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第54話

 探索者協会内の、ダンジョンと地上を繋ぐ出入り口。

 そのやたらと厳しい扉が開くと同時、一人のメイドが姿を現した。


 「ふぅ……やはりシャバの空気は良いですね」


 どこぞの囚人のようなセリフを吐きながら、織羽おりはが『ほぅ』と一息つく。

 多少の疲労感こそあれ、肉体的にはそれほど疲れてはいない。先の吐息は、どちらかといえば精神的な疲労からくるものであった。


 如何にして実力を隠しつつ、あの場を乗り切るか。そんな難題に意識を割いたが故の疲労だ。

 冗談でもなんでもなく、あの時の状況は悪かった。ルーカスの協力と、そして凪の類まれなる状況判断。このふたつのどちらかが欠けていれば、恐らく成し遂げられなかったであろう。もしもルーカスが、あの場を織羽おりはに任せてくれなかったら。短期間といえど、凪の護衛を代わりに引き受けてくれなかったら。もしも凪に策を却下されていれば。様々な疑問や恐怖に竦み、あの場での優先順位を誤るような、そんな普通の娘であったなら。


 きっと今頃、最高に面倒な事になっていただろう。

 今回の件を上手く乗り切ることが出来たのは、偏に織羽おりはが築いてきた信頼関係のおかげに他ならない。数ヶ月前の失敗を糧とし、反面教師にしてきた甲斐があったというものである。織羽おりはもメイドとして成長した、ということだろう。それを思えばこそ、織羽おりはは天を仰がずには居られなかった。


「これも全て、私の日頃の行いが良かったおかげですね。あぁ、神よせんせい……私はまたひとつ、マスターメイドへの階段を上ってしまいまし――――あいたっ」


 織羽おりは怪しい神せんせいに感謝し始めたあたりで、小さな衝撃が足にやってきた。

 見ればそこには不機嫌そうな、それでいて何処か安堵しているような。そんななんとも言えない表情をした、お姫様の姿があった。


「……戻ってくるなり、一体何をしているのかしら?」


「いえ。今日の夕飯は何かなぁ、と」


「そう。それなら良かったわ。私はてっきり、ウチで雇っているメイドが怪しい宗教にでもハマったのかと思ったもの」


「先生は怪しくなんてありません! 世界一のグランドマスターメイドなんです!」


「……やっぱり怪しいじゃない」


 そんな下らない会話が出来るあたり、凪には怪我のひとつもなかったらしい。

 例の襲撃犯が魔物を間引いたとはいえ、完全にゼロにしたわけでもないだろう。どうやらルーカスは、織羽おりはの依頼を瑕疵なく遂行してくれた様子である。といっても、あの程度の階層に出る魔物など、ルーカスや花車騎士ガーベラ・ナイツの敵ではなかったであろうが。


「もう今更、あれこれと聞くつもりはないけれど――――怪我はない?」


「ええ、ありがとうございます。もちろん怪我なんてありませんよ。話し合いで解決しましたので」


 あっけらかんとそう言い放つ織羽おりはに、凪がじっとりとした視線を送る。送りつつも、しかし先の宣言通り、何かを口に出すことはなかった。


(そんなワケないでしょ……だんだん誤魔化し方が雑になってきたわね、この娘)


 無論、内心では文句を垂れていたのだが。

 織羽おりはが戦闘を行ったであろうことは、素人の凪ですら一目で分かる。普段から適当な言動が目立つ織羽おりはであるが、身だしなみや所作に関しては憎らしいほどに完璧なのだ。しかし現在が髪を若干乱しており、特別製であろうメイド服も少し汚れている。これで話し合いをしたというのは、いくらなんでも無理がある。


 そもそもの話、はそういった手合ではなかった。これに関してはルーカスも同意している。否、ルーカスの同意があったからこそと言うべきか。故に地上へと戻るなり、凪は必死な様子で応援を要請したものだ。それほどの状況を話し合いで解決したなどと、流石に嘘が露骨過ぎる。雑だと思われても仕方のない事だろう。


