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第17話

 九奈白凪という少女は、自らの才覚に依らない持ち上げを嫌う。

 それは分かりやすく言えば、九奈白家の息女として必要以上にちやほやされることを嫌う、ということだ。


 九奈白という家に生まれた以上、それはどうしてもついて回る事柄だ。それについては勿論、凪本人も分かっていること。

 そして未だ少女である自身が、少なからずその恩恵に与っていることも理解している。特別扱いなど数え切れぬほど受けてきた。自らの生まれが特殊であると、幼い頃より知っていた。

 だからこそ、彼女は九奈白の名に甘えることを良しとしなかった。家が嫌いなわけでない。父が嫌いなわけではない。ただ九奈白家の娘として、その名に恥じることがないよう在りたい。そこらの子息子女にありがちな七光りなどではなく、自らの力で立ちたい。そう考えている。


 そうした特殊な環境に身を置き、一度でも恩恵に与ったことがあるのなら、その恵まれた地位には義務と責任が生じる。ノブリス・オブリージュというわけではないが、しかし彼女はそれに近い考えを持っていた。要するに誇り高いのだ。その上で賢く、自らを厳しく律する者。あるいは、そう在ろうと志す者。それが九奈白凪という少女である。


 とはいえ、所詮はまだ十五の少女だ。『言うは易し』とは良く言ったもので、普通に考えればただの理想論でしかない。

 だが彼女には、それを実行するだけの才覚があった。自らを磨く努力すら、彼女は怠らなかった。その結果、それらは既にただの理想ではなくなりつつある。


「会社の視察、ですか?」


「ええ。普段は花緒里かおりを連れて行くのだけれど……生憎と今日は手が離せないらしいのよ。だから代わりに貴女を連れて行け、だそうよ。というわけで織羽おりは、出かける準備をして頂戴」


 ある休日のこと。

 珍しく部屋まで呼び出された織羽おりはは、ほとんど説明もないままにそう伝えられた。九奈白凪は既にいくつかの会社を経営している。それはこの護衛依頼に付く際、ひそかから渡された事前の資料で確認済みだった。確かに、暇を見つけては会社の様子を見に行っているとの記載があった。


 本日凪が視察に向かうのはそのうちのひとつ、『 Le Calmeル・カルム』であるとのこと。意味はそのまま、フランス語で『凪』である。随分と直球ど真ん中なブランド名ではあるが、無駄を嫌う凪らしいといえばらしいか。確か探索者向け装備類のデザイン、および販売を手掛けている高級ブランドだったと織羽おりはは記憶している。値段こそ高価ではあるものの、しかし品質と実用性に拘った一品ばかりを取り揃えたブランドだ。また他の探索者用品店には無いような、所謂『かゆいところに手が届く』商品も多く揃えられている。それ故、激戦の繰り広げられる探索者界隈に於いても人気を博し、探索者にとっては『 Le Calmeル・カルム』製の装備を持つことが、すっかり憧れとなっているのだとか。


「承知しました。では参りましょう」


 言うが早いか、織羽おりははその場に『すんっ』と直立する。澄ました顔が若干腹立たしい。


「……いえ、だから準備をしなさいと言っているのよ」


「はい、既に準備は完了しております。必要なものは『私』です」


 そう言って自らを指差す織羽おりは

 それを見た凪は、胡乱げな瞳を織羽おりはに向けつつ小さなため息を吐き出した。




       * * *




「この手の車を運転するのは初めてですが……流石と言いますか、やっぱり乗り心地が良いですね」


「私はあまり好きじゃないわね、無駄に目立つし。それより貴女、本当に免許持ってるんでしょうね?」


「あはは、当たり前じゃないですか」


 スーツ姿の凪を後部座席に乗せ、織羽おりはの運転する車が街中を走る。

 流石は九奈白家というべきか、あるいは、流石の九奈白凪というべきか。白凪館の所有する車は、如何にも『金持ちが乗っています』といった外観をしていた。つまりは黒塗りで、妙に車体が長い例のアレである。凪自身の好みからは遠くかけ離れているらしいが、しかし彼女の年齢と立場上、こういった『演出』も必要なのだとか。


