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第13話

 入学式。

 それは人生の新たな区切り。基本的には大変おめでたい行事であり、参加する殆ど全ての者が、夢と希望に胸を膨らませる日である。

 そんなめでたい日にあって、しかし織羽おりはは内心をどんよりと曇らせていた。無論、表面上は平静を装ってはいるが。


 理由はいくつかある。


 まず最初に、凪との仲が殆ど進展していないこと。

 織羽おりはが白凪館の一員となってからこれまで、凪に呼びつけられることは一度たりともなかった。仮にも側仕えとして雇われたというのに、だ。

 凡そ金持ちの令嬢らしからぬ事だが、凪は基本的に、自分のことは自分でやってしまうタイプだ。着替えなどは当然として、お茶を淹れるのも、部屋の片付けもそう。些事といって差し支えないような用件では、わざわざメイドを呼び出したりはしない。手のかからないお嬢様、といえば聞こえはいいが――――信頼を獲得したかった織羽おりはとしては、そのあまりのノーチャンスぶりに頭を抱えたくなるほどだった。


  結果、亜音あのん椿姫つばきの手伝いを行いつつ、あとはひたすら館内の掃除に明け暮れることとなった。おかげで、彼女らからは随分と良い評価を頂いている。しかし肝心の凪からは加点も減点もなく、未だフラットな状態となっている。強いて言えばいつぞやの夕食時、織羽おりはが手伝いで作った料理が、少し褒められたくらいだろうか。


 だが今、織羽おりはを曇らせている最たる理由は、それとは別のところにあった。

 すなわち――――


 (……なんかすっごい目立ってるんですけど)


 周囲から突き刺さる好奇の目、である。 

 しかし織羽おりはの前を歩いている凪はといえば、まるで意に介していない様子であった。流石は国内でも有数のお嬢様といったところだろうか。彼女自身の優れた容姿も相まって、金持ち界隈での知名度も高い。恐らくは衆目を集めることに慣れているのだろう。背筋を伸ばし、凛とした姿でただ黙々と歩いている。


 これが凪への視線だけであれば、まだよかったのだ。

 付き人として凪の少し後ろを歩いている織羽おりはだが、そんな織羽おりはへの視線もまた、凪と同程度に向けられているのが問題だった。気のせいだとも思いたかったが、しかし職業柄、視線や気配といったものには敏感な織羽おりはである。自らに向けられた『それ』を間違えるはずもない。


 メイドを連れているのが珍しい、というわけでもないだろう。

 流石は名高いお嬢様学校だ。全員が全員というわけではないが、しかし少し周囲を見渡しただけで、付き人を連れているお嬢様方が一定数存在しているのが分かる。では、何故自分たちはこれほどまでに注目されているのか。その答えは、ほんの少し耳を澄ませるだけで判明した。


 ――わぁ……綺麗なメイドさん


 ――あれが九奈白家のご令嬢……流石、付き人も一流だわ


 ――主従揃ってビジュアルヤバぁ


 ――いいなぁ……私も、あんな美人のメイドさんにお世話されてみたい


 好奇、羨望、憧憬。

 それは今までの人生に於いて、織羽おりはにはまるで縁のなかった感情。それらは本来、ただの称賛として受けるべき言葉だ。気恥ずかしさを感じることこそあれど、気分を落ち込ませるようなものではない。しかし織羽おりはには、周囲のそんな声を素直に受け取る事が出来ない理由がある。


(いや、ボク男だし……)


 そう。どれだけ褒められようと、そもそもの前提が違うのだ。

 メイドとしての矜持は『先生』から叩き込まれている織羽おりはだが、だからといって女装を受け入れている訳では無い。美人だのなんだのと褒めそやされても、どうしたって複雑な心境にしかなれない。加えて現在の織羽おりはは端的に言って、『メイド姿に女装して学園に侵入している変質者』でしかないのだ。いくら任務の為に仕方なくとは言っても、事実だけを見れば相当なヤバさだ。これで喜ぼうものならば、いよいよ人として終わりである。


