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第49話

 陰鬱とした空気を切り裂き、白刃が閃く。

 先の夜、軽く手を合わせたときとはまるで違う。剥き出しの殺意と歓喜は、これが『暗殺』ではなく『闘争』だということを告げている。巻き上がる砂埃が、風切り音が、狂気の笑い声が。それら全てが、この戦いのレベルを物語っていた。しかし刃が、鍔鳴りと共に鞘へと戻る。


「あはははは! 凄い凄いッ!! なんで今のが当たんないの!?」


「性格の捻じ曲がったサイコ女だと思いましたが、案の定捻くれた太刀筋ですね」


 振り下ろし、横薙ぎ、斬り上げ。

 シンプルな攻撃かと思えば、突如として直角に軌道を変える刃。仮面の少女の攻撃は、が異常であった。

 目視すら難しい程の剣速が、まるで見えない壁にでもぶつかったかのようにピタリと止まるのだ。その直後、凄まじい速度の刃が再び別方向から襲いかかる。最高速から瞬時に停止、そして静止状態から一気に最高速へ。およそ人間の体ではなし得ないであろう、殆ど人外の技だった。


 右手で保持していた筈の刀が、いつの間にか左手に移動していることもあった。間合いからして届かないように見えても、刃先が急に伸びてきたりもした。右手一本で柄の先端を握ることにより、攻撃の瞬間にリーチを変えているのだろう。いくら身体能力が高い探索者といっても、通常であればこうはいかない。そこらの探索者では到底不可能な、馬鹿馬鹿しいまでの握力であった。そうした厄介極まりない攻撃が、しかし織羽おりはには当たらない。防ぐどころか、体捌きのみで回避しきって見せたのだ。これにはサイコ少女もにっこりである。


「やっぱ最高! 最ッッ高だよキミ! ボクの攻撃をこんなに捌ける相手なんて初めて!」


「お褒めに預かりまして光栄……でもありませんね……」


「ホラホラ! そっちからも攻撃してきなよ! 見られてると本気出せないんでしょ!? じゃあ今しかないじゃんッ!」


「わぁ、ガチ異常者だ――――っと、危なっ!」


「他所見してたら死んじゃうぞ♡」


 何故織羽おりはは反撃しないのか。それは相手が一人ではないからだ。攻撃の直後とはどうしても隙が出来るもの。もちろん織羽おりはほどにもなれば、その隙はごく僅かなものに過ぎない。だが相手も只者ではないが故に、ほんの僅かな隙すら見せたくなかったのだ。そもそもの話、織羽おりはの主目的は敵をこの場所から逃さないことである。倒せればそれがベストであろうが、そこにリスクがあるのなら避けるべきなのだ。現に今、織羽おりはの意識はもう一人の敵にも割かれている。


 このままではジリ貧になることを、織羽おりはも薄々感じていた。激しさを増してゆく少女の攻撃が、流石の織羽おりはも徐々に躱し切れなくなってきたからだ。余裕を持って躱していた攻撃が、少しずつ織羽おりはの体勢を崩してゆく。距離を取ろうとしても、少女はぴたりと張り付いて離れない。そうしていよいよ、少女の凶刃が織羽おりはの胸を捉えようとしていた。


「ああもう、鬱陶しいッ!」


 そう叫びながら、いよいよ手にした箒を振るう織羽おりは。敵の表情が、失望に似たものへと変わる。

 織羽おりはが手にしている箒は、一見すればごく普通の箒にしか見えない。木製というわけでもないだろうが、市販のアルミ製となんら変わりがないように見える。対する少女の刀は特別製。いくら織羽おりはが隔絶した実力を持っていようと、ここまでの武器差は覆しようがない。それが分かるからこそ、仮面の少女は落胆したのだ。


