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第46話

「お嬢様、私の後ろへ」


「リーナ、少し下がれ」


 織羽おりはとルーカスの反応は早かった。

 前方の怪しい二人組が招かれざる客であることを、二人は瞬時に見抜いていた。


 ダンジョンという別世界の中にあってなお、拭えない違和感を前方の二人組から感じ取っていたからだ。ダンジョン内で武器を持っていることは、特別おかしなことではない。魔物と戦わなければならないのだから、むしろ持っていて当然ですらある。だがこれは、ではない。仮にだったとするのなら、それでは足元の夥しい血溜まりに説明がつかない。血溜まりに沈むいくつかの死体に、説明がつかない。


「ひッ……!!」


 誰かの悲鳴が上がる。

 当然だ。温室育ちのお嬢様方が直視出来るような光景ではない。その程度の悲鳴で済んだ事が、むしろ奇跡とさえ言えるだろう。


「……織羽おりは


「大丈夫ですよ」


 常に毅然とした振る舞いを見せる凪であるが、これほどの血を見るのは流石に堪えたらしい。彼女は少し不安そうに、眼の前にあるメイド服の裾を握っていた。見ればリーナも、凪と殆ど同じ反応であった。普段の明るい彼女は鳴りを潜め、ルーカスの背中に隠れている。


 (おぉ……お嬢様のレア顔だ)


 突如訪れたこの状況下にあって、織羽おりはは呑気にそんな事を考えていた。

 しかしそんな考えも、次の瞬間には吹き飛んでしまった。


「やっほー! 宣言通りまた遊びに来たよ、つよつよメイドちゃーん♡」


 そう言いながら、明らかに織羽おりはの方へと手を振る仮面の少女。

 瞬間、織羽おりははすぐに顔を背けた。あれはほんの数日前の出来事だ。流石の織羽おりはといえど忘れてはいない。


(ヤダ……もしかしなくてもアレ、あの時のサイコホラー女じゃん最悪……やめて、こっち見ないで。っていうか手を振るな!)


 あの夜も、狙われたのは凪だと思っていた。だが『みつけた』というセリフと、そして今の言葉から察するに。どうやらあの少女の狙いは、凪ではなく織羽おりはのようだ。こんなところまで追いかけてくるあたり、どうやら随分と執着――――もとい粘着されているらしい。織羽おりはが顔を僅かに歪ませながら、血溜まりに沈む一般通過探索者の遺体を見つめる。恐らくは、計画の邪魔になるからと排除されてしまったのだろう。織羽おりはは後悔していた。あの時無理矢理にでも捕縛していれば、こんなことにはならなかっただろうに。


 そんな織羽おりはを他所に、二人組は何やら勝手に話を進めていた。


「メイドよりも後ろの彼女です。当初の目的をお忘れなく」


「あァ!? うるせェなァ、誰に指図してンだよボケが! 邪魔すンじゃねェよ、ぶっ殺すぞテメェ」


「はぁ……目的さえ忘れていなければ、別に遊ぶのは止めませんよ」


「なーんだ、それならそうと早く言ってよねー! 危うく殺すとこだったじゃん」


 コロコロと表情を変える――実際には仮面で見えないが――少女と、恐らくは少女のストッパー兼、バディであろう男。殺気のようなものはまるで感じられないが、逆にそれが二人の強さを証明している。殺気を垂れ流すなど二流の証だ。一流、それも超が付くほどの刺客ともなれば、武器を振るうのにいちいち殺気を見せたりはしない。少なくとも情報調査室にスカウトされてからの織羽おりはは、ゴリラからそう聞かされてきた。つまりあの二人――少女の方とは既に一度手合わせをしているが――は、並外れた実力の持ち主だということ。花車騎士ガーベラ・ナイツやルーカスを含め、この場にいる者では相手が出来ない程に。


 敵の狙いは明白だ。

 この二人組は十中八九、以前凪を攫った言う男と同じ組織の人間だろう。つまり狙いは凪(と織羽おりは)に違いない。だが、先の誘拐事件とは状況が異なる。これだけの目がある中では、織羽おりははまともに戦えないのだから。


 (……さて、どうしたもんか)


 そうして織羽おりはが打開策を模索しようとしたところで、しかし状況は動き出す。

 道を塞ぐ二人組に対し、引率である八神教諭が誰何すいかと警告を行ったのだ。


 「あなた達は一体何者ですか! この惨状はあなた達の仕業なのですか!? 我々がどういった集まりなのか、ここがどういった場所なのかを理解しての行動ですか!? 出口までは目と鼻の先、すぐに協会の者が駆けつけますよ」


