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第22話

「嘘……」


 九奈白凪は、目の前で起きた光景が信じられずにいた。

 凪とて探索者ではないにしろ、護身術程度には武術を嗜んでいる。だからこそ、男の実力が桁外れに高いということくらいは、最初の動きを見ただけで分かった。だが『どのくらいの実力』かと聞かれれば、凪には答えられない。ただ漠然と『ものすごく強い』といった程度にしか分からないのだ。それほどまでに――凪では理解が及ばない程に、男の実力は高かった。


 凪の聞き間違いでなければ、男は自分を『二桁』だと言った。

 『二桁』の探索者など上澄みも上澄み、最上位と称してなんら差し支えのない実力者である。

 当然の話だ。『二桁』ということは、どれだけ低く見積もったとしても99位なのだから。世界に何十万、何百万も存在すると言われている探索者の、その中の99番目だ。あるいは、もっともっと上位かもしれない。そんな男が弱い筈がない。大げさでもなんでもなく、国選級の探索者といっていいだろう。


 だがしかし。 

 そんな桁外れである筈の男が今、積み上げられたコンテナに突き刺さっていた。それを成したのは勿論、あのふざけた紙袋メイドである。

 何をしたのかは分からない。分かるわけがない。凪には何も見えなかった。隣で唖然としているところを見るに、黒沼も同じだろう。気がつけばメイドはそこにいて、気がつけば男が吹き飛んでいた。そうとしか説明のしようがなかった。


 そんな筈はない。だってあれは、あの紙袋の正体は。

 あれは夢破れて転職した元探索者の筈で。多少は護衛の心得があるだけの、ごくごく普通のメイドな筈で。何をやらせても卒なく熟す――それがまた憎たらしい――が、けれど時折失礼な発言をする、そんなただの生意気メイドの筈で。


 普段から冷静沈着な凪の脳内では、しかし今は、疑問と否定と、そして現実がぐるぐると回り続けていた。

 そんな凪を他所に、当の本人はと言えば。


「……おや?」


 振り抜いた足を高く掲げたまま、紙袋メイドが小さく首を傾げる。

 メイドが放った攻撃の正体は、敵の頭部を狙った回し蹴り。つまりはハイキックだ。『獲物で遊ばない』という言葉の通り、意識を刈り取るつもりで放った一撃だった。


(ん……浅いな、今の)


 間合いもタイミングも完璧だった。男の反応は間に合っていなかった。確かに加減はしたが、さりとて防がれるほど軽い攻撃だったわけでもない。だが、今の一撃は。紙袋はそう確信していた。


 それは何故か。

 答えは簡単、手応えがいまひとつだったから。


 それを証明するかのように、男がゆらりと立ち上がる。今の今まで自身が突き刺さっていた、ひしゃげた。輸送用の海上コンテナだ。人の力で持ち上げられるわけもない。ましてや、それがとなれば尚更だ。


「ッ痛ぇ……クソが、死ぬかと思ったぜ」


「……なるほど。技能スキル持ちでしたか」


 頭部から流れ出す血、苦痛に歪む顔。恐らくは骨も何本かは折れていることだろう。ほとんど満身創痍ながらも、しかし男は立ち上がった。そうして怒りで濁る瞳を紙袋へと向ける。どうやら、男はまだやるつもりらしかった。


 長くダンジョンへと潜り続け、強力な魔物と戦い、数々の危機を乗り越えて。そうして高みへと届いた者のみが得られる特殊な力。それが『技能』と呼ばれるものだ。

 元より一般人と比べれば身体能力の高い探索者ではあるが、『技能』を得るまでに至る者は少ない。それこそ『三桁』に到達して漸く、といったレベルだ。


 技能は発現する条件も、理屈も、何もかもが未だ謎に包まれている。どういった技能が発現するのかも、人によってまるで異なる。また、長くダンジョンに潜っているからといって、全ての探索者に発現するわけでもない。ダンジョンに挑むことで得られる、正体不明の不思議な力。しかし獲得した者は皆すべからく、一段上のステージへと上がることが出来る。それが『技能』という力であった。


「見たところ――念動力サイコキネシスのような技能スキルでしょうか。私の攻撃も、それで受け止めたんですね」


「……受け止めてコレだぜ。何の冗談だよこりゃ。あとほんの少しでも遅れてたらヤバかった」


「大人しく寝ていれば良かったのに」


 分かりやすくため息を吐き、やれやれと肩を竦めて見せる紙袋。男の異能を目の当たりにしたというのに、微塵も焦る様子はない。余裕か、それとも自信か。その表情は紙袋で隠されている為、何ひとつ窺い知ることが出来ない。だが少なくとも、許しを乞うているようには見えなかった。


