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第9話

  到着早々にトラブルはあったものの、その後は実に穏やかな日々であった。迷宮都市である九奈白市内の喧騒は、織羽おりはにとっても中々に新鮮なものだった。普通の街ではなかなか手に入らない、ダンジョン産の品々がそこら中に溢れているのだ。ただ街を見て回るだけでも楽しかったし、街の雰囲気も良い。織羽おりはにとってこの準備期間は、とても充実していたと言えるだろう。とはいえ、出回っている品それ自体は、特別興味を引かれるようなものではなかったが。


 ひそかが事前に手配してくれていたマンションには、既に大量の装備類が運び込まれていた。ダンジョンに行く予定もないのに、女物の防具類が一式。一体何に使えというのか、箒に擬態した仕込み刀。投擲用のナイフとベルトは、スカートの中にでも隠しておけばよいのだろうか。そんな怪しい装備の数々が、無駄に整頓され並んでいた。

 中でも多かったのが衣類だ。恐らく着ることはないであろう、学園の制服が数着。恐らくこんなには必要ないであろう、大量の特注メイド服。織羽おりはが旅行カバンに詰め込んできた分を含めれば、実に二十着ものメイド服が用意されていることになる。自前のメイド服と用意されていたメイド服で、メイド服が被ってしまっていた。


(いやこれ、カバンで持ってくる必要なかったのでは……?)


 そんな謎アイテムの数々を確認した後、追加で必要そうなものを街で買い込む織羽おりは。無論、足がつきそうな武器防具の類は除いて、だ。必要なものとは、歯ブラシやシャンプーなどといった、専ら衣類を除いた生活用品の類である。当然ながら、護衛対象の分までを用意する必要はない。全て自分用である。


 そうして任務への準備を進めているうち、あっという間に半月ほどが経過していた。この日はいよいよ、織羽おりはが例の護衛対象と顔を合わせる日となっている。今回の顔合わせは、今後の学園生活をより円滑にするためのものだ。採用自体は既に決まっていることであり、面接というわけではない。そんな顔合わせの場として指定された屋敷へと、織羽おりははやって来ていた。


「でっか……」


 織羽おりはの目の前には一軒の――――一邸の巨大な屋敷があった。否、外観的には洋館というべきか。

 以前にメイド修行を行った『合宿所』、その邸宅よりもずっと大きい。どこの刑務所だ、と言いたくなるような巨大な正門。手入れの行きどといた広大な庭園。少し早咲きなのだろうか、中央に植えられた桜が、館の黒い壁によく映える。住宅地の中、小高い丘の頂上に位置するが故に、振り返れば九奈白市と海が一望出来る。人が住む家というよりも、どちらかというと何かの店舗、或いは資料館と言われたほうが余程しっくりくる。周囲の景観、建物の外観、壮麗な庭園。どこを見ても超一流の、まさしく豪邸であった。前もって資料では確認していたものの、こうして目の当たりにすれば、やはり受ける印象は随分と異なる。多少の心構えはしていたつもりの織羽おりはが、若干気後れしてしまう程であった。


「これが別邸だっていうんだから、もう笑っちゃうよね」


 そう、これは九奈白家の別邸なのだ。九奈白家の現当主が娘のために建てた、殆ど娘専用の屋敷である。九奈白家の本邸は市街、というより都内の方にあり、仕事で忙しい当主はそちらで生活をしているそうだ。庶民の出である織羽おりはには今ひとつ理解できない家庭環境であったが、ひそか曰く、上流階級の家では珍しい話でもないのだとか。


 多少の驚きもあったが、しかし正門の前でいつまでも呆けているわけにはいかない。既に先程から、数台の監視カメラがこちらを向いているような気がしていた。恐らくは人の動きに反応しているだけなのだろうが、威圧的な門と相まってか、酷く居心地が悪かった。


 「よし……いざ、参る」


 そうして織羽おりはは、どこか古風で漢らしい宣言と共に、そっと呼び鈴を鳴らした。




        * * *




「ようこそお越しくださいました。私はここ『白凪館しろなかん』の管理を行っております、狩間かるま花緒里かおりと申します」


「エターナルヘヴンより参りました、織羽おりはと申します。本日よりお世話になります」


 玄関ホールで織羽おりはを待っていたのは、自らを狩間と名乗るメイド服姿の女性であった。本来であれば、こういった館の管理を行うのは家令、または執事の仕事だ。だがそこは流石の現代というべきか、どうやらメイド業と兼任で、この館の管理を任されているらしい。現代風に言うならば『メイド長』といったところだろうか。その美しい立ち姿からは、どこか『先生』と似た気配を漂わせていた。

 無論、この館で最も身分が高いのは件のお嬢様であろう。だが織羽おりはには一目で理解出来た。彼女こそが、この館の裏ボスであるということを。そうでなくとも織羽おりはの上司となる人物なのだ。悪印象を与えるわけにはいかない。その一方で『最終的に裏切りそうな名字の人だなぁ』などとも思っていたが。


 なお織羽おりはの言う『エターナルヘヴン』とは、ひそかが作った架空のメイド派遣会社である。どことなくいかがわしい雰囲気を醸し出してはいるが、なんのことはない。迷宮情報調査室長である天久隆臣の姓、『天久』から取って『エターナルヘヴン』というわけだ。酷く安直ではあるが、しかし個人で調べた程度では何も分からないほど、巧妙な情報操作が為されている。少なくとも、違和感のようなものは一切出ないように作られていた。星輝姫てぃあらが面白がって作ったウェブサイトは、なんともピンク色の多い怪しげなサイトとなっているのだが。


