動き出したのだ。