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第16話

織羽おりはが白凪館にやってきてから、既に三週間ほどが経過していた。

 慣れないメイド業務にもすっかり慣れ、それなりに忙しい日々を送っている。


 先生から仕込まれた掃除の腕は完璧。花緒里かおりからお小言を貰ったことは一度もない。

 料理の腕に関しても問題ない。亜音あのんからは絶賛を受けており、今では殆ど毎日、夕食時には厨房の手伝いに入っているほどだ。椿姫つばきの手伝いにしても同様だった。元探索者としての身体能力をそれなりに発揮し、庭園の草刈りに於いては、獅子奮迅の活躍を見せている。


 しかしそんな織羽おりはには現在、ある悩みがあった。というよりも、メイドとしてここへ来てから、ずっと抱え続けている悩みだ。


 例えば、ついこの間の出来事。

 学園が休みであった土曜日、織羽おりははせっせと凪の下へお茶を届けに行った。側付きの世話役として、学園以外でもコミュニケーションを取ろうとしたのだ。そうして凪から頂戴した言葉が――――


「いらないわ。仕事に戻りなさい」


 机で読書をしていた凪は、織羽おりはの方に一瞥もくれずにそう言った。冷たいという程ではないが、しかしただ淡々と。


 そしてその次の日、つまりは日曜日。

 白凪館へと遊びに来たリーナへと、お茶とお菓子を届けた時のこと。身分的には比べるべくもないが、しかしリーナは仮にも同じ学園に通う者同士であり、既に知らぬ仲ではない。彼女の方も織羽おりはとは仲良くしてくれているし、頻繁に話しかけてもくれる。故に凪とリーナ、二人の会話にも多少は加われると思ったのだが――――


「ありがとう。下がっていいわよ」


 この有り様である。

 入学からこちら、学園生活に於けるあれやこれやで、少しは凪との関係も進展したかと思いきや。実際には殆ど何も変わってはおらず、良好な主従関係にあるとは未だ言い難い状況であった。これこそが織羽おりはの抱える悩みであり、目下最優先でなんとかしなければならない事柄だ。そんな現状を打破するべく、織羽おりはは助けを求めることにした。相談相手はもちろん、先輩である亜音あのん椿姫つばきの二人だ。


 ある日の深夜、全てのメイド業務を終えたあと。

 織羽おりはの部屋へと呼び出された亜音あのん椿姫つばきは、まるでお泊り会でもするかのような装いで登場した。亜音あのんは少し子供っぽい、随分と可愛らしいピンク色のパジャマであった。ナイトキャップとマイ枕まで持参しているあたり、下手をすると、本当に泊まるつもりで来ているのかも知れない。

 対する椿姫つばきはといえば、どこかセクシーな印象を受けるキャミソール姿であった。おそらくはこれが普段寝る時の格好なのだろうが――彼女の豊満な身体を隠すには、少々面積が少なすぎた。ともあれ、設定上は織羽おりはも同性である。動揺しては逆におかしくなるが故に、へと視線を固定しないよう酷く苦労させられた。


 そんな二人を招いて行われた相談会。その口火を切ったのは、織羽おりはの放った切実な一言であった。


「なんだか、壁を感じるんですよね」


 織羽おりはの言葉を聞いた二人は、さもありなんとでも言わんばかりに、うんうんと大げさに頷いていた。


「うんうん、分かるよぉー!」


「わ、私達も似たような感じ、だと思いますよぉ……」


 何かアドバイスでも貰えれば、と期待していた織羽おりはからすれば、そんな二人の言葉は予想外のものであった。むしろ『同士を得た』とでも言いたげな表情さえ見せている。曰く、凪の二人に対する態度は、織羽おりはに対するそれと大差がないとのことである。無論多少は差もあるだろうが、それもほとんど誤差の範疇らしい。


「ここに来て、もう五年くらいになるけどねー。私も、最初の頃とあんまり変わってないかなーって思うよ」


「あ、わ、私もですぅ……冷たくされているとは思わないんですけどぉ……親しいかって言われると、全然そんなことはないですぅ……」


 二人の表情を見るに、嘘をついているというわけでも、ましてや同情から織羽おりはに話を合わせている、という風にも見えなかった。それはつまり、九奈白凪という少女は織羽おりはだけでなく、使用人の誰にも心を開いていないということ。同じ館の中で生活し、毎日顔を合わせているというのに、だ。五年前からここで厨房を任されているという、亜音あのんですらそうなのだ。まだ雇用からひと月も経っていない織羽おりはが、凪と親しくなれる筈もなかった。