  今回の件は九奈白家当主直々の依頼ではあるが、しかし当主以外の家人には一切の情報が伝えられていない。何しろ依頼先は迷宮情報調査室なのだ。公にはされていない組織だが、歴とした公的機関であり、本来であれば個人からの依頼などは引き受けていない。故に、九奈白の権力を使って付けた従者だと知られれば、また娘から要らぬ不興を買ってしまう。そういった理由から、織羽おりはの正体は極秘とするようにお達しが出ている。そのために用意された隠れ蓑こそが『エターナルヘヴン』というわけだ。閑話休題。


「ご当主様自らが選ばれたということで、織羽おりはさんにはとても期待しております」


「ご期待に添えるよう、誠心誠意努めて参ります」


「まぁ、何故ご当主様がメイドの良し悪しを知っているのか、という点には疑問が残りますが……」


(あ、この人鋭い)


 そこらの使用人であれば、何も考えず全てを受け入れそうなものだが――――やはり彼女は只者ではないのかもしれない。とはいえ、所詮は彼女もに過ぎない。当主の決定に異を唱えられる程の権力は、当然ながら持ち合わせていない。織羽おりはは狩間女史への警戒度を引き上げつつ、これからのメイド生活に向けて気を引き締め直した。


「さて。事前にお聞き頂いているかとは思いますが、織羽おりはさんにはお嬢様付きのメイドとして、身の回りのお世話をして頂きます。といっても、基本的に全てを自分で熟してしまうお方ですので、それほど大変な仕事ではないでしょう。専ら学園までの送迎と、あとは学内でのお世話が織羽おりはさんの仕事となるでしょう」


「伺っております」


「そうそう、織羽おりはさんはボディーガードとしての心得もあるとか」


「はい。そこらの男性よりは役に立つかと」


 実際には『そこらの男より』どころの話ではないのだが、しかし『自らを主張するな』とは先生の教えである。加えて、正体がバレてはならないという前提もある。故に、織羽おりはは必要以上の事を語らない。ただ『別途護衛を用意する必要はありません』と、言外に付け足すのみであった。


「結構。それでは早速、お嬢様の下へ挨拶に行きましょう。その後、他の従者を紹介します」


「はい」


 そうして織羽おりは花緒里かおりに連れられ、まずは自らの部屋へと荷物を置きにゆく。案内された部屋には家具一式が既に用意されており、広さも十分過ぎるほどであった。ただのメイドに与える部屋というには、随分と立派な部屋である。とはいえ、必要なものは事前にマンションへと集めていた為、織羽おりはには荷物と呼べるようなものが殆どない。精々が手に持った旅行カバンひとつであり、中身も殆どがメイド服のスペアである。カバンを部屋へと放り込めば、それで終いであった。


 そうして件のお嬢様の待つ部屋へと、花緒里かおりの後に続いて歩く織羽おりは。『白凪館しろなかん』の内部は外観同様、非常に洗練されていた。やたら金ピカの下品な調度品や、或いは自己顕示欲の象徴たる肖像画など、如何にも金持ちの家にありそうなそれらは、ただのひとつもなかった。重厚で落ち着きのある家具や、華美ではないが、しかし高級感のある美しい品々。それらがエクレクティックなスタイルを演出し、非常にセンスを感じさせる内装となっていた。


 織羽おりはの部屋から、歩いて二、三分程だろうか。ひとつの扉の前で、花緒里かおりが立ち止まる。この館の主が生活する部屋にしては、随分と普通の扉であった。無駄にどデカい扉が出てくると勝手に思っていた織羽おりはは、一瞬とはいえ呆気に取られてしまった。


 そんな織羽おりはを他所に、花緒里かおりは扉を静かにノックする。


 「お嬢様。例のメイドが到着しましたので、ご挨拶に伺いました」


 「そう。入りなさい」


 返ってきたのはどこか冷たい印象を受ける、落ち着きのある美しい声だった。

 花緒里かおりが扉を開く。黒髪の少女が大きな執務机の上に頬杖を突き、胡乱げな瞳で織羽おりはの方を眺めていた。


 花緒里かおりに促され、織羽おりはが部屋へと足を踏み入れる。織羽おりはに緊張などはない。身分の高い相手と接するのは、なにもこれが初めてはない。先生からの教えも活きている。なにより織羽おりは自身が、こうした状況に緊張するような、そんな矮小な性格をしていない。そうして織羽おりはは姿勢を正し、深く一礼し、自己紹介を行った。


「本日よりお嬢様の生活をサポートをさせて頂きます、織羽おりはと申します。宜しくお願い致します」


 抑揚のない、酷く平坦な声色。

 先生曰く、『メイドたるもの主張するべからず』だ。我ながら完璧な挨拶だったと、織羽おりはは確信した。気難しい性格の令嬢だと聞いていたが、しかしこれならば文句のつけようもないだろう、と。しかし少女の放った言葉は、織羽おりはの予想とは随分と違う角度からやってきた。


「ふぅん……貴女が、お父様の送ってきた刺客というわけね……いいえ、お目付け役とでも言うべきかしら?」


(……ん? 死角……刺客?)


 織羽おりはの頭に浮かんだのは、凡そ挨拶の文言としては不適切な単語であった。

 そんな織羽おりはの戸惑いを他所に、少女は机の下で脚を組み替え、そして不敵に微笑んだ。


「ようこそ織羽おりは。私がこの館の主、九奈白凪くなしろなぎよ」


 これが織羽おりはなぎの、最初の出会いであった。

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