 そんな織羽おりはの様子に気づいたのか、振り返ることなく凪が話しかけてきた。


「意外ね。もっと慣れているものだと思っていたのだけれど」


 意外というのなら、むしろ織羽おりはの方こそ意外であった。

 凪が自ら話を振ってくる事など、これまで数える程度にしかなかったというのに。そう思いはしたが、流石にそれをそのまま口に出したりはしない。ナチュラルに失礼な性格をしている織羽おりはではあるが、ある程度の線引きはちゃんとしてあるのだ。


「……いえ、こういった状況は初めてです」


「一体どこの山奥から来たのかしら? それだけ外見が良ければ、言い寄る男の一人や二人はいそうなものだけれど」


「実は私、ダンジョンの奥から這い出てきた魔物なんです」


「ふふ……つまらないわね。零点よ」


 織羽おりは渾身の小粋なジョークは空振りに終わる。軽く笑いを誘ったかと思いきや、凪は終始真顔であった。残念ながら凪の琴線には触れなかったらしい。ある意味、全くの冗談というわけでもなかったりするのだが――――点数がマイナスでなかっただけマシだろうか。


「早めに慣れることね」


「鋭意努力致します」 


 そうして衆目に晒されながらも、二人は式の行われる講堂へと辿り着く。

 織羽おりはが講堂内をざっと見渡したところ、新入生の数は想像していた程多くはなかった。しかし、よくよく考えればそれも当然のこと。ここ白凪学園は人気の高い学校ではあるが、そもそも入学の敷居が高い。特待生枠もあるにはあるが、その数はたかが知れている。それでも運営が成り立っているのは、偏に資産家の娘が多いからだ。謂わば少数精鋭であり、誰でも簡単に入れる学園というわけではないのだ。


 そんな特別な生徒たちが集まる学園にあって、凪は当然のように新入生代表であった。

 代表は家格などではなく、単純な入試の成績で選ばれる。つまり凪は新入生の中で、最も学業優秀な生徒ということになる。とはいえ、そんなことは随分前から――それこそ資料を見た時から分かっていたことだ。何しろ彼女は学生の身でありながら、既にいくつかの探索者向け事業を成功させた実績を持っている。むべなるかな、今更驚くようなことではない。


 この後は各自が所属するクラスへと分かれ、担任から一学期のスケジュールを説明された後、漸く解散の運びとなる。

 入学式という一大イベントを終え、これから始まる学園生活に胸を膨らませている新入生たち。そんな華やかな景色の中を、教室へと向かって仏頂面の主従が歩く。この学園にはいくつかの学科が存在するが、意外にも、凪が所属するのは迷宮情報科であった。


「意外でした。行政とか経営系じゃないんですね」


「そっちはもう随分前から学んでいるもの。折角学園に通うのなら、別の学科を選んだ方が効率が良いでしょう?」


 との事らしい。

 ちなみに迷宮情報科とはその名の通り、ダンジョン関係全般の知識を学ぶための学科である。主に探索者協会の職員を目指す者が選択する学科であり、今では徐々に人気が高まってきている学科だ。現代に於いてダンジョンは、最早なくてはならないものとなっている。将来は経営者側に回るであろうご令嬢達も、ダンジョンについて学ぶ場が必要になった、というわけだ。

 なお、実際にダンジョンへと潜る『探索者』を目指す者は、探索者科を選ぶ。当然ながら危険な職業であり、いいところのお嬢様が目指す職ではない。故にこの学園には探索者科は設置されておらず、唯一、迷宮情報科でダンジョンの体験実習が受けられる程度である。閑話休題。


 そうして二人が教室へと向かう途中、ふと凪が立ち止まった。

 そのままゆっくりと振り返り、織羽おりはへと向き直る。


「そういえば貴女、『元探』なんでしょう?」


「は、その……いえ……パンピーですよ?」


 突如投げられた凪からの問いに、織羽おりはは言葉が詰まった。『元探』とはそのまま『元探索者』の略だ。この問いかけの意味するところはひとつ。つまりは『戦闘経験があるのでしょう?』である。もはや『護衛も兼任しているのでしょう?』と言われているに等しい。依頼主より『護衛であることは隠すように』と言われている織羽おりはとしては、どうにか誤魔化す必要があるのだが――――


