入学式。
それは人生の新たな区切り。基本的には大変おめでたい行事であり、参加する殆ど全ての者が、夢と希望に胸を膨らませる日である。
そんなめでたい日にあって、しかし
理由はいくつかある。
まず最初に、凪との仲が殆ど進展していないこと。
凡そ金持ちの令嬢らしからぬ事だが、凪は基本的に、自分のことは自分でやってしまうタイプだ。着替えなどは当然として、お茶を淹れるのも、部屋の片付けもそう。些事といって差し支えないような用件では、わざわざメイドを呼び出したりはしない。手のかからないお嬢様、といえば聞こえはいいが――――信頼を獲得したかった
結果、
だが今、
すなわち――――
(……なんかすっごい目立ってるんですけど)
周囲から突き刺さる好奇の目、である。
しかし
これが凪への視線だけであれば、まだよかったのだ。
付き人として凪の少し後ろを歩いている
メイドを連れているのが珍しい、というわけでもないだろう。
流石は名高いお嬢様学校だ。全員が全員というわけではないが、しかし少し周囲を見渡しただけで、付き人を連れているお嬢様方が一定数存在しているのが分かる。では、何故自分たちはこれほどまでに注目されているのか。その答えは、ほんの少し耳を澄ませるだけで判明した。
――わぁ……綺麗なメイドさん
――あれが九奈白家のご令嬢……流石、付き人も一流だわ
――主従揃ってビジュアルヤバぁ
――いいなぁ……私も、あんな美人のメイドさんにお世話されてみたい
好奇、羨望、憧憬。
それは今までの人生に於いて、
(いや、ボク男だし……)
そう。どれだけ褒められようと、そもそもの前提が違うのだ。
メイドとしての矜持は『先生』から叩き込まれている
そんな
「意外ね。もっと慣れているものだと思っていたのだけれど」
意外というのなら、むしろ
凪が自ら話を振ってくる事など、これまで数える程度にしかなかったというのに。そう思いはしたが、流石にそれをそのまま口に出したりはしない。ナチュラルに失礼な性格をしている
「……いえ、こういった状況は初めてです」
「一体どこの山奥から来たのかしら? それだけ外見が良ければ、言い寄る男の一人や二人はいそうなものだけれど」
「実は私、ダンジョンの奥から這い出てきた魔物なんです」
「ふふ……つまらないわね。零点よ」
「早めに慣れることね」
「鋭意努力致します」
そうして衆目に晒されながらも、二人は式の行われる講堂へと辿り着く。
そんな特別な生徒たちが集まる学園にあって、凪は当然のように新入生代表であった。
代表は家格などではなく、単純な入試の成績で選ばれる。つまり凪は新入生の中で、最も学業優秀な生徒ということになる。とはいえ、そんなことは随分前から――それこそ資料を見た時から分かっていたことだ。何しろ彼女は学生の身でありながら、既にいくつかの探索者向け事業を成功させた実績を持っている。むべなるかな、今更驚くようなことではない。
この後は各自が所属するクラスへと分かれ、担任から一学期のスケジュールを説明された後、漸く解散の運びとなる。
入学式という一大イベントを終え、これから始まる学園生活に胸を膨らませている新入生たち。そんな華やかな景色の中を、教室へと向かって仏頂面の主従が歩く。この学園にはいくつかの学科が存在するが、意外にも、凪が所属するのは迷宮情報科であった。
「意外でした。行政とか経営系じゃないんですね」
「そっちはもう随分前から学んでいるもの。折角学園に通うのなら、別の学科を選んだ方が効率が良いでしょう?」
との事らしい。
ちなみに迷宮情報科とはその名の通り、ダンジョン関係全般の知識を学ぶための学科である。主に探索者協会の職員を目指す者が選択する学科であり、今では徐々に人気が高まってきている学科だ。現代に於いてダンジョンは、最早なくてはならないものとなっている。将来は経営者側に回るであろうご令嬢達も、ダンジョンについて学ぶ場が必要になった、というわけだ。
なお、実際にダンジョンへと潜る『探索者』を目指す者は、探索者科を選ぶ。当然ながら危険な職業であり、いいところのお嬢様が目指す職ではない。故にこの学園には探索者科は設置されておらず、唯一、迷宮情報科でダンジョンの体験実習が受けられる程度である。閑話休題。
そうして二人が教室へと向かう途中、ふと凪が立ち止まった。
そのままゆっくりと振り返り、
「そういえば貴女、『元探』なんでしょう?」
「は、その……いえ……パンピーですよ?」
突如投げられた凪からの問いに、
「別に隠さなくてもいいわ。どうせお父様から『娘の機嫌を損ねたくないからバレるな』とでも言われているのでしょう?」
バレバレであった。
「確かに『護衛を連れて偉そうに歩くのは嫌』と言ったのは私よ。メイドを一人付けるだけなら許容する、とも言ったわね。だからといって、それを素直に受け入れる人じゃないのは知っているもの。まさかメイドと護衛を兼任出来る人材を見つけてくるとは、流石に思わなかったけれど」
「は……いえ、まぁその」
「責めているわけじゃないわ。お父様が私を心配する気持ちも、まぁ理解しているつもり。だからこの件に関しては諦めているのよ」
父娘で言い争った末、『世話役のメイドを一人付ける』という妥協案を飲ませた。
「……バレているのなら仕方ありません。確かに、私は護衛を兼任しております」
「素直でよろしい」
事此処に至り、誤魔化すよりも正直になった方が心証は良いだろう。
そう判断した
「クビにしたりはしないから安心して頂戴。貴女をクビにしたところで、また別の誰かが付けられるだけでしょうし」
「でしょうねぇ……」
「ただ貴女にひとつだけ、お願いがあるのよ。いえ、これは命令だと思ってもらって構わないわ」
そんな凪が、ここにきて初めて
「これから先、もし本当に私が危険な目に遭ったとして――――その時は恐らく、貴女の手に負えるような状況ではないわ。今メイドをしているということは、探索業はあまりうまくいかなかったのでしょう? 貴女が
九奈白凪という少女は、
世界でも有数の名家である九奈白家と、その一人娘である凪。それらを考えた時、冗談でも何でもなく誘拐や暗殺は起こり得る。
その時襲い来る危険は、恐らく並大抵のものではないだろう。刺客が差し向けられるにしろ、陰謀に巻き込まれるにしろ、とても一人で対応出来るものではない。ましてや『エターナルヘヴン』などという、如何わしい会社に所属する兼業メイドでは。故に凪は言っているのだ。いざとなったら自分を見捨てろ、と。
意外であった。
だが、どうやらそうではない。その本心が何処にあるのかは未だ知れないが、しかし少なくとも、ただ冷たいだけの少女ではなかった。そう思えば、普段のクールな態度ですらどこか可愛く見えてくるではないか。酷く剣呑な会話内容ではあったが、
そんな随分と心温まる命令であったが――――しかし、凪は勘違いをしている。
今彼女の目の前に居るのは、如何わしい派遣会社に所属する兼業メイドなどではない。
故に。
同性――表向きはだが――の凪ですら見惚れてしまいそうな微笑みを浮かべ、
「お断りします」
「ならクビよ」
「あ、はい。すみません見捨てます」
ほんの少しだけ、主従の仲が深まったような気がした。