1
私の事務所を訪れたのは、40代半ばのどこか陰気な印象を与える男だった。男は細い声で自己紹介を始めた。
「市役所に勤めております、牟田と申します。」
市役所という職場は男の雰囲気に似つかわしかった。
「依頼の内容なのですが、、、」
男は私に向き直って言った。
「私とM-1グランプリに出て欲しいのです。」
私は一瞬彼の言ったことが理解出来なかった。
「M-1と言うのは、漫才の大会のことか。」
彼は頷いた。
「コンビを組んで漫才をしてほしいという依頼か。」
彼はまた頷いた。
「できたら台本も考えていただきたいのです。」
私は立ち上がると、事務所のドアを開いた。そして、彼に出口を案内した。
彼は一瞬固まったがすぐに続けた。
「お願いします。他に頼れる人もいないんです。」
「友人か家族にでも頼むべき話だ。」
男はまっすぐな目でいった。
「友人は1人もいません。妻も5年前に死にました。残る家族は娘1人です。私は、娘のためにM-1に出たいのです。」
しょぼくれた中年男性の目ではなくなっていた。そこにいたのは強い決意を秘めた眼差しをもつ1人の戦士だった。
2
私はドアをとじ、椅子に戻ると話を促した。
「詳しく聞かせてもらおう。」
彼はほっとしたように話し始めた。
「がんの宣告を受けたのは去年のことでした。発見が遅く、余命は一年であることも伝えられました。」
彼は淡々と言った。
「最初は戸惑い、混乱もしましたが、死ぬこと自体は受け入れることができました。一人娘の大学の学費、住む家くらいは残すことができる予定です。」
娘はかえって喜ぶかも知れません、自嘲的に男はつぶやいた。
「娘との関係は良くないのか。」
「妻が亡くなった時を境に。家庭を顧みずに働く私には愚痴も言わず、妻は1人で家庭を守りました。苦労を重ね、それがたたって死んだのだと娘には責められました。」
男は遠い目をして、天井の辺りを見つめた。しばらくの沈黙の後、牟田は我に返ったように言葉を続けた。
「私が死期を悟った際、頭に浮かんだのが娘の顔と漫才でした。」
私の顔に浮かんだ困惑を見てとったように男は説明した。
「Mー1グランプリが始まったのは私が大学生の頃でした。初めての彼女も出来て、新しい生活に全てが煌めいて見えました。そんな華やかな時でも、ふと落ち込む時があります。」
あの時がまさにそうでした、男は呟くように言った。
「その年の冬、クリスマスに彼女に予定が出来てしまいデートが出来なくなったと拗ねた私は、部屋で1人過ごしていました。その時、たまたまつけたTVに映っていたのが第1回Mー1グランプリでした。」
男の瞳が心なしか明るくなったように感じた。
「すぐに夢中になりました。ネタが面白いことだけでなく、コンテストの緊張感、審査員の真剣な表情。漫才ってこんなに格好良いんだ、と気付かされました。いつの間にかささくれた気分もどこかに行ってしまいました。」
男は照れくさそうに下をむいた。
「それから私は漫才に夢中になりました。劇場に足繁く通い、贔屓の芸人を追いかけたりしました。」
一瞬、彼の目が当時を思い出し明るく光ったように感じた。
「しかし、社会人になると仕事に忙殺され、いつしか漫才への情熱を忘れてしまいました。Mー1さえ見なくなりました。」
牟田は言葉を止めて、こちらをじっと見つめた。
「残された時間で何がしたいかを考えた時、漫才への気持ちが蘇ってきたのです。その情熱は自分でも思いがけない方向に向かいました。自分でも漫才をやりたい。あの日の自分のように不貞腐れた人間に世の中の面白さを伝えたいと。」
彼の目は高校最後の夏のマウンドにのぼるピッチャーのように静かにたぎっていた。その熱は私にも伝播しつつあった。
「漫才をやりたいならやればいい。ただ、相方は私ではない。」
しかし私は自分の気持ちに気づかないふりをした。
牟田はすぐに答えた。
「先程言った通り私には友人はいません。ただ1人の家族は娘です。しかし、娘を相方にする気はありません。」
彼は一層の熱を持った瞳をこちらに向けて言った。
「娘こそ私が最も笑わせたい、笑顔でいてほしい観客なのです。」
私は視線を窓の外に逸らした。彼の話はもう何年も会っていない家族のことを思い出させた。
「これが依頼料です。」
男は鞄から厚みのある封筒を取り出した。
私はそれを手で止めた。
