「ダンジョン実習、ですか……」
階段状になった教室の最後列にて、
それはつい先程の授業で説明された、学期末に行われる恒例行事の話であった。生徒ではない
そんな中聞こえてきた『ダンジョン実習』なる怪しい単語。少し考えれば、その内容にも大凡の予想は付くが――
(流石は迷宮都市内の学園だなぁ……でも、こんなお嬢様学校でやる意味あるのかな)
恐らくは、一般的な学園でいうところの社会科見学の一環、といった位置づけの行事だろう。だが
「この学園では学科に関係なく、毎年やっている事よ。確かにこの学園には、探索者を目指す子は殆どいない。けれど、ここは迷宮都市だもの。どんな仕事をするにしても、ダンジョンとは関わることになる。この街で生きていく以上『ダンジョンについて何も知りません』では話にならないわ。たとえお金持ちの娘でもね」
彼女は普段無愛想な癖に、時折こうして面倒見のいい部分を見せる。ただの気まぐれかも知れないが。
「僭越ながら申し上げますが……危険ではありませんか? リスクをゼロにする事は出来ないと思うのですが」
「そうね。でも見学するのは低層だけだし、教師に加えて、腕利きの探索者も護衛に付くわ。怪我人が出たという話は、これまで聞いたことがないわね」
「……そうでしたか」
凪の様子を見るに、どうやら件の実習は『なんてことのないイベントのひとつ』としてすっかり定着しているらしい。
そもそもの話、ダンジョンとは何か。
既に世界中でありふれたものとなっているダンジョンだが、端的に言えば『よく分かっていない』である。発生した原因も、発生する法則も、世界中にどれだけあるのかも、その殆どが解明されていない。内部には『魔物』と呼ばれる敵対生物が存在する事と、人間にとって有用な資源が産出されること。ハッキリと言えることはこのふたつだけだ。そして、そんな危険地帯へと赴き、様々なものを持ち帰ることで生業としている者。それが所謂『探索者』である。
この学園に通う生徒達は、将来『探索者』を
「いずれにしても、まだ先の話よ」
「そうですね」
護衛兼メイドとしては気になる部分も多かったが、お嬢様方が納得しているのならば是非もない。
そうして
* * *
同日、帰宅途中のこと。
九奈白市の通りには、観光客や金持ち向けといった様子の、お洒落な路面店が多く軒を連ねている。そんな通り沿いの店へとちらちら視線を送っていたリーナが、いよいよ我慢の限界だと声を上げた。
「折角ですから、皆さんでおやつでも食べて帰りませんか?」
リーナは日本に来てまだ日が浅く、また先日トラブルに巻き込まれた件もあり、未だ自由に市内の散策が行えずにいた。好奇心旺盛な彼女のことだ、本来ならば自由にあちこちを見て回りたいだろうに。そんなリーナの気持ちを知っているからか、彼女の付き人である二人――学外で護衛を担当するルーカスと、学内で世話役をしているマリカの付き人兄妹である――は異論を挟まない。そうして決定権は凪へと委ねられることとなった。
無愛想かつクールな主ならば、どうせ適当な理由をつけて断るのだろう。凪と出会ったばかりの頃であれば、
「……仕方ないわね。少しだけよ」
そう、意外にも凪は断らないのだ。
そのツンツンとした表情からは想像出来ないが、彼女はこれで、意外と話の分かる少女なのだ。少なくとも相手の話を、頭ごなしに切って捨てるということはしない。ともすれば金持ちのご令嬢がする事とは思えない、今回のような買い食いの提案でさえも、だ。否、流石に店内には入るであろうから、買い食いとは呼べないかもしれないが――何れにしろ、凪はリーナの誘いを断らなかっただろう。凪もまた、リーナが日本に来てからこちら、まだあまり遊べていない事を察しているのだ。冷たいように見えて、実は他人のことをよく見ている。これは
「わーい! 凪さん、ありがとうございます!」
