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第6話

 春先の温かな日差し。爽やかに吹き抜ける海風。

 駅から出た織羽おりはを待っていたのは、初めて訪れた九奈白市特有の空気であった。


「ここがあの有名な、ねぇ」


 探索推進都市、九奈白くなしろ市。

 ダンジョンを中心に作られた、海に浮かぶ巨大な人工島。多くのダンジョン産資源が出回るが故、探索者達の聖地として知られており、国内外から多くの探索者が集う街。日本国内に於いて、この街の重要度は非常に高い。だからこそ、というべきか。治安維持には相当な力を入れており、資産家達も多く居を構えている。


 そんな街の入口に、メイドに扮した織羽おりはが降り立った。駅は高台の上に作られており、一望とまでは言わないが、しかし市の全体像が大凡把握出来る。防犯上どうなんだ、という疑問が織羽おりはの頭を過るが、しかし一瞬で掻き消える。そんなこと、彼にとっては至極どうでもよいことだ。遠く、島の中央に見えるのは一際巨大な建物。あれが件のダンジョンだろうか。普段であれば気にも留めないであろう、九奈白市の景色。初めて訪れた地に、織羽おりはの気持ちも高揚気味であった。


 当然ながら、現在の彼は全身メイドのフル装備状態である。

 だがこの街では、メイドなどさして珍しい存在でもない。何しろ金持ちの多い街なのだ。の者は、他の街に比べればずっと多い。それに比例してか、本職ではないメイドも多いのだが。つまりはコスプレに近い、ファッションメイドのようなものである。そうした背景があるからこそ、銀髪美少女メイドの織羽おりはが無闇に目立つこともない。先程からちらほらと感じる視線は、単純にその優れた容姿に対してのものだろう。男性からの視線だけではなく、女性からの視線も一定数あることだけが救いだろうか。


 視線を落とし、織羽おりはは自らの出で立ちを確認する。ぴしりと着こなされたメイド服には、汚れやシワ、ほつれなどあろうはずもない。このあたりは『先生』から、嫌になるほど散々に指導を受けたのだから。


「天国の妹よ。兄さんは立派なメイドになりました……」


 半分自虐のようなセリフを吐きつつ、織羽おりははゆっくりと階段を降りてゆく。

 学園が始まるのは今から一月後のことであり、護衛対象のご令嬢と顔を合わせるのは、まだ少し先の話になる。差し当たり、本日は活動拠点として用意されているマンションへと向かう予定であった。学園が始まれば寮生活を送ることになるが、しかし当然、全ての荷物――人には見せられない武器の類だ――を寮へ持ち込むわけにはいかない。そういった諸々の怪しい荷物は、纏めて活動拠点へと置いておくつもりなのだ。サイズの大きな武器類に関しては、ひそかが先に部屋へと送ってくれているとのこと。どこぞのゴリラとは違い、仕事の出来る女性である。


「それじゃ早速――――コホン。それでは早速、向かうとしましょうか」


 まだ本番ではないといっても、ここは既に戦地のようなものだ。何処でボロが出るか分からない以上、気を引き締めなければならない。言葉遣いなど、その最たるものと言えるだろう。外見が完璧なだけに、こうした単純な部分こそが穴になり易い。自らにそう言い聞かせ、言葉遣いを正してから歩き始める。目的地まではまだ随分と距離があるが、その程度の事は彼にとって問題にはならない。かつては昼も夜もなく、ただ独りでひたすらにダンジョンへと挑み続けていたのだ。見た目こそ美少女メイドではあるが、一般人は疎か、そこらの探索者では比べ物にもならない程の体力を織羽おりはは有している。


 そうして巨大な旅行カバンを引きずりながら、初めて訪れる九奈白の街並みを眺める。

 流石は探索推進都市というべきだろうか。メインストリートに面した店舗はそのどれもがいちいち綺麗で、かつ凄まじいお洒落具合である。加えて、物価も相応に高い。ふと覗いた定食屋など、基本的な定食が他の街の1.5倍、下手をすれば2倍近くの値段をしている。その一方で、ダンジョン産素材を使用したアクセサリーなどは比較的安価であった。産地が近いからといえばそれまでなのだが。


 治安維持に力を入れているというのは確かなようで、治安維持部隊ガーデンの詰め所らしきものが街の様々な場所に散見された。彼らは警察とはまた別の、探索者協会の管理下にある組織だ。探索者による犯罪を抑止・鎮圧するために設立された組織であり、九奈白市内のみに限るが、武力の行使が認められている。ある意味では迷宮情報調査室と似たようなものである。尤も、前者は探索者協会の下部組織であるのに比べ、後者は防衛省直轄の組織であるという違いがあり、厳密には似て非なるものであるのだが。


 ほとんど観光気分で街を練り歩くこと、凡そ二時間程。

 その間、疲れ知らずの織羽おりはは一度もペースを落とすことなく、市のメインストリートをずんずんと進んだ。何度かはナンパもされたものだが、織羽おりはは鳥肌を抑えつつ華麗に回避。比較的人通りの少ない、海沿いの大きな公園の方へと逃走する。そのまま公園の敷地内を歩き、そろそろ小腹が空いたな、などと考え始めた頃にそれはやってきた。


 織羽おりはの耳へと、小さな怒声、或いは罵声のようなものが届いた。


「おや……?」


 喧嘩など、どこの街でも起きるものだ。普段の織羽おりはならば気に留めることなく、黙ってその場を立ち去っていたことだろう。だが耳を澄ましてみれば、どうにも様子がおかしい。野郎どものむさ苦しい声に混じって、なんとも可憐な声が聞こえてくるではないか。厳つい濁声と、美しい声色。本来ならば相容れない筈のふたつの声が、織羽おりはは妙に気になった。ガラガラと旅行カバンを引きずりながら、一体何事だろうかと、声のした方へと向かう織羽おりは。そのまま公園を通り抜け、メインストリートへと続く路地裏に入ってゆく。徐々にクリアになってゆく声が、彼をその場所へと導いてゆく。


「ノックしてもしもーし……?」


 そうして路地裏の角から、織羽おりはが様子を窺う様にひょこりと顔を出す。

 そこには見るからにガラの悪い数人の男と、片腕を掴まれながらも抵抗する少女。そしてその傍らには、恐らくは少女の付き人であろう、地面に倒れ伏す男の姿があった。


「はぁ……治安が良いという触れ込みは、一体何だったのでしょうか」


 詳しい状況はもちろん織羽おりはにも分からないが、しかしこの光景を見て、それでも男達の味方をする者はいないだろう。そして織羽おりははその性格上、一度見てしまったものを見なかったことには出来なかった。街に着いて早々にこれとは、なんとまぁ幸先の良いことである。


 小さくため息を吐き出した織羽おりはは、巨大な旅行カバンを引きずりながら、ゆっくりと現場の方へ近づいてゆくのだった。



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