アッシュさんの目がピクリと動き、目覚めの兆候が見えた。
「アッシュさーん。聞こえますかぁ?」
手や足をマッサージしながら声をかける。こうして、血行を良くすることで痺れが早くよくなると思われたから。
瞼が動くと開かれ、きれいな緑の瞳孔が現れた。
こちらをみると、起き上がり頭を下げた。
「先生、ユキノさん、本当に有難う御座います。自分のミスでこのようなことになってしまったにもかかわらず、意識があった時間、ずっと先生とユキノさんが必死で頑張っている音が耳に入ってきていました」
アッシュさんはベッドの上で頭を下げながら涙を流した。
「アッシュさん。僕たちのことは気にする必要はないです。早く奥さんのところへ行ってあげてください。まだ走れはしないと思うので、ゆっくりと歩いて。涙は、誕生したお子さんの為にとっておいてあげてください」
「先生……くっ。有難う御座いました!」
ベッドから降りると歩き出したアッシュさん。向かう先にはヤコブさんがいる。
「アッシュ! 早く行くぞ! 肩かしてやるから、歩くぞ!」
ヤコブさんが肩を貸して歩いていく二人。
その背中を見送りながら、仲間っていいなぁと思いながら眺めていた。
「先生、せっかくですし、アッシュさんの赤ちゃん見に行きましょうよ!」
「えっ? 僕なんかが行って大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ! アッシュさんを救った人なんですから!」
背中を押されながら治癒院を後にする。
前を歩くアッシュさんとヤコブさんが見える。
こちらを振り返ったヤコブさんが声をあげた。
「せんせーも来るのかい?」
「行っていいですかねぇ?」
「はははっ! あったりめぇだろう! なぁ、アッシュ! よっしゃ、せんせー、そっちがわ肩貸してやってくれ!」
「あっ、はい」
なんだか仲間に入れてくれたみたいで嬉しかった。
アッシュさんはなんとか歩いているが、まだフラフラしている状態だった。
「あそこだ! 急ぐぞ!」
三人で早歩きをしながら向かう。
建物の中へ入ると戦場だった。
「そこの毛布とって!」
「はい!」
「ぬるいお湯持ってきて!」
「今作ります!」
「用意しててって言ったでしょ!」
「すみません!」
これは、入って大丈夫なのかな?
入口に立ち尽くしていた三人。
僕と年のころが同じくらいの女性がこちらをチラッとみると。
「もしかして、旦那さん!?」
「そ、そうです。入っていいですか?」
「いいわよ! もう産まれるわ! 中へ!」
アッシュさんの背中を押して送り出す。
人はこうして親になるのだなと感慨深い思いになる。
バタバタと音が聞こえる。
人が行き交っているようだ。
「いいわよぉ! はいっ! いきんで!」
「んあぁぁあ」
「頭出てきたよ! もう少し! 深呼吸して! もう一回行くよ! はー。ふー。はいっ! いきんで!」
「んんんあぁぁぁぁぁああああ!」
なんだか、出産というものに立ち会ったのは初めてだが、音だけだが凄まじいものなのだなぁ。こうして、女性は親になるのだ。だけど、男性は見ていることしかできない。
この凄まじい現場に立ち会わなければ、女性がどれだけの思いで、どれだけ大変な過程を経て赤ちゃんが産まれてきているかということがわからないだろう。
「オンギャァァァ! オンギャァァァ!」
産まれたての子供の声というものは、凄まじい力を感じるものだ。
この世界に産まれたんだぞ!
これから生きていくんだぞ!
という力を感じる。
それを守り、自分の力で生きていけるようになるまで育てるのが親の役目ではないかと、僕は思う。子供の生きる権利は子供のもの。親の勝手で奪うのはこの世界の未来を潰すことと同意。
「先生! 赤ん坊産まれました!」
アッシュさんが抱えている小さな命は、モゾモゾと動きながら。たしかにここに存在している。産まれたての赤ん坊は初めて見る。こんなにかわいいものなのだなぁ。
「本当によかった。アッシュさん、どうか。お子さんを大事に。もしなにか困ったことがあれば力になります。奥さんにもよろしくお伝えください」
「先生のおかげで、こうして先生のいう奇跡の瞬間に立ち会うことができました。妻には頭が下がります」
「お子さんのことも可愛がりつつ、奥さんへの感謝も忘れないでくださいね。実際に立ち会ったからわかったでしょう? 子供を産むことがどれだけ大変な事か」
「はい。感謝しかありません」
「これからの子育てが大変でしょう。ですが、自分達だけで全部しなければいけないわけではありません。周りを頼っていいんです。ヤコブさんだっている。僕もいる。ユキノさんもいる。頼ってください」
「はいっ!」
「これは、ただのおっさんの戯言だと思って聞いて下さい。子供はできる事の方が少ないです。最初は手がかかる。でも、だんだんとできる事が増えていくんです。それが成長です。できなかったことを怒るのではなく、できたことを褒めてあげて欲しい。そうすれば伸び伸び育っていくのではないかと、僕は思うんです」
「ぐすっ……はい。必ずそうします」
「あまり気負わないでください。では、僕たちはこれで」
頭を下げてその建物を後にした。
これまでは、子育ての序章。これから本番になる。
大変なことももちろんあるだろうけど、楽しい日々になることは間違いない。
笑顔の絶えない家族になって欲しいなぁ。