 余談だが、織羽おりははちゃんと免許を取得している。本来は十八歳以上でなければ取得出来ないはずの自動車免許を、だ。もちろんこれは特例であり、彼の所属する迷宮情報調査室絡みの理由である。政府直属の組織であるが故、こういった部分は随分と融通が利くのだ。とはいえ、織羽おりはが実際に車を運転する機会はそう多くない。移動に車を使う際は、基本的にひそかが運転を担当しているからだ。にも関わらず高い運転技術を保有しているあたりは、流石というべきなのだろうか。ちなみに織羽おりは一人であれば、それこそ走った方が速かったりする。閑話休題。


 白凪館に於いても、普段の外出時は花緒里かおりが運転するのだが――今回は彼女が所用で居ない為、織羽おりはが運転手を勤めているというわけだ。

 そうして九奈白市内を走ること、凡そ一時間。特に渋滞に引っかかるなどということもなく、二人は目的の通りへと到着していた。


 やってきたのは市内の、それもダンジョンにほど近い大通りであった。

 所謂『迷宮通り』などと呼ばれている場所だ。普段凪達が通学に使用しているメインの通りとは異なり、そこには探索者向けの店が多く立ち並んでいる。『探索者』などといっても、小説や漫画の世界に登場する『冒険者』とは違うのだ。基本的に見た目の上では普通の一般人と変わらず、昼間から飲んだくれて喧嘩を吹っ掛けてくるような粗暴者は。とはいえ、それも当然の話だ。ここは創作の世界ではなく、秩序の保たれた現代社会なのだから。


 そんな迷宮通りに軒を連ねている店は、そのどれもが

 ファンタジーではありがちな、如何にもといった酒場、ギルド、木製のスイングドアなどあるはずもなく。一見しただけではそうと分からないような、ごくごく普通の店構えばかりである。普通の店と違いがあるとすれば、それはショーウィンドウに飾られているのが『装備』であるという点くらいか。


「わぁ、なんだか素敵ですね。活気があると言いますか……」


「ここは迷宮都市だもの。市外より活気があるのは当然――というか、初めて見たような反応をするのね?」


「はい、実はこういった探索者街に来るのは初めてです」


「……? 貴女、『元探』なんじゃなかったかしら?」


 窓を流れる店を眺めながら、やたらと感動を見せる織羽おりは。その様子に、凪は少しの疑問を覚えていた。確かに、ここ九奈白市の探索者街は活気がある。それこそ、市外のそれとは比べ物にもならない程だ。しかし、それにしたって織羽おりはの反応はおかしい。活気の違いこそあれど、どこも似たようなものであるはずなのに。


 そう思い凪が問うてみれば、織羽おりははこういった場所に来るのが初めてだという。それこそおかしな話であった。元とはいえ探索者だったのならば、一度くらいは見たことがある光景の筈。普段ならば他人の詮索などしない凪だが、しかし今回ばかりは妙に引っかかった。そもそもの話だが、発見されたダンジョンの周囲には、多かれ少なかれ店が建つものだ。あるいは、周囲に街が作られることもある。ここ九奈白市がそうであるように。だというのに、織羽おりははこの光景を見たことがないと言う。果たして、そんなことが在り得るのだろうか。


「貴女、今まで一体どういう――」


 そうして凪が、珍しく織羽おりはを追求をしようとしたところで――――


「お嬢様、到着致しました」


 そういって織羽おりはが車を停める。迷宮通りから、道をひとつ奥に入ったところ。やかましかった喧騒もいくらか鳴りを潜め、どこか物静かな雰囲気が漂っている。そこには先程の表通りとは異なり、比較的高級な店や、市外から来た探索者向けのホテルが立ち並んでいた。そんな通りの一角に、『 Le Calmeル・カルム』の看板があった。


「……そう。ありがとう、ご苦労さま」


 凪が労いの言葉をかけた時には、既に織羽おりはは車外に出ていた。そうして後部座席へと周り、外から扉を開ける。


「どうぞ」


「……ええ」


 織羽おりはに促されるまま、ゆっくりと優雅な所作で車を降りる凪。

 元よりただの世間話だ。それほど興味があるわけでもない。まして彼女は、他人を常より心がけている。どうせ織羽おりはとの付き合いなど、長くとも三年の間でしかない。機を逸した凪はそう考え、その後の追求をすることはなかった。

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