「その金は受け取れない。」
男の顔に絶望が浮かんだ。
少しの沈黙の後、私は続けた。
「その代わりに、優勝賞金の取り分は6:4だ。」
部屋に入ってから、初めて男の顔が緩んだ。
3
探偵「どうもー“探偵と依頼人“です」
牟田「みなさん、不思議なコンビ名と思ったでしょう。私たち本当に探偵と依頼人で組んだコンビなんです」
探偵「もちろん、私が依頼人でこの小男が探偵です。」
牟田「そんなはずないでしょ!こんなに頭髪が寂しい小柄な探偵がいますか!」
自分の頭部を指差す牟田。
牟田「そもそも自分の衣装をわかってますか!?トレンチコート姿の依頼人がいますか!?どう見たってあなたが探偵でしょうが!」
探偵の服装を指差す牟田。
探偵「依頼人の服装は自由だろう。」
牟田「それに加えてパイプを持ってる!パイプを持った依頼人なんていない!」
探偵のポケットの膨らみを指差す牟田。
探偵「いや、これはパイプじゃない。」
牟田「えっ。一体何なんですか。」
探偵「パイプ型の盗聴器だよ。」
牟田「じゃあやっぱり探偵だよ!そんなの持ってるやつは!」
小さく跳ね続けながら私の周りを回る牟田
探偵「おい、舞台で跳ね回るんじゃない」
跳ね続ける牟田
探偵「おい、やめないか、漫才を続けよう」
跳ね続ける牟田
探偵「おい、いい加減にしないと捕まえるぞ」
両手で牟田を捕まえようとし、そのままズボンを一気に引き摺り落とす。
尻が客席に披露される。
慌ててズボンを引き下げる牟田。
牟田「なにするんですか!」
探偵「失礼。あんまり飛び回るからやむを得なかった。」
牟田「やむを得ずに尻を出す漫才がありますか!そもそも、あなた本当に探偵ですか?」
探偵「何を疑うことがあるんだ。」
牟田「あなたトレンチの下に何も着てないんじゃないですか」
探偵「何をおかしなことを」
牟田「じゃあなんで生脛が見えているんですか。」
トレンチコートの下から覗く生足を指差す牟田。
探偵「夏なんだ、ハーフパンツを履いたっておかしくないだろう。」
牟田「夏なのにトレンチコートを着ているのがおかしいんですよ。さては探偵じゃなくて変態だな。正体を暴いてやる」
探偵「よせ、やめろ。」
揉み合いになる二人。
牟田の背中が舞台を向いた瞬間を見計らって、ズボンを下ろす。
再び舞台上に現れる肌色の満月。
牟田「なんで私の尻ばかり開陳するんだ!」
私は、これまでに感じたことのない高揚感を感じていた。スポットライトに照らされて観客の顔は見えない。極度の興奮で彼らの笑い声も聞こえなくなっていた。私はトレンチコートのボタンに手をかけていた。台本にはない動きだった。尻に慣れた観客をもうひと笑いさせるためには、前を出すしかない。私はボタンを握る手に力を込めた。
その時、私の手を誰かが掴んだ。牟田だった。凄まじい目で私を睨んでいた。
一瞬のうちに私は冷静さを取り戻し、台本のセリフに戻った。
探偵「それはそうだろう。依頼人に対して尻をまくるようでは、探偵は務まらないからな。」
牟田「いや、全然上手いこと言ってない〜!いい加減にしろ!」
舞台を去る二人。
4
私たちはMー1の1回戦を突破できなかった。舞台で尻を出すことがそもそもルール違反だったのかもしれない。しかし、落ちた理由などどうでも良かった。依頼があり、私はそれに応えただけだ。
その後牟田からは連絡がなかった。彼が生きのびたのか、病に倒れたのかも知らなかった。
その年の冬、石油ストーブをつけてもまだ冷えこむ夜に事務所で一人TVをつけた。
グラスを二つ用意して、四角い氷をアイスピックで丸く削りだす。グラスに氷を入れ、スコッチを2、3滴垂らす。そこにミロを注ぎ込んだ。二つ並んだグラスの向こうに、Mー1戦士たちの緊張した顔つきが浮かぶ。
唐突に、牟田は生きているに違いないと感じた。あの時の牟田の姿がTVの中の戦士に重なった。私の手を止めた時の牟田の手、そして目。手負の虎のような、猛々しい目。あんな目の男が易々と病気に負けはしない。
グラスを持ち上げ、窓から見える真冬の空に浮かぶ月と重ねた。満月だった。私は3つの満月を思った。窓の外の満月、グラスの中の満月、そしてあの日の舞台上の満月。
もう一度グラスを見る。このカクテルの名前が決まった。 “Moon on the Stage” 私は呟くと、ここにはいない彼のためにグラスを高く掲げた。