「分かったからはしゃがないで頂戴。ただでさえ目立つんだから、貴女は」
「目立つのは私だけの所為じゃないと思いますけど……」
そう言うと、リーナが凪と
「何か言ったかしら?」
「いえ、なんでもありません! えっと……そうです! 実はこの街のパンフレットで、オシャンティーな喫茶店を見つけてあるんです!」
リーナが要らぬ発言を誤魔化すように、怪しい日本語――それも死語だ――を繰り出しつつ歩き出す。恐らくは事前に預けてあったのだろう。マリカから観光案内用のパンフレットを受け取り、そのまま少し歩いた後、通りの角を曲がる。
「えっと……地図によればこの角を曲がった先に――あれ?」
するとそこで、何かに気づいた様子でリーナが立ち止まった。
角を曲がった先、丁度リーナが目指していた喫茶店のすぐ前に、なにやら黒山の人だかりが出来ていた。見ればどうやら、
「何かの事件でしょうか? というかアレ、行きたかったお店の前なんですけど」
「お嬢様、少しお下がり下さい」
「あ、ごめんなさいルーカス」
まだ距離は遠いが、しかし主の身を案じたルーカスが前に出る。その脇をマリカが固め、素早く盤石の布陣を敷いていた。一方の
「あら素敵。貴女は私の前には出ないのかしら?」
それに気づいた凪が、挑発的な笑みと共に
先程もそうであったように、凪はこれで意外と他人のことをよく観察している。今回のこれも、恐らくはその一環であろう。一見すると慇懃なメイドだが、しかしその実、飄々として掴みどころのない
「その必要はありません」
「……? どういう意味――」
これが通常の付き人だったなら、主にそう言われれば、慌てた様子で前に出ることだろう。
しかし
その次の瞬間、人だかりの方から大きな破裂音が聞こえてきた。
先程まで凪が立っていた場所を、凄まじい速度で何かが通り過ぎてゆく。そうしてその直後には、後方からけたたましい金属音が鳴り響く。
「……え?」
「ただのマンホールです。あぁ、いえ、マンホールの蓋ですね」
凪が後ろを振り向いてみれば、そこには確かに、金属の塊ががらんがらんと転がっていた。ルーカスもしっかりと反応していたらしく、リーナとマリカを庇いながらその場で屈み込んでいる。酷くどうでもいい言葉の訂正をしつつ、凪の肩を抱いて呑気に突っ立っている
「何かの事故でしょうか。危ないですね」
「……貴女」
まるで何事もなかったかのようにそう告げる
「大丈夫ですか!? 怪我はありませんか!?」
そうして事情を説明し始める
曰く、追跡中だった犯罪探索者が下水道へと逃げ込んだらしく、地下で戦闘を行っていたとの事である。そうして付近のマンホールを封鎖していたところで、今の事故(?)が起こったらしい。話を聞いてみればなんとも迷宮都市らしい、実に豪快な話であった。
「九奈白市は治安がいい街と聞いていたのですが……だいぶ怪しくなってきましたね」
「こんなことは滅多に無い――と言いたいところだけど、確かに最近は立て続けに起こっているわね。頭の痛い話だわ……」
この街の支配者たる九奈白家、その実の娘である凪が頭を抱える。
だが幸いにも、集まっていた人たちも含めこの場に怪我人はいなかったらしい。現在も犯人は追跡中とのことで、
「……どうします? このまま喫茶店、行きますか?」
「興が削がれたわね……今回は無かったことに――」
そんな気分ではなくなったと、そう凪が告げようとした時。
「そんなの嫌です! こうなったら意地でも行きますよ!」
楽しみにしていた喫茶店探訪に邪魔が入った所為か、ぷんすこと膨らみ余計に意気込むリーナ。結局は彼女の勢いに押され、一行はそのまま喫茶店で軽食をとることになった。特にリーナとマリカが大量に注文したおかげで、結構な滞在時間となってしまう。しかしそんなリーナのスイーツに対する情熱が、凪が僅かに感じていた違和感をすっかり洗い流してくれていた。