白凪学園の実習生達がダンジョンを練り歩くこと暫く。
これといったイベントも発生せず、魔物の実物を見ることすら叶わない。実習の意義を問いたくなるような、そんな状況が続いていた。
一行は現在、一階層中盤の小部屋に滞在している。
小部屋と言っても、それはダンジョン内に点在する他の大部屋と比べれば、という話だ。現にこの小部屋も、一般的な学園の体育館くらいの広さがあった。そんな中で引率の八神教諭は、
「うーん……これはもう、早めに帰還した方がいいかもしれません」
「そうですね……ダンジョンの雰囲気を味わうという目的は、既に達しているわけですし」
「まさか魔物の一匹も出てこないとは……いえ、大切なご令嬢方を預かっている手前、これはこれで良かったのかもしれませんが」
「逆に、昨年の実習時には魔物が大量発生したと聞いています。低層なので脅威ではなかったそうですが、気分を悪くする生徒も居たのだとか」
「そういう日もあれば、こういう日もまたある、という事でしょうかね」
本実習はダンジョンの空気を肌で感じるためのものであり、魔物との戦いを見学することは主目的ではない。経験しておくに越したことはないが、さりとて無理に経験する必要があるかと問われれば、それも否だった。個人的な意見を述べるのであれば、無論八神としては出来れば戦闘を見学させておきたかった。この先ダンジョン産業に関わるというのであれば、一度は実際の戦闘を見ておくべきだと八神は考えているからだ。こんな絶対的な庇護の下で見学できる機会など、そうそうありはしないのだから。
そう考えつつ、八神はちらりと周囲に視線を送る。
ダンジョン実習にすっかり飽きてしまったお嬢様方は、皆思い思いに部屋内の散策をしていた。
「まぁまぁ! これを見て下さい! 綺麗な石が落ちていました!」
「私もあちらの方で、こんな石を見つけました! きっと何かの資源に違いありません!」
「みなさん! 私達が見つけた石が一体何なのか、探索者の方に伺ってみませんか?」
「是非そうしましょう! きっと、我々には目利きの才能があったのです!」
仲の良い者同士で集まり、きゃあきゃあと喚きながら、そこらの石を楽しそうに拾い上げるお嬢様方。
温室育ちの彼女らにとって、それは初めて目にするものばかりであった。そこらに落ちているダンジョン産の石でさえ、何かの資源のように思えてしまう。実際には珍しくもなんともない、ただの石なのだが。まるで緊張感のない、ピクニックか何かのような光景であった。
とはいえ魔物の気配がないことは既に確認済みだったし、ダンジョン特有のトラップ等も一階層時点ではまだ出現しない。故に出入り口さえ見張っていれば、こうした部屋は安全地帯となるのだ。そうであるからこそ、
「……当初の緊張感はどこへいったのやら。まぁ魔物が一度も出ない以上、仕方のないことではありますが……とにかく、これ以上の実習は無意味でしょう。何事もなかったというのなら、それはそれで成功みたいなものです」
「承知しました。それでは帰還を先導しますので、八神さんは生徒への説明をお願いします」
そう言って
そう思われた。少なくともこの時は。
* * *
「納得いきません!!」
往路ではあんなにも機嫌が良さそうだったというのに、しかし復路のシエラは最底辺まで機嫌を落としていた。
彼女が騒いでいる理由は、結局のところひとつだけであった。まだ何もしていない、何も見ていない。そんな状況で早々に帰還するという、八神教諭の判断が不服なのだ。
「これじゃあ、ただ散歩に来ただけじゃありませんの! 御大層に専属の護穎パーティまで引き連れて――――これが天下の白凪学園が行うダンジョン実習ですの!? いくらなんでも過保護が過ぎますわ! そこらの一般校ですら、もう少しマトモにやりますわよ」
これは引率であり責任者でもある八神教諭の下した決断であり、今更とやかく言っても仕方のないことである。シエラとて決定が覆らないであろうことは理解っているだろうが、だがそれでも、喚かずにはいられないらしい。そんなシエラの姿を、
「……なんだか凄く怒ってますよ?」
「はぁ……放っておきなさい。ダンジョンの空気を味わうという目的は達しているのだから、八神先生の判断は正しいわ。魔物も居ないというのであれば、これ以上は時間の無駄でしょう。大方、自分が活躍するところを見せられないのが気に入らないのよ」
「自己顕示欲が強いタイプなんですね。如何にもいいトコのお嬢様っぽいです」
「そういう女なのよ」
「というよりも……仮に魔物が出たとして、国宝院様の出番は無いのでは?」
「だから身内の
「あぁ……そういう」
やいのやいのと騒ぐシエラを見やり、
(あぁ……要するに、凪お嬢様に対しての示威行為ってことか。この間の会話からして、やたらとライバル視してるっぽかったもんなぁ)
シエラと初遭遇したあの日、
二人は以前から知り合いだったのか、と。
学内二大お嬢様として、何かと比べられることの多い凪とシエラ。
聞けばそれは、何も学内に限った話ではないらしい。社交界においてもまた、二人は幼い頃から何かと比べられて来たのだ。どこぞのパーティであったり、或いは父親の付き添いで訪れた仕事の場であったり。そうした場で出逢うたび、シエラは何かと凪に噛みついてくるのだそうだ。なんというべきか、国宝院シエラという少女は、どこまでもテンプレ的な悪役令嬢であった。
ただ凪曰く、そこまで根が腐っているわけでもないらしい。
根が素直であるが故に、酷く負けず嫌いで面倒くさい。凪が語る国宝院シエラとは、そんな少女であった。
「……お嬢様への対抗心と考えると、なんだかちょっと可愛らしく思えてきました」
「そうかしら? アレはただの馬鹿よ」
前方のシエラを眺めながら、二人がそんな会話を交わしている時だった。一行の進む先に、二人分の人影が現れた。薄暗いダンジョン内ではあるが、しかし遠目に見ても、魔物ではないことは確かであった。つまりは他の探索者であろう。
ダンジョン内で他の探索者と遭遇することは、そう珍しいことではない。特に現在地は低層も低層、第一階層だ。ダンジョンに入れば誰しもが通る階層であり、故に駆け出しの探索者も多い。実際、実習生一行はこれまでに数名の探索者とすれ違っている。恐らくは前方の人影もそういった類であろう。戦闘を歩く
しかしどうにも、様子がおかしかった。
探索者と思しきその二人は、両者ともに顔を仮面で隠していた。
「あー、やっと来たー。待ちくたびれて死ぬかと思ったじゃーん」
「待ち始めてから、まだ十五分程度しか経っていませんがね」
耳を打つのは場違いに明るい声と、静かで落ち着き払った声。顔が見えない為に判然としないが、恐らくは前者が女で、後者は男の声であった。
女の方は小柄で、ほとんど少女と言って差し支えのないほどの体型。ダンジョン内では場違いな黒パーカーを着ており、フードを目深に被っている。一方の男は細身の長身で、ぴしりとしたスーツ姿だった。そして二人はそれぞれが、刀とナイフを手にしている。
よくよく見てみれば、両者の武器からは真新しい血が滴り落ちていた。