「いちいちムカつく野郎だぜ。だがもう油断はしねぇ。ここからは本気でやらせてもらうぜ」


「最初から本気でやればいいのに」


「いつまでその減らず口が叩けるか、見物だなあッ!」


 そう男が叫ぶや否や、周囲に積まれていた多数の海上コンテナが一斉に浮かび上がる。

 自重だけでも数トンはある筈のコンテナが、まるで宇宙空間にでも放り出されたかのように。


「逃げなさい、織羽おりは!」


「もう遅ぇッ!!」


 凪がそう叫ぶが、しかし男の方が速かった。

 男が腕を振るうと同時、まるで吸い込まれるかのように紙袋メイドへとコンテナが殺到する。その速度といったら、そこらのトラックなどでは到底出せないようなスピードであった。だが重さはトラックと同等、あるいは、内容物まで含めればそれ以上かもしれない。しかもそれがひとつやふたつではなく、一度に十近く。


 今度は瞳を閉じる暇すらなかった。

 先程の拳による攻撃など、比較にすらならない。如何に元探索者といえど、無傷で防げるような速度と質量ではない。けたたましい音と共に、コンテナが紙袋メイドの居た場所へと着弾する。砕けるアスファルト、摩擦によって飛び散る火花。凪には、ただそれを眺めていることしか出来なかった。


「直撃だオラァ! いらねぇコトに首を突っ込むからこうなるんだぜェ、なぁオイ!」


「そん、な……」


「なんだよ、やっぱり知り合いだったのか? 先に言っておいてくれりゃよかったのによォ! もうミンチになっちまったぜ! 悪かったなァ、手加減出来なく、て…………あァ?」


 ふと、男が何かに気づく。それは違和感だ。何かがおかしい。

 たった今男が放ったのは、重さ数トンもある海上コンテナだ。仮に相手が探索者であったとしても、ただの人間程度ならばそのまますり潰し、はるか先まで滑走してゆく筈である。だが着弾地点を見てみれば、正面に飛ばしたコンテナがひとつだけ、その場でピタリと静止していた。まるで見えない壁か何かで、行く手を遮られているかのように。


「はて、織羽おりは……とは一体誰のことでしょうか? 私はただの一般通過メイドですよ?」


「ッ!? 織羽おりは!? 貴女無事で――――」


 コンテナの向こう側から聞こえて来たのは、緊張感の欠片もない、どこか場違いな声であった。

 流石というべきか、男はすぐさま意識を眼前へと向ける。


「な、んだとッ!? 馬鹿な、そんなハズは――」


 コンテナの向こう側は、コンテナ自身の所為で見えない。だが確かに、声はそこから聞こえてきている。


「あ、これはお返しします」


 そんなあっさりとした言葉が聞こえた、次の瞬間。

 先程まで静止していたコンテナが、凄まじい勢いで男の方へと戻ってきていた。男が飛ばした時と比べ、ゆうに倍近くはあろうかというスピードで。


「なッ!? クソっ……止まらねぇッ!! うおおぉぉッ!!」


 男が『技能スキル』で対抗しようとするが、しかしほんの僅かに速度が落ちた程度。元より倍の速度で迫ってきているのだ。多少速度が落ちたところで、ほとんど焼け石に水だった。止める事は不可能だと悟った男が、泡を食ったように身を躱す。ゴロゴロと地面を転がりながらも、どうにかコンテナの脇をくぐり抜ける。コンテナは勢いをそのままに、大きな水しぶきを上げながら海へと落ちていった。


 驚愕と動揺と焦り、そして安堵。

 どうにかコンテナを避けることに成功した男が、再び前方へと視線を戻す。そこには紙袋を被ったメイドが、先程までと変わらぬ様子で立っていた。否、僅かに右足が浮いている。そこから察するに、つまりは――――


「まさか、蹴り返した……のか?」


 然しもの男も、これには開いた口が塞がらなかった。こんな芸当、見たことがない。そんな馬鹿げたこと、信じられる筈もない。

 あの何トンもあるコンテナを足で止めた? あまつさえ、それを蹴り返した? 事此処に至り、男の理解はついに及ばなくなっていた。


「馬鹿げてやがる……そんな事、出来る訳が……仮に出来たとして、それこそ『一桁』の……いや、まさかお前は……お前が――」


 震えるような声で、絞り出すように。か細い声でうわ言のように。しかし結局、男の言葉が最後まで続くことはなかった。

 ふと気づけば、いつの間にか紙袋メイドが眼前に居た。まるでゴミでも踏み潰すかのように、小さく片足を上げながら。そういえば、このメイドは先程なんと言っていただろうか。そうだ、確か『ゴミで遊ぶ趣味はない』とかなんとか――――


 「はい、というわけで本日はお疲れ様でした。またの挑戦をお待ちしております。まぁ――――そんな機会は二度と来ないでしょうけれど」


 そうして、男の視界と意識が暗転する。

 男が最後に見た光景は、妙にセクシーな女性モノの黒パンツであった。



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