「そう! そうなんですよ! 嫌われてるって感じじゃないんですよ。ただなんというか、バリアを張られている気がする、と言いますか……」


「そうなんだよねぇー。折角お仕えしてるわけだし、出来ればもっと親睦を深めておきたいよね。特にオリオリ、日中はほとんどお嬢様と一緒にいるもんね」


「わ、私はこういう性格なので、その、アレですけど……亜音あのんちゃんや織羽おりはさんなら、もっと仲良くなっててもいいような気がしますぅ」


 主と使用人という関係を考えれば、三人の言っていることはある種の不敬である。しかし良くも悪くも、三人は根っからの使用人ではなかった。故に一般的な視点から『どうせなら仲良くやりたい』という考えが出てきてしまうのだ。尤も、三人の中で織羽おりはだけは、ただの純粋な気持ちというわけではなかったが。織羽おりはが凪との関係を深めておきたい理由は言わずもがな、ただ任務の為である。


「うーん……先輩のお二人なら、何かいい方法を知っているかと思ったんですけど」


「お役に立てなくてゴメンね! むしろ何かいい方法があったら教えて欲しいくらいだよ」


 わざわざ夜中に集まってもらったというのに、しかし織羽おりはの思惑は空振りに終わる。ともすれば、より一層謎が深まったと言えるのかもしれない。するとそこで、椿姫つばきがおずおずと挙手をする。まるで何かいい案でも思いついたかのように。


「あの……花緒里かおりさんに聞いてみるのはどうでしょう……? 多分ですけど……この館で唯一、お嬢様からの信頼を得ている人物だと思いますぅ……」


 椿姫つばきの案。

 それはこの館で一番の古株であろう、花緒里かおりにアドバイスを求めるというものであった。


「あ、それは私も思いました。花緒里かおりさんに対する態度だけ、なんだか特別な気がするんですよね」


 凪の花緒里かおりに対する態度は、他の三人へのそれとは明らかに異なる。

 それがどういった理由から来るものなのかはまるで分からないが、しかし事実として、花緒里かおりは凪からの信頼を得ているように見える。確かに、アドバイスを求める相手としてはこれ以上ない人選と言えるだろう。織羽おりはに勝るとも劣らない、あの完璧が服を着て歩いているかのようなメイド長であれば。


 そんな椿姫つばきの案を聞いた織羽おりは亜音あのんは、しかし微妙に顔を曇らせる。


「……花緒里かおりさんに聞くの、なんかちょっと怖くないですか?」


「わかる。いや、別に花緒里かおりさんが怖いわけじゃないんだけど……なんか凄みがあるというか、緊張するというか……」


 そう。

 こう言うと失礼なのかもしれないが、しかし花緒里かおり花緒里かおりで、どこか得体が知れない相手なのだ。常に微笑みを絶やさず、所作は美しく、そして仕事は完璧で。一階で姿を見たかと思えば、いつの間にか中庭に居たりする。何処にも姿が見えないかと思えば、いつの間にか背後から仕事ぶりをチェックしていたりする。いっそメイドのお化けとでも言われた方がしっくりくるかのような、そんな印象を受ける女性である。


「だって花緒里かおりさんの苗字、狩間ですよ? 絶対に、物語終盤で裏切るタイプの苗字じゃないですか」


「んふッ、あはははは! 確かに! 言われてみればなんとなくそれっぽいかも!」


「あ……その、失礼なんじゃ……?」 


 アドバイスを求める、などという話はどこへやら。

 話題はいつの間にか、花緒里かおりの持つ謎のイメージの話へと変わっていた。織羽おりはが言っているのは何の根拠もない、本当にただの偏見でしかない。どこの世界に於いても、上司についての話というものは盛り上がるものである。たとえそれが悪口でなくとも、その内容が下らないものであればあるほど。そうして一度でも話題が脱線すれば、二度と戻ることはないのが世の常だ。続く話題はここ数週間で織羽おりはが見つけた『あるある』に始まり、亜音あのん秘蔵の裏話、果ては椿姫つばきによる山なし落ちなしのなどなど。結局この後、三人の会話が相談会へと戻ることはなかった。


 凪の信頼を得る糸口はまるで見つからなかったが、しかしその代わり、下っ端メイド三人の仲は確かに深まったのであった。


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