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第5話

 とある別荘地にある、とある邸宅にて。

 数ヶ月にわたる教育課程を終え、織羽おりはは邸宅の正面玄関前に立っていた。彼の眼前には、クラシックなメイド服を着こなした老婆の姿。高齢であるにも関わらず、しかし隙のないその立ち姿は、見る者に得も言われぬ気品を感じさせるほど。メイドとはかくあれかし。まさしくメイドの中のメイド、とでも言うべき女性であった。そんな老婆が、織羽おりはに向かって最後の言葉を贈る。


織羽おりはさん」


「はい」


「この数カ月間で私は、私の持てる全ての技術を貴方に伝えました」


「はい」


「貴女を誇りに思います。貴女はもうどこに出しても恥ずかしくない、一人前のメイドです」


「先生……」


 この数ヶ月間で行われたメイド修行は、それはそれは厳しいものであった。『下地がある』などと呑気に考えていた頃が、今となっては懐かしくさえあった。

 今回の任務に於けるメイド業は、通常のそれとは大きく異なる。料理だけをしていれば良い訳ではない。掃除だけをしていれば良いわけでもない。学園生活に係る全ての事が、織羽おりはの仕事となる可能性があった。相手は金持ちの娘であり、一筋縄ではいかない性格の持ち主だ。故に、臨機応変に対処するためには、全てのメイド技術を習得する必要があったのだ。


 織羽おりはにメイドとしての教育を施した『先生』が、そっと織羽おりはの肩に手を置く。まるで我が子を見送るかのような、慈愛に満ちた眼差しであった。

 幾度となく繰り返した掃除。何度も作り直しとなった料理。数々の叱責に、少しの賛辞。そうしたこれまでの全てが、二人の関係を『師弟』から『戦友』へと変化させたのだ。晴れて一人前となった織羽おりはは、先生から卒業祝いを受け取る。


「この黒リボンを貴女に。辛いことがあったときは、この数カ月間を思い出しなさい」


「うぅっ……うぐぅ」


「立派に務めを果たしなさい」 


「先生っ……今日まで本当に……本当にありがとうございましたっ!」


 