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第52話

 「さて、どうするおつもりで――――っ!?」


 ナイフを放った後、男は織羽おりはをじっと見つめていた。

 未だ織羽おりはが全力を出していないのは見て取れる。故にその手の内を暴く為、一挙手一投足を見流さぬよう全神経を『見』に回していた。男は間違いなく、織羽おりはから目を離さなかった。瞬きすらしていない。警戒している相手を視ているのだから当然だ。


 「――――なにが……一体何が起きたッ!?」


 その上で、

 男が気づいた時には既に、少女は壁へと叩きつけられていた。こと戦闘能力に於いてのみ言えば、自身よりも遥かに優れているはずの少女が、だ。


 確かにこの男は、どちらかといえばサポートの役割を担っていた。だが、それは決して戦闘能力が低いというわけではない。ルーと同等か、或いはそれ以上の能力を備えている。ただ少女の戦闘能力が図抜けて高かっため、敢えて補助的な役割を請け負っているに過ぎないのだ。少女が正面火力を担当し、男がバックアップに回る。その性質上、諜報や潜入といった隠密性の高い任務ではなく、暗殺や粛清方面の任務に就くことが多い。そういうコンセプトのコンビだった。


 無論、男にもプライドがある。

 殊更誇るわけでもないが、自身の腕には相当な自信があった。コンビを組めと命ぜられた時など、酷くプライドを傷つけられたように感じていた。内心では、それはもう大量の悪態を吐いたものである。何故自分が、こんな小娘の目付役をしなければならないのだ、と。それでもこうして男がサポート役に甘んじているのは、偏に少女が凄まじい戦闘能力を持っていたからだ。少女の圧倒的な実力を前に、男はただ黙るしかなかった。


 そんな自信家であった男を黙らせるほど、圧倒的な戦闘力を持つ少女。それが今、ワケも分からぬ内に吹き飛ばされている。受け身を取るでもなく、ただ勢いのままに叩きつけられている。それが意味するところはつまり、少女でさえ何も見えなかったということだ。


 動揺する男を他所に、織羽おりはが小さく息を吐き出す。


「ふぅ……いやぁ、今のはちょっと危なかったですね」


 などと口ではそう言っているが――――表情や声音こわねを聞けば、とてもそうは思えなかった。

 手でぱんぱんとスカートを払い、付いてもいない砂埃を落とす仕草も。メイド服の肩口を正す仕草も。何故か頻りに、胸や髪を気にする仕草も。その全てから余裕が感じられた。


「……今のがアナタの技能スキル、ですか?」


 答えが返ってくるなどとは思っていないが、しかし男は聞かずにいられなかった。自身と少女、二人の実力者がまるで認識出来なかった、先の一幕についてを。


「おや、どうしてそうお思いに?」


「単純な身体能力のみで今の状況を覆したのであれば、少なくとも形跡くらいは残るはずです。踏み跡や音、空気の流れ。そういった何かがあって然るべきです。しかし、そういった痕跡は一切感じられなかった」


「なるほど」


 凄まじい速度で動いただとか、力任せに跳ね返しただとか。そういった単純なことであれば、男が見逃す筈はない。であればこそ、何かの技能によるものだと考えるのが普通であろう。しかしやはりと言うべきか、回答は得られない。素知らぬ顔で相槌を打つ織羽おりはのその姿が、男にとってはまた腹立たしく感じられた。ある意味では、相方の少女と会話をしている時とよく似ていた。まるで綿を殴っているかのように、会話に手応えがないのだ。


 ともあれ、これも想定通りではある。元より、答えが返ってくるとは男も思っていない。ただ眼の前で起きた不可解な現象に、疑問が口をついて出ただけのこと。頼みの綱である少女が敗れ、自身も気づかぬうちに焦っていたのかも知れない。そうして男が、この場を乗り切る算段を立てようとした時だった。


「仕方ありませんねぇ。冥土の土産に、少しだけお答えして差し上げましょう」


「……何ですって?」


「今のが技能スキルによるものかどうか、でしたよね――――答えは『イエス』です」


 織羽おりはの言葉は、男にとって予想外の言葉であった。


「……どういうおつもりで?」


「え? 貴方が聞いたんじゃないですか。それに貴方とはもう会うことはないでしょうし、誰かに話すことも出来ないでしょうから」


「……それはどうでしょう。見たところ私の相棒も気を失っているだけですし、勝ち目がないとは言えないのでは?」


「ご冗談を。私が技能スキルを使う前ならばともかく、今はもう無理ですよ」


 言外に『何言ってんのお前』とでも含まれていそうな、そんな織羽おりはの言葉。ごく当たり前のように吐き出されたその言葉に、男は身動きが取れなかった。何故か足が動かなかった。蛇に睨まれた蛙とはこういう気分なのかと、未だかつて感じたことのないプレッシャーをその身に受けているような気がして。


「ご存知ですか? 実は探索者に発現する技能スキルには、とある傾向が見られるそうなんですよ」


「……個々の内面や思想、願いや願望。それぞれが抱いている強い感情が、能力として目覚めやすい……という話でしょうか?」


「そう、それです」


「とはいえ、その説はまだ研究段階だそうですが……それがなにか?」


 会話をしつつ、男はジリジリとすこしずつ下がってゆく。織羽おりはに気づかれぬよう足も動かさず、蛞蝓なめくじよりも遅いスピードで。先にも発言したように、男はまだ諦めてはいなかった。男の技能スキルは暗殺向きであるが故に、一先ずは距離を取り、どうにかして会話の隙を突ければ、と。


「……私には、時間がなかったんです」


 そんな男の考えを知ってか知らずか、織羽おりはは言葉を続ける。


「どうしても救いたい人が居たんです。その人はとても重い病気だったんです。でも当時の私は弱くて、何も出来なくて。必死になって藻掻いても、まるで届かなくて。だから私はずっと、こう思っていたんです。どうか、どうかお願いだから――――」


「……」


 男の足元で、小石がパキリと音を立てる。

 『しまった』と男が顔を歪めた、その時だった。


「――――、と」


 不意に耳元から声が聞こえた。


「なあッ!? ぐッ、がはっ!!」


 刹那、男がガードを固めるよりも早く、凄まじい衝撃が側頭部へと襲いかかった。

 視界の隅に映ったのは、妙に使い込まれた形跡のある箒の柄だった。


「というわけで冥土サービスは終わりです。本日はお疲れ様でした。またお会いする日を――――ん?」


 織羽おりはは口元に指を添え、何かを考えるようにして、最後にこう言った。


「このセリフ、なんだか前にも言った気がしますね……まぁいいでしょう。では、さようなら」



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