厨房を後にした織羽は、続いて庭園へとやってきていた。
ただでさえ広大な敷地を持つ白凪館だ。庭園部分もまた、馬鹿げた広さを持っている。
そんな庭園の中心部。
正門から正面玄関を結ぶ道のど真ん中で、一人のメイドが織羽を待ち構えていた。
「彼女がこの庭の管理をしている、百合草です」
「ゆ、百合草椿姫です。よ、よろしくお願いします……」
花緒里からの紹介を受け、 メイドとしては後輩である織羽に対して、深々と礼を行う椿姫。
緊張しているのか、或いは引っ込み思案な性格をしているのか。どこか不安そうな顔で新参の織羽を見つめていた。
身長は少なく見積もっても170cm以上。ともすれば180cmにも届くかもしれない。女性としては随分と高身長で、目を合わせようとすれば少し見上げる形となってしまう。椿姫は長い黒髪を首の後ろでまとめ、背中の方へと垂らしていた。それに比例してか、随分とご立派な胸部装甲をお持ちである。すこし汚れたメイド服を見るに、つい先程までも庭仕事を行っていたのだろうか。外見はいろいろと大きいが、しかし内面は物静か。そんな印象を受ける女性であった。
「本日よりお世話になります、織羽と申します。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
「あ、いえ、そんな……こちらこそ、よろしくお願いしますぅ」
「姓名どちらも植物に関係しているなんて、素敵なお名前ですね」
「あ、あわわ……いえ、その、ありがとうございますっ」
織羽の言葉が予想外だったのか、再びお辞儀マシーンと化してペコペコしてしまう椿姫。見た目に反し――――といえば少し失礼だろうか。ともあれ、椿姫にはどこか小動物的な可愛さがあった。織羽の中のSっ気がむくりと顔を覗かせる。
(うーん……多分この人、めちゃくちゃ面白い人だ)
とはいえ、初対面でいきなりイジるわけにもいかない。
織羽はそっと心の中で、椿姫を『面白い人リスト』へと記録した。
そうして恙無く挨拶を済ましたところで、再び花緒里からの説明が入る。
「なにぶん広い庭ですから、手隙の際には助けてあげて下さい」
「はい、畏まり――――え? もしかして、椿姫さん一人でこの庭を管理しているのですか?」
織羽が再び庭園を見渡す。とてもではないが、女性一人で管理出来る広さではない。
「あ、はい。そうですぅ……えへへ。こう見えて、植物関係の仕事には自信があるんですよぉ」
そんな織羽の疑問に、何故か照れくさそうな顔で椿姫が肯定した。『仕事には自信がある』という言葉通り、確かに庭の手入れ自体は完璧だ。荒れているところは僅かにも見られず、枯れ葉や雑草のひとつすら見当たらない。樹木は綺麗に整えられ、文句なしに一級の庭園だと言えるだろう。だがしかし、そういう問題ではない。これほど見事な庭園を一人で維持するなど、探索者ほどの身体能力があっても難しいだろう。一般人であれば尚更、物理的に不可能だ。しかし、にへらと笑う椿姫の表情は、とても嘘をついているようには見えなかった。隣の花緒里にしても至極真面目な顔をしている。
(……ま、いっか)
一体何をどうすれば、このようなことが出来るのか。
非常に興味は尽きないが、しかし織羽はそれ以上考えないようにした。これから先、彼女の仕事を手伝う機会も多々あることだろう。諸々の疑問も、恐らくはその時に解決されるハズである。
「分かりました。是非、私もお手伝いさせていただければと思います」
「わ、わぁい……ありがとうございますぅ。たすかりますぅ」
椿姫は性格的に精一杯の無理をしつつ、ぴょんぴょんと跳ねて喜びを露にする。なんとも可愛らしい仕草ではあるが、おかげで彼女の立派な一部が、それはもう大変な大暴れを見せている。もちろん織羽にとってこれはただの仕事であり、かつ重要な任務でもある。下心などあろうはずもないが、しかし眼福のような目の毒のような、或いは申し訳ないような、なんとも複雑な気持ちであった。
