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第47話

「あ、あなた達……私が誰だか知って――――」


 辛うじて絞り出したシエラの声は、仮面少女の声によって遮られた。


「ねぇ、コイツの話聞いてた? どうでもいいって言ってんじゃん? アンタらモブに用は無いワケ。で、ここから先の事はアンタらには関係ないワケ。わかる?」


 人を小馬鹿にするような、嘲笑混じりの声だった。その上で、しかし確かな苛立ちも内包されていた。

 当然ながら、シエラは現状を正しく把握出来てはいない。否、それはシエラに限らず、花車騎士ガーベラ・ナイツや八神教諭でさえも同じだった。敵の正体も、目的も、何もかもが不明瞭。もし彼女たちの認識に違いあるとすれば、それは敵の実力に気づいているかどうかの差だ。戦闘経験豊富な花車騎士ガーベラ・ナイツは、相手のほうが格上だと気づいている。探協職員として多くの実力者を見てきた八神教諭も、大まかながらに気づいている。


 だがシエラには、まだそこまでのがない。期待のホープと言われていても、所詮彼女はまだ駆け出しに過ぎないのだ。平たく言えば経験不足。場数を踏んでいないからこそ、敵の実力を一目で見抜くことが出来ない。仮面の二人組が放つ異様な気配は、シエラとて感じ取っている。だがその気配の正体がなんなのか、うまく自分の中で処理出来ずに居るのだ。


 故に彼女の性格上、相手を威嚇せずにはいられなかった。

 それが本能的な恐怖から来たものだとは、彼女自身も気づいてはいなかった。言うなればそれは、ただの気まぐれで動かずにいるだけの獅子に対し、眼の前でウサギがやかましく騒いでいるようなもの。それがどれだけ危険な行為であるかを、彼女はまだ分かっていなかった。


「ッ……無礼な! 貴女達、何を黙って――――」


 自らが護衛の枠へと捩じ込んだ、信頼する花車騎士ガーベラ・ナイツへと声をかける。

 だが頼れる騎士は動かない。動けない。剣を抜いてはいるものの、冷や汗を流しながらただじっとしているだけ。その顔には、焦りと絶望を貼り付けて。

 そんな花車騎士ガーベラ・ナイツ達の表情を見て、シエラは漸く気づいた。思っていたよりもずっと事態が悪いことに。


「ねぇ、アレもう消していいよね? どうせ全部殺すんでしょ? 順番はどうでもいーよね?」


「ええ」


「よーっし! んじゃあ、あの喧しい金髪のガキからやっちゃおっか」


 血溜まりの上にしゃがみ込んでいた仮面少女が、不穏な言葉と共に立ち上がる。ねちゃり、という粘質な音が足音の代わりに聞こえた。

 これまで動けずにいた花車騎士ガーベラ・ナイツのリーダーが、シエラを守る為に決死の思いで足を踏み出す。重りでも付いているのかと疑いたくなるほど、その足は鈍かった。それでもどうにか動き出した彼女であったが、しかし次の瞬間には再び動きを止めてしまう。いつの間にか、右足にナイフが刺さっていたからだ。それを認識した途端、鋭い痛みがリーダーを襲った。


「ぐッ!? な……っ!?」


「見えませんでしたか。まあ、その程度でしょうね」


 見れば仮面の男が、数本のナイフを手元で遊ばせていた。投げた瞬間も、ナイフの軌道も、刺された瞬間も。

 花車騎士ガーベラ・ナイツのリーダーは何ひとつ気付けなかった。絶望的なまでの実力差がそこにあった。


「くっ……お嬢様、お逃げ下さい!!」


「え、なっ……?」


 リーダーがそう叫ぶも、しかしシエラは動けない。

 歴戦の花車騎士ガーベラ・ナイツですら、敵の威圧感に苦労したのだ。であればこそ、シエラに抗える筈もない。そうして気づけば、仮面の少女は既にシエラの眼の前までやってきていた。


「じゃーねー♡」


「あ――――」


 視界の中をゆっくりと、まるでスローモーションのように滑る直刀。その振り下ろされた凶刃を、シエラはただぼうっと眺めることしか出来なかった。

 しかし、待てど暮せどその瞬間は訪れなかった。シエラの視界の隅から『にゅっ』と何かが伸びきて、直刀の軌道上に差し込まれたからだ。よくよく見てみれば、それはであった。


「メイド入りまーす」


 張り詰めた空気の中、聞こえて来たのはふざけたセリフ。

 いつの間に移動したのか、九奈白付きのメイドがそこにいた。それを認めた時、仮面少女は端から見ても分かるほどに歓喜していた。


「あはっ! やっと来たね、メイドちゃん!」


「馴れ馴れしい方ですね……初対面ですよ?」


 織羽おりははそっけなく言葉を返し、次いで自らのスカートを少しだけ摘み上げる。

 するとスカートの中から出るわ出るわ、何やら怪しげな球体がごろごろと。ざっと二十はあるだろうか。ピンポン玉サイズの黒光りする球体が、あっという間に地面へと散らばっていた。そうして次の瞬間、球体から凄まじい勢いで煙が噴出し、瞬く間にダンジョン内を白く染め上げた。どこぞの室内用殺虫剤も斯くやといった、圧倒的な煙の拡散力と濃度であった。


「こんな子供騙しで逃げられるとでも?」


 もうもうと立ち込める煙の中、仮面の男が動きを――煙で何も見えないが――見せた。

 男は既に、煙の中を駆け抜けるいくつかの気配を察知していた。古典的で下らない手だ。この程度の児戯で標的を見逃すと、そう思われた事が腹立たしかった。故に仮面の男は先ず、煙に紛れて逃げる者たちを仕留めようとした。この男ほどの実力があれば、視認せずとも気配だけで的を射抜く事ができる。


 戦闘要員も混ざっていたようだが、大半は素人。それも戦いなど微塵も知らぬ女子供ばかり。

 見せしめに何人か仕留めれば、それで全員の足を止められると男は考えた。そうしてナイフを投擲するが――――


「……?」


 悲鳴は疎か、その場に残る気配すらも感じ取れなかった。

 一体どういうことかと訝しんだ、その刹那。男の側面から、猛烈な勢いで何かが迫っていた。


「お返しします」


「――ッ!!」


 白煙を切り裂いて飛来したもの。

 それはつい先程、男が投擲したばかりのナイフであった。男はその場でくるりと回転し、ナイフを躱しつつキャッチする。視界が無い中でのナイフ攻撃だ。並の者であれば終わっていてもおかしくない攻撃であったが、やはり男も只者ではなかった。


 持続時間を削る代わりに、即効性を高めた煙幕だったのだろう。あれほど部屋中を染め上げていた煙が、不自然な程の速さで晴れてゆく。そうして視界が戻った頃、そこに学生たちの姿は無かった。標的である九奈白凪はもちろんのこと、怯えきっていた学生も、負傷させた筈の護衛でさえもだ。その場に残っていたのは唯一人。つまりはだけであった。


「やってくれましたね……」


 事此処に至り、男は戦況が逆転したことを悟った。

 一方のメイドは箒を手にしたまま、やたらと偉そうなドヤ顔でこう宣言した。


「これぞ我が秘策……名付けて、『此処は私に任せて先に行け』作戦です!!」


 傍らでげらげらと笑い転げる相棒の姿が、男には酷く腹立たしかった。




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