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第15話

「ダンジョン実習、ですか……」


 階段状になった教室の最後列にて、織羽おりはが考え込むような仕草を見せていた。

 それはつい先程の授業で説明された、学期末に行われる恒例行事の話であった。生徒ではない織羽おりはは授業中、基本的には凪の隣ですんっとしているだけである。今日の夕食は何だとか、椿姫つばきは虫に襲われていないだろうかとか、そんな益体もない考え事をしているのだ。


 そんな中聞こえてきた『ダンジョン実習』なる怪しい単語。少し考えれば、その内容にも大凡の予想は付くが――


 (流石は迷宮都市内の学園だなぁ……でも、こんなお嬢様学校でやる意味あるのかな)


 恐らくは、一般的な学園でいうところの社会科見学の一環、といった位置づけの行事だろう。だが織羽おりはに言わせれば、それは得られるであろう経験に比べて、リスクの方が高い行為にしか思えなかった。少なくとも、探索者を目指しているわけでもないお嬢様方にやらせるような授業ではない。


「この学園では学科に関係なく、毎年やっている事よ。確かにこの学園には、探索者を目指す子は殆どいない。けれど、ここは迷宮都市だもの。どんな仕事をするにしても、ダンジョンとは関わることになる。この街で生きていく以上『ダンジョンについて何も知りません』では話にならないわ。たとえお金持ちの娘でもね」


 織羽おりはの呟きが聞こえたのだろう。意外にも、凪は丁寧な解説をしてくれた。

 彼女は普段無愛想な癖に、時折こうして面倒見のいい部分を見せる。ただの気まぐれかも知れないが。


「僭越ながら申し上げますが……危険ではありませんか? リスクをゼロにする事は出来ないと思うのですが」


「そうね。でも見学するのは低層だけだし、教師に加えて、腕利きの探索者も護衛に付くわ。怪我人が出たという話は、これまで聞いたことがないわね」


「……そうでしたか」


 凪の様子を見るに、どうやら件の実習は『なんてことのないイベントのひとつ』としてすっかり定着しているらしい。


 そもそもの話、ダンジョンとは何か。

 既に世界中でありふれたものとなっているダンジョンだが、端的に言えば『よく分かっていない』である。発生した原因も、発生する法則も、世界中にどれだけあるのかも、その殆どが解明されていない。内部には『魔物』と呼ばれる敵対生物が存在する事と、人間にとって有用な資源が産出されること。ハッキリと言えることはこのふたつだけだ。そして、そんな危険地帯へと赴き、様々なものを持ち帰ることで生業としている者。それが所謂『探索者』である。


 この学園に通う生徒達は、将来『探索者』を使側になる者が多いだろう。そんな彼らが実際の現場を知っておくことは、確かに必要なことなのかもしれない。ある意味の行事というべきか。それでも織羽おりはが危険だと感じてしまうのは、やはり市外からやってきた人間だからなのか。微妙に納得しかねる行事ではあるが、しかし織羽おりはがあれこれ言ったところでどうなるものでもない。


「いずれにしても、まだ先の話よ」


「そうですね」


 護衛兼メイドとしては気になる部分も多かったが、お嬢様方が納得しているのならば是非もない。

 そうして織羽おりはは、諸々の懸念を未来の自分へと全てを丸投げすることにした。




       * * *




 同日、帰宅途中のこと。

 九奈白市の通りには、観光客や金持ち向けといった様子の、お洒落な路面店が多く軒を連ねている。そんな通り沿いの店へとちらちら視線を送っていたリーナが、いよいよ我慢の限界だと声を上げた。


 「折角ですから、皆さんでおやつでも食べて帰りませんか?」


 リーナは日本に来てまだ日が浅く、また先日トラブルに巻き込まれた件もあり、未だ自由に市内の散策が行えずにいた。好奇心旺盛な彼女のことだ、本来ならば自由にあちこちを見て回りたいだろうに。そんなリーナの気持ちを知っているからか、彼女の付き人である二人――学外で護衛を担当するルーカスと、学内で世話役をしているマリカの付き人兄妹である――は異論を挟まない。そうして決定権は凪へと委ねられることとなった。


 無愛想かつクールな主ならば、どうせ適当な理由をつけて断るのだろう。凪と出会ったばかりの頃であれば、織羽おりははそう考えていたかもしれない。だが織羽おりはが白凪館へ務めるようになってから、もうかれこれ二週間程になる。そろそろ凪の性格も掴み始めてきた頃だ。こんな時彼女がなんと答えるのか、織羽おりはには大凡の予想が出来るようになっていた。


「……仕方ないわね。少しだけよ」


 そう、意外にも凪は断らないのだ。

 そのツンツンとした表情からは想像出来ないが、彼女はこれで、意外と話の分かる少女なのだ。少なくとも相手の話を、頭ごなしに切って捨てるということはしない。ともすれば金持ちのご令嬢がする事とは思えない、今回のような買い食いの提案でさえも、だ。否、流石に店内には入るであろうから、買い食いとは呼べないかもしれないが――何れにしろ、凪はリーナの誘いを断らなかっただろう。凪もまた、リーナが日本に来てからこちら、まだあまり遊べていない事を察しているのだ。冷たいように見えて、実は他人のことをよく見ている。これは織羽おりはがこの数週間で発見した、凪の美点であるといえる。