 異様な気配を漂わせる相手へと、臆さず啖呵を切ることが出来た点は称賛に値する。引率役としては正しい行為だ。だが彼女も、所詮は戦いを知らぬ者に過ぎない。敵意を持つ者が現れたことは分かっても、しかし誰何だとか警告だとか、そんな段階はとうに過ぎていることを理解していない。現に戦いを生業としている花車騎士ガーベラ・ナイツは、二人組が纏う異様な気配のせいで動けずにいた。それが護衛役として正しいのかどうかは分からないが、少なくとも相手の実力については見誤っていないらしい。


「はて……ダンジョン内に於いては、通常の通信機器は使えない筈ですが。一体どうやって応援を呼ぶおつもりで? 目と鼻の先といっても、まだ数kmありますよ」


「そ、それは……っ」


「あなた方がどういった集まりなのかも、当然知っています。知っていますが、どうだっていいんですよ。仮にそちらの護衛探索者全員と私が戦ったとして――――まぁ、五分もかからないでしょうから」


 事も無げに言い放ったのは仮面の男。

 彼一人が花車騎士ガーベラ・ナイツの全員を相手にしたところで、なんの障害にもならないと。誇るでもなく、示威するわけでもなく。ただただ淡々と、平坦な声色でそう述べる。そして恐らく、それは事実なのだろう。花車騎士ガーベラ・ナイツの苦々しい顔を見れば分かってしまう。


 ダンジョン探索に於いて最も重要なこと。それは何よりも『死なない』ことだ。

 メンバーの誰かが負傷した際は撤退する。とても倒せないほど強力な魔物が現れた際は、無理せず後退する。命を最優先に考えるのが普通で、それが探索者の常識なのだ。今の状況はそれと同様、本来であれば逃げるべき状況なのだ。彼女らは既に気づいてしまっている。眼の前の二人組は、自分たちが敵う相手ではないということを。だが普段の探索とは異なり、今の花車騎士ガーベラ・ナイツには重すぎる足枷が付いている。故に動けない。逃げられない。


花車騎士ガーベラ・ナイツがどうにかしてくれれば良かったんだけど……彼女達は対魔物想定の護衛だ。というより、そうでなくても今回は相手が悪すぎる。状況を打破するには……いや、でもそれは)


 自分が戦うしかない。

 一瞬そう考え、しかし心中でそれを否定する。それをしてしまえば、最悪の場合は凪の護衛任務自体が失敗になる。それだけは避けなければならない。敵の目的が自分と凪にあるのなら、他の者達は見逃されるだろうか。否、それはあり得ない。仮面によって顔が分からずとも、体格や声色は犯人を特定する情報たり得る。つまり敵は、この場の誰一人として逃がすつもりがない。足元に転がる探索者も、恐らくはそういう理由でのだろうから。


 織羽おりはが現状を打破するために頭を回転させる。

 正直に言えば、凪を守るだけならば簡単なのだ。他を全て見捨てればいいだけのこと。凪一人を連れてこの場を離れるくらい、織羽おりはにとっては訳もない。だがそんな簡単な一手が、織羽おりはにはとれない。自身の眼の前で、手の届く範囲で零れる命を見捨てることが出来ない。しかし全員を救うためには、あの二人組をここで倒すしかない。だがそれも出来ない。


 しかし。だが。

 何をどう考えても、否定が付いて回る。

 矜持と決意、生きる理由。そして任務の成否。その板挟みに、織羽おりはの心が揺れていた。


 その時ふと、服が引っ張られるのを感じた。

 振り返ってみれば、そこには守るべきお姫様の姿があった。眉根を寄せ、不安そうな顔で織羽おりはを見つめている。そんな凪の表情に、織羽おりはの意思は固まった。


(……あぁ、よくないな……また後悔するところだった)


 また失い、後悔するよりは。

 かつて誓った筈のそれが、再び織羽おりはの心に火を灯す。


 そうして前を向いた織羽おりはの視界に、ある青年の姿が写った。

 同じく主人を庇いながら、必死に打開策を模索しているルーカスの姿が。


 (……ん? 待てよ?) 


 瞬間、織羽おりはの脳裏に天啓が降りる。同時に、織羽おりはは自らの馬鹿さ加減が恥ずかしくなった。

 それは、普通なら真っ先に思いつくであろう作戦であった。パーティプレイを知らないが故に、織羽おりはがこれまで思い至らなかったひとつの方策。これなら全員を無事に帰しつつ、自身の実力もある程度隠すことが出来る。これぞまさしく神の一手だ。こんな簡単な方法が思いつかないとは。


 そうして織羽おりはは小さな声で、険しい顔をしているルーカスへと話しかけた。


「……ルーカスさん。模擬戦での貸しがありましたよね? 申し訳ないんですけどアレ、今返してもらっていいですか?」



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