目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第20話

 確信は無かったが、僅かな違和感は感じていた。ぼんやりとではあるが、嫌な予感もしていた。それでも防ぐことが出来なかったのだから、これは自分の落ち度だ。よもや彼女の部下が、などという考えは言い訳に過ぎない。織羽おりはの胸中を支配するのは、そんな自責の念であった。普段から飄々とした態度を見せている織羽おりはにしては、これは珍しい事と言えるだろう。


「今の織羽おりはの立場ではアレが限界でしょう。強いて言うなら――彼女に対して意見具申が出来るだけの関係を、今日までに構築出来ていなかったことが原因ですね」


「うぐっ」


 イヤホンから聞こえてくるのはひそかの声。フォローしてくれるのかと思いきや、ぐうの音も出ない程の正論であった。とはいえ、織羽おりはの立場ではどうすることも出来なかったことは確かだ。所詮は使用人の立場に過ぎない織羽おりはが、まさか主の命令を拒むわけにもいくまい。


 元々車に搭載されていたGPSは流石に潰されていた。だが、織羽おりはが前もって仕掛けておいた発信機が生きている。


「やーっと面白くなってきたって感じ? ま、オリなら余裕で追いつくっしょ」


「まずは西に向かって下さい。建設中のビルが見えるはずです。そのまま最上階まで登りましょう」


織羽おりはが市内を駆け抜ける。織羽おりはひそかのナビに疑義を挟むことはない。スカートをはためかせ、風のように建設中のビルを登ってゆく。その速度たるや、凡そ生身の人間とは思えない。


「妨害はまかせろー! とりあえず、何箇所かよん」


 あっけらかんと言い放つ星輝姫てぃあらだが、それがどれほど凄まじい事なのかは想像に難くない。

 確かに九奈白市の道路は、ほぼ全域が遠隔操作によって管理されている。事故や災害が起こった際、速やかに封鎖出来るように。だが当然ながら、それらのシステムは厳重なセキュリティの下に運用されている。介入することなど普通なら不可能だ。それをいとも容易く、鼻歌交じりで星輝姫てぃあらは実行してしまう。曰く、『あたしに侵入出来ないシステムはない』とのことである。それを証明するかのような、バカバカしいまでの技量であった。


 織羽おりはが足を踏み入れた建設中のビルは無人であった。工事の合間なのか、至る所に資材が置かれている。

 そんな障害物をものともせず、織羽おりははものの数分もしないうちに最上階へと辿り着いていた。それと同時、最上階に設置されていた大型のクレーンが動き出す。無人の工事現場だというのに、だ。いわずもがな、これも星輝姫てぃあらの仕業である。


 誰も搭乗していないクレーンが、その先端をぐるりと回転させる。


「うぇーい! あ、もうちょい回す感じかー?」


「適当で大丈夫ですよ。織羽おりは、そこから向かいのビルまで移動してください。時間が短縮出来ます」


 ひそかの指示が当たり前のように飛ぶ。だがその内容は、控えめに言ってイカれている。

 成程確かに、今は日中。それも休日の、だ。街は休日を満喫する多くの人で溢れており、それらをかき分けながら凪を追っていたのでは間に合わないだろう。


 とはいうものの、織羽おりはの現在地はビルの最上階だ。階数でいえば十階、高さで言えば凡そ三十メートルほどにもなる。如何に探索者といえど、落ちればひとたまりもない高さである。そんなビルの屋上から、クレーンを滑走路に見立てて飛べというのだ。正気の沙汰とは思えない指示であった。


 だが織羽おりはは躊躇わない。というよりも、クレーンが動き出した時点で既に走り始めていた。無論、ひそか星輝姫てぃあらへの信頼もある。だがそれ以上に、で竦んでいるようでは、織羽おりはは今まで生きてこられなかった。ダンジョンに独り挑んでいた頃など、死にかけたことなど数え切れぬ程にある。そんな過去と比べれば、の高所から飛び降りるなど。


 春の爽やかな空気を纏い、織羽おりはが勢いよく跳躍する。耳をうつ風の音が騒がしい。

 しかし、織羽おりはの表情にはなんの変化も見られない。恐怖などあるはずもない。今の彼にあるのは、ただ凪の下へと急ぐ気持ちだけであった。


 織羽おりはには、ひとつの欠点がある。

 それは誰かを『護る』、『救う』といった行為に異常なほど敏感に反応する事だ。この街を初めて訪れたあの日、不良に絡まれていたリーナを助けたこともそうだ。目立ちたくなかった筈なのに、自ら首を突っ込んだ。たとえそれが自らにとってのリスクであったとしても、織羽おりはは手の届く範囲で起きるそれらを、見て見ぬふりが出来ない。