 しかし。


「そんなので防げるわけな――――は?」


 響いたのは織羽おりはの苦悶ではなかった。

 金属が軋る嫌な音ではなく、美しく澄み渡る刀の悲鳴だった。


 少女は見上げる。くるくると、どこか間抜けな軌跡を描いて宙を舞う刀身を。

 次いで手元を確認する。そこにはちょうど半分程の長さを失った、自慢の刀が握られていた。


「……あははははは! ウッソでしょ!? 何それ!?」


「くっ……出来ればコレは使いたくなかったのですが……」


「それ奥の手とかで言うセリフだから! 箒使った時に言うやつじゃないから!」


 自らの武器が圧し折られたというのに、仮面の少女は酷く楽しそうな声を上げる。対する織羽おりはの箒には、小さな傷のひとつも見当たらなかった。

 言うまでもなく、あり得ないことであった。少女の持つ刀は、魔物の素材を使用して作られたものだ。それもそこらの魔物ではなく、一角獣ユニコーンと呼ばれる希少な魔物の角を使用している。一角獣は発見報告も討伐記録もほとんどなく、まさしく伝説の名を冠するに相応しい高位魔物だ。その角を利用して作られた武器は、探索者の扱うものとしては最高クラスだと言われている。


 そんな最高クラスの武器が、なんだかよくわからない怪げな箒に圧し折られた。

 成程確かに、衝撃を通り越してむしろ笑える話なのかもしれない。


 だが、武器を奪ったと安堵する暇などない。

 心底楽しそうな声を上げながら、少女はいつの間にやら新たな武器を手にしていた。先程までは直刀であったが、今回取り出したのは巨大な戦斧だ。見たところ、腰元に付けていた小袋から取り出したらしい。


「チッ、やっぱり収納持ちか」


「とーぜん! まだまだこれからだよぉ!」


 それを認めた織羽おりはが舌打ちをひとつ。

 そうして再び少女と相対しようとしたところで、うなじのあたりに気配を感じた。としたその感覚に、織羽おりははすぐさま箒を振り抜く。直後、いくつかの金属音と共に鋭いナイフがあたりに散らばる。そう、今は一対一ではないのだ。


「ああもう、油断も隙もあったもんじゃない!」


「今のタイミングで無傷とは、本当に厄介な相手ですね……とはいえ、それもいつまで続くのでしょうか」


 後方を振り返れば、そこには無数のナイフを手にした仮面の男があった。

 男は続けざま、織羽おりはに向かって追撃のナイフを放とうとしていた。眼の前のイカレ少女にばかり構えば、隙をついて側面からナイフが飛んでくる。いわば前門の虎、後門の狼といったところか。そんな手練れ二人による波状攻撃は驚異であった。といっても素の状態の織羽おりはには、だが。


 しかし次の瞬間、織羽おりはのすぐ近くから怒声が放たれた。

 織羽おりはに向けてではなく、横槍を入れた男に向かって。


「テメェ、何邪魔してんだよッ! 見て分かんねぇのかよ!? 今からが良いトコだろうがッ!! テメェからぶっ殺すぞコラ、あァ!?」


「わぁい、エキセントリックサイコだぁ……」


 それは、先程までケラケラと笑っていた仮面の少女の声であった。

 確かにこの少女、終始一貫してサイコではあった。だが今のこれは、先程までのそれとはまた違う。ほとんど豹変と呼んで差し支えないほどの代わり様であった。というより言葉遣いまで変わっている。先程までがヤンデレ地雷少女だとするならば、現在はブチギレヤンキー女といったところだろうか。ここまでくれば、いっそ多重人格であると言われたほうがしっくりくるレベルである。


 「はぁ……面倒なことになりましたね……本来の目的を忘れていなければよいのですが」


 男はため息を零しつつ、やや大げさに肩を竦めて見せる。

 それを見た織羽おりはが、相棒バディらしき男へと呑気なクレームを入れる。


「失礼ですが、保護者ならちゃんと操縦してもらえませんか?」


「いやはや仰るとおりで……お恥ずかしい限りです」


 男がそう言った時、織羽おりははすぐ側で殺気が膨れ上がるのを感じた。

 そちらの方へと死線を向ければ――――瞳に妖しい光を湛えた少女が、手にした戦斧を振りかぶっていた。


「さっきも言ったよねぇ」


 小柄な体躯に見合わぬ巨大な戦斧。

 よほど力を込めているのだろう。ギリギリと、腕が軋む音がする。


「余所見してたら死んじゃうぞ、ってさぁ!」


 まるで三日月のように美しい軌跡を描きながら、鈍銀の殺意が織羽おりはへと迫っていた。



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