「別に隠さなくてもいいわ。どうせお父様から『娘の機嫌を損ねたくないからバレるな』とでも言われているのでしょう?」


 バレバレであった。


「確かに『護衛を連れて偉そうに歩くのは嫌』と言ったのは私よ。メイドを一人付けるだけなら許容する、とも言ったわね。だからといって、それを素直に受け入れる人じゃないのは知っているもの。まさかメイドと護衛を兼任出来る人材を見つけてくるとは、流石に思わなかったけれど」


「は……いえ、まぁその」


「責めているわけじゃないわ。お父様が私を心配する気持ちも、まぁ理解しているつもり。だからこの件に関しては諦めているのよ」


 父娘で言い争った末、『世話役のメイドを一人付ける』という妥協案を飲ませた。織羽おりはが事前に受けていた説明によれば、そういうことになっていたハズである。しかし実際にはそうではなく、ただ凪が折れたというだけの話であった。親の心子知らず、などとは言うが――この父娘に関して言えば、どうやら立場が逆だったようだ。当主の思惑は娘に見透かされ、織羽おりはがメイド兼護衛だということも既にバレていた。成程確かに、元探であると知られているのならば、先程のジョークも笑えない事だろう。


「……バレているのなら仕方ありません。確かに、私は護衛を兼任しております」


「素直でよろしい」


 事此処に至り、誤魔化すよりも正直になった方が心証は良いだろう。

 そう判断した織羽おりはは、ある程度までを肯定することにした。


「クビにしたりはしないから安心して頂戴。貴女をクビにしたところで、また別の誰かが付けられるだけでしょうし」


「でしょうねぇ……」


「ただ貴女にひとつだけ、お願いがあるのよ。いえ、これは命令だと思ってもらって構わないわ」


 そんな凪が、ここにきて初めて織羽おりはと正対する。至極真面目な表情で、まっすぐに織羽おりはの瞳を見つめる。


「これから先、もし本当に私が危険な目に遭ったとして――――その時は恐らく、貴女の手に負えるような状況ではないわ。今メイドをしているということは、探索業はあまりうまくいかなかったのでしょう? 貴女がだったのかは知らないけれど……護衛だからといって、私のために命を張るのはやめなさい」


 九奈白凪という少女は、織羽おりはが想像していたよりも遥かに、自らが置かれている状況を理解していた。

 世界でも有数の名家である九奈白家と、その一人娘である凪。それらを考えた時、冗談でも何でもなく誘拐や暗殺は起こり得る。

 その時襲い来る危険は、恐らく並大抵のものではないだろう。刺客が差し向けられるにしろ、陰謀に巻き込まれるにしろ、とても一人で対応出来るものではない。ましてや『エターナルヘヴン』などという、如何わしい会社に所属する兼業メイドでは。故に凪は言っているのだ。いざとなったら自分を見捨てろ、と。


 意外であった。

 織羽おりはは凪の事を、『他人に興味がない』人間なのだと思っていた。

 だが、どうやらそうではない。その本心が何処にあるのかは未だ知れないが、しかし少なくとも、ただ冷たいだけの少女ではなかった。そう思えば、普段のクールな態度ですらどこか可愛く見えてくるではないか。酷く剣呑な会話内容ではあったが、織羽おりはは内心でニヨニヨと笑顔を浮かべていた。


 そんな随分と心温まる命令であったが――――しかし、凪は勘違いをしている。

 今彼女の目の前に居るのは、如何わしい派遣会社に所属する兼業メイドなどではない。が起きたとして、唯の一人でも対処出来るからこそ、こうして今此処に居るのだ。


 故に。

 同性――表向きはだが――の凪ですら見惚れてしまいそうな微笑みを浮かべ、織羽おりははこう答えた。


「お断りします」


「ならクビよ」


「あ、はい。すみません見捨てます」


 ほんの少しだけ、主従の仲が深まったような気がした。



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