(早いとこ慣れないとなぁ……この任務が終わったらボク、悟りを開くんだ)
どこか遠くを見つめつつ、織羽がそんな事を考えていた時だった。三人のすぐ近くから、なにやら大きな羽音が聞こえてきた。
「――おや?」
何事かと見てみれば、そこには一匹の巨大なスズメバチの姿があった。どうというこもない、庭仕事にはありがちな一幕である。
しかしこの庭の主たる椿姫はといえば、悲鳴を上げながら花緒里の背後へと素早く隠れてしまう。図体が大きいこともあってか、身体の大半がはみ出し放題であったが。まさに頭隠さず尻隠さずである。
「ひぇぇぇぇ……」
「このとおり、彼女は虫が苦手なんです」
蜂が危険な虫だというのは確かにそうなのだが、しかし庭師としては致命的な弱点であった。
「む、虫はクソですぅ……私の大切なお花たちをむさぼり食う、最低最悪のクソどもなんですぅ……」
(おぉ……恐怖で言葉遣いが愉快なことになってる)
織羽としてはもう暫く眺めておきたい、大変微笑ましい光景であった。そもそも虫と花は花粉媒介という、ある意味では互いに助け合う関係にある。決して『植物を貪り食うクソども』というわけではないのだが、しかしそれはそれ。虫とは、人によって好き嫌いの激しい生き物だ。椿姫が苦手だというのであれば、排除してあげるのが優しさというものだろう。
瞬間、織羽の右手が掻き消える。
否、僅かに動いたかと思った次の瞬間には、いつの間にかスズメバチをその指に摘んでいた。
「――――え?」
「わ、わぁ……凄い……」
蜂を素手で摘むなど、本来であれば非常に危険な行為である。一般人であればすぐに指を刺され、あっという間に病院送りであろう。だがしかし、織羽は一般人ではない。美少女メイドの皮を被った元探索者である。魔物でもなんでもない、ただの蜂の針などが通用するはずもなく。そうして手の中で必死に暴れるスズメバチを、織羽は何事も無かったかのようにポイ捨てした。軽く放ったようにしか見えないその動作とは裏腹に、蜂はあっという間に見えなくなっていた。
「もう大丈夫ですよ」
「織羽さん、貴女……いえ、大丈夫なのですか?」
「はい。よく見ればただのミツバチでした」
あんなデカいミツバチがいるか、と言いたいところではあったが、しかし花緒里もハッキリと見ていた訳では無い。当の本人から自信満々に『ミツバチでした』と言われれば、『そうだったのかな?』と思えてしまう。
「お、織羽さん凄いですぅ! わ、私の庭に救世主が降臨しましたぁ!」
「ふふ、お任せ下さい」
不敵に笑う織羽の姿が、 椿姫にはこれ以上ないほどに頼もしく映っていた。庭木の剪定などといった仕事は専門の技術が必要だが、草刈り程度であれば誰でも出来る。これまで一人で庭の管理をしていた椿姫だ。虫を恐れない織羽は、それだけで即戦力だった。
* * *
そうして庭園での挨拶を終え、織羽と花緒里が再び館の中へと戻ってくる。
次は一体どんな面白メイドが見られるのかと、織羽は好奇心を抑えるのに必死であった。
(次はどんなおもしろキャラが出てくるのかなぁ! あ、そういえば警備担当の人はまだだったよね。そろそろ『ルール無用の残虐ファイター』みたいなのが出てくる頃かな?)
あれやこれやと想像を膨らませ、まだ見ぬ面白キャラへと思いを馳せる。そんな織羽に対して、向き直った花緒里が告げる。
「当館に務める使用人は以上となります」
「……え?」
織羽の期待も虚しく、どうやら先の二人に花緒里と織羽を加えた、計四人のメイドで全てらしい。
「さて……それでは挨拶周りも終わったことですし、早速掃除の腕でも見せて頂きましょうか」
「はい……」
「……? 何故そんな悲しそうな顔をしているのですか?」
「いえ、なんでもありません……」
花緒里に連れられ、館内の廊下をトボトボと歩く織羽。そんな悲しみの反動故か、織羽は掃除仕事に於いても、その完璧具合を発揮してみせた。おかげで花緒里からの評価は極めて高く、晴れて白凪館での居場所を確立することに成功したのであった。