 それは、かつて『何も護れなかった』事への贖罪。

 両親を失った時もそう。最愛の妹を失ったときもそう。肝心な時、織羽おりははいつも無力だった。迷宮情報調査室へのスカウトを受けた理由も、その大半がこれに起因する。これは彼にとって、何も出来なかった自分への罰なのだ。誰かを『護る』ことで、かつての無力を償おうと決めた。そうして自らを縛り付けることで、織羽おりはは辛うじて自分を保っている。それが、来栖織羽くるすおりはという人間の根幹だった。


「ふぅ」


 長い長い滞空を終え、織羽おりはは何事もなかったかのように着地する。


「ひゅーっ! いい飛びっぷりじゃん! よっしゃー! ガンガンいこうぜー!」


「対象はこちらの思惑通り、ルートを変更したようです。これなら問題なく追いつけます」


 再び駆け出した織羽おりはの耳に届くのは、頼りになる同僚たちの声。いつもと変わらぬ表情とは裏腹に、穏やかではなかった織羽おりはの内心が少し軽くなる。と、そこでふと織羽おりはは、本来あるべき筈のものが無いことに気づいた。


「……あれ、そういえばゴリラは? あのオッサンのことだから、今のボクを見たらゲラゲラ笑いそうなものだけど」


 そう。

 本来ならば指揮をとっている筈の隆臣の声が、先程から一切聞こえない。しかしそんな織羽おりはの疑問は、続くひそかの言葉によってあっさりと氷解した。


「ああ、室長なら今日は不在です。と打ち合わせがあるとかで、朝から出かけましたよ」


「いーや、あたしは嘘とみたね! 妙に足取り軽かったもんなー! あのオッサン、今頃絶対そこらの居酒屋で安酒飲んでるぜー」


 ひそかの言と、星輝姫てぃあらの予想。

 真偽は定かではないが、後者も十分に考えられる。だがいずれにせよ、やかましい野次がないのは有り難い。そうしてひそかの案内の下、凄まじい勢いで街中を猛追する織羽おりは。先ほど利用した工事現場のように、『人気は無いが、人の通るような場所ではない』といった道ばかりを使用して。


「見つけた!」


 その甲斐あってか、追跡を始めてから四十分程が経過した頃、遂に織羽おりはは目標を視界に捉えていた。そこで車内の会話を盗聴していたひそかから、犯人に関する追加情報が齎される。


「相手は海外組織のようです。どうやら『総会』絡みのようですね。まぁ、概ね予想通りですが」


「これが例の『九奈白家当主依頼主の敵対組織』ってヤツですか?」


「そのうちのひとつ、といったところでしょう。実行犯が二人だけですし、敵の詳細に関してはまだハッキリとは言えません」


 そう織羽おりはに説明しつつ、ひそかは凪への評価を上方修正していた。

 まさか会話が聞かれているなどと知っている訳でもあるまいに、随分と度胸のある少女だ。情報を引き出した事については、相手の口が軽かった所為もある。だがそれ以上に、『意味があるかは分からないが、今の自分に出来ることをやっておく』という姿勢が気に入った。ただ黙して怯えるだけではなく、現状を理解して自身に出来ることを模索する。胆力と言うべきか、或いは一種の才能と言うべきか。凡そそこらの十五歳、それも箱入りのお嬢様に出来ることではない。


「まーなんでもいーじゃん? そのへんは後でいくらでも調べられるっしょ。もうなんかちょっと飽きてきたし、さっさと終わらせようぜー」


「……確かにそうですね。そちらは我々――裏方の仕事です」


 目標を補足した時点で星輝姫てぃあらの仕事は終わりである。すっかりダラけ始めた彼女の言葉に、意図は違えどひそかも同意する。 そしてそれは織羽おりはも同じであった。相手がどこの誰だろうと知ったことではない。織羽おりは織羽おりはの仕事をするだけだ。そして仕事といえば――――


 「同感。ボク――私もまだ、館の掃除という仕事が残っていますので」


 そう言うと織羽おりはは速度を上げ、車の前方目掛けて跳躍した。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?