「ところで、他の方々はどちらに?」


 そんな凪の思惑を知ってか知らずか、織羽おりはが呑気に問いかける。

 協会のロビーには現在、人影がほとんど見当たらなかった。実習に参加していた白凪学園生徒の姿も見当たらない。数名の協会職員と、あとは怪しい黒服が数人居る程度であった。凡そあのような事件があったとは思えない、不自然なほど静かな空間となっている。


「八神先生の引率で学園に戻ったわ。もしもの事があるし、花車騎士ガーベラ・ナイツも一緒にね。生徒の治療やカウンセリングもあるし、この場に留めてはおけないわ。リーナやルーカス、それに櫛谷さんや皐月さんはここに残ると言ってくれていたけれど……私が無理矢理に帰したわ」


「おや……聴取などは行われないのでしょうか?」


「生徒達の精神状態も鑑みて、でしょうね。八神先生は軽く聞き取りを受けていたけれど、それだけよ」


「そうですか」


 そう口にする織羽おりはだが、しかし聴取が無いのは知っていた。

 今ここで『治安維持部隊ガーデン』を名乗っている数名の黒服達。彼らは迷宮情報調査室の下部組織、つまりは星輝姫てぃあらが寄越した『身内』なのだから。実際の警察や治安維持部隊ガーデンへの連絡は、ひそかを通して行っていることだろう。協会職員達へも既に話が通っているのか、無闇に騒ぎ立てる者はいない。つまり、この場は既にということだ。では何故織羽おりはが『聴取』の事を気にしたかと言えば――――なんのことはない。『私は何も知りませんよ』というポーズのためである。


 織羽おりはとて馬鹿ではない。

 自身の実力が疑われていることなど既に知っている。というよりも、ルーカスとの模擬戦後に行った会話からして明らかだ。

 しかし今回の実習で、偽の探索者証を自然な形で見せることに成功した。これによりどれだけ調べようとも、嘘の探索者情報にしか辿り着かなくなった。これはある意味、凪に対して打ち込まれた楔ともいえるだろう。目にした実力と順位にどれだけ乖離があろうと、どれだけ怪しかろうと、一度順位を目にしてしまった以上はそれを信じることしか出来ない。何故なら、探索者証の偽造は不可能なのだから。


 げに恐ろしきは、不可能を可能にしたひそかの根回しと組織の力、といったところか。

 とはいえ流石に、偽造探索者証の用意には随分と時間がかかってしまったが。


 要するに、だ。


 どこの組織に所属する誰なのか。

 それさえバレなければ、たとえ実力を隠していることがバレていたとしても、織羽おりはの素性に辿り着くことは出来なくなった、という事だ。そのためのである。


「ふぅむ……では、私達も帰りましょうか。他に何か用がないのであれば、ですが」


 何気なくそう提案する織羽おりはだが、実際のところは早くこの場を立ち去りたかった。あともう数分もすれば、ダンジョンから襲撃犯が運び出されてくるであろうから。

 そんな織羽おりはの提案を、凪は意外にもあっさりと承諾した。


「そうね。私は主人として、貴女を待っていただけだから」


「なん……ですって? やはりデレ期……! 数ヶ月前のお嬢様に見せてあげたい、このハニカミ顔!」


「なっ、違ッ……『主人として』と言ったでしょう!?」


 織羽おりはの軽口を受け、凪がその美しい顔を真っ赤に染め上げる。

 先程まで不安な顔をしていたとは思えない程、すっかり安心しきった表情であった。そうして二人、協会の正面玄関へと、いつもの距離感で歩いてゆく。協会の外へと出てみれば、すっかり陽が傾き始めていた。


「ところで貴女、その箒は結局なんだったの? やっぱり仕込み刀とか、そういうやつなのかしら?」


「え? これですか? いえ、普通の箒ですよ? ほら」


「ふぅん――――って重ッ!? ちょっと織羽おりは!? 早く、早く持ちなさい!」


「ははぁ……箸より重いものは云々、ってヤツですか? なんだかんだといいつつ、お嬢様もやっぱり箱入りですねぇ」


「違うわよ! 明らかに十キロ超えてるわよ!?」


「あはははは」


「笑うな!」


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