「わーい! 凪さん、ありがとうございます!」


「分かったからはしゃがないで頂戴。ただでさえ目立つんだから、貴女は」


「目立つのは私だけの所為じゃないと思いますけど……」


 そう言うと、リーナが凪と織羽おりはを交互に見つめる。よく見れば背後に控えたルーカスとマリカもまた、主と同様にしていた。


「何か言ったかしら?」


「いえ、なんでもありません! えっと……そうです! 実はこの街のパンフレットで、オシャンティーな喫茶店を見つけてあるんです!」


 リーナが要らぬ発言を誤魔化すように、怪しい日本語――それも死語だ――を繰り出しつつ歩き出す。恐らくは事前に預けてあったのだろう。マリカから観光案内用のパンフレットを受け取り、そのまま少し歩いた後、通りの角を曲がる。


「えっと……地図によればこの角を曲がった先に――あれ?」


 するとそこで、何かに気づいた様子でリーナが立ち止まった。

 角を曲がった先、丁度リーナが目指していた喫茶店のすぐ前に、なにやら黒山の人だかりが出来ていた。見ればどうやら、治安維持部隊ガーデンの姿もちらほらと確認出来る。十中八九、何かしらのトラブルが起きている様子であった。


「何かの事件でしょうか? というかアレ、行きたかったお店の前なんですけど」


「お嬢様、少しお下がり下さい」


「あ、ごめんなさいルーカス」


 まだ距離は遠いが、しかし主の身を案じたルーカスが前に出る。その脇をマリカが固め、素早く盤石の布陣を敷いていた。一方の織羽おりははといえば、未だ凪の後方に控えたままである。


「あら素敵。貴女は私の前には出ないのかしら?」


 それに気づいた凪が、挑発的な笑みと共に織羽おりはを弄る。大して思ってもいないだろうに『素敵』だなどと、ルーカス達を引き合いにして。

 先程もそうであったように、凪はこれで意外と他人のことをよく観察している。今回のこれも、恐らくはその一環であろう。一見すると慇懃なメイドだが、しかしその実、飄々として掴みどころのない織羽おりは。あわよくばその内面を暴いてやろう――とでもいったところだろうか。だが、そんな凪の思惑は外れることになる。


「その必要はありません」


「……? どういう意味――」


 これが通常の付き人だったなら、主にそう言われれば、慌てた様子で前に出ることだろう。

 しかし織羽おりはは表情を変えること無く、そっと凪の肩を抱き、そのまま少しだけ自分の方へと引き寄せる。これまでに見せたことのない織羽おりはの意外な行動に、凪は一瞬の驚きを見せ――


 その次の瞬間、人だかりの方から大きな破裂音が聞こえてきた。

 先程まで凪が立っていた場所を、凄まじい速度で何かが通り過ぎてゆく。そうしてその直後には、後方からけたたましい金属音が鳴り響く。


「……え?」


「ただのマンホールです。あぁ、いえ、マンホールの蓋ですね」


 凪が後ろを振り向いてみれば、そこには確かに、金属の塊ががらんがらんと転がっていた。ルーカスもしっかりと反応していたらしく、リーナとマリカを庇いながらその場で屈み込んでいる。酷くどうでもいい言葉の訂正をしつつ、凪の肩を抱いて呑気に突っ立っている織羽おりは。対して、如何にも護衛らしい動きを見せたルーカス。一見すれば後者の方が優れているように見えるが、しかし凪は別のものを感じていた。彼女の勘違いでなければ、織羽おりはは今確かに、破裂音が聞こえるよりも先に――


「何かの事故でしょうか。危ないですね」


「……貴女」


 まるで何事もなかったかのようにそう告げる織羽おりは。それに対して凪が何かを言おうとして、しかし邪魔が入る。見れば人だかりの方から治安維持部隊ガーデンの隊員が一人、こちらに向かって駆け寄ってきていた。


 「大丈夫ですか!? 怪我はありませんか!?」


 そうして事情を説明し始める治安維持部隊ガーデンの男性隊員。

 曰く、追跡中だった犯罪探索者が下水道へと逃げ込んだらしく、地下で戦闘を行っていたとの事である。そうして付近のマンホールを封鎖していたところで、今の事故(?)が起こったらしい。話を聞いてみればなんとも迷宮都市らしい、実に豪快な話であった。


「九奈白市は治安がいい街と聞いていたのですが……だいぶ怪しくなってきましたね」


「こんなことは滅多に無い――と言いたいところだけど、確かに最近は立て続けに起こっているわね。頭の痛い話だわ……」


 この街の支配者たる九奈白家、その実の娘である凪が頭を抱える。

 だが幸いにも、集まっていた人たちも含めこの場に怪我人はいなかったらしい。現在も犯人は追跡中とのことで、治安維持部隊ガーデンの隊員は足早にその場を去っていった。


「……どうします? このまま喫茶店、行きますか?」


「興が削がれたわね……今回は無かったことに――」


 そんな気分ではなくなったと、そう凪が告げようとした時。


「そんなの嫌です! こうなったら意地でも行きますよ!」


 楽しみにしていた喫茶店探訪に邪魔が入った所為か、ぷんすこと膨らみ余計に意気込むリーナ。結局は彼女の勢いに押され、一行はそのまま喫茶店で軽食をとることになった。特にリーナとマリカが大量に注文したおかげで、結構な滞在時間となってしまう。しかしそんなリーナのスイーツに対する情熱が、凪が僅かに感じていた違和感をすっかり洗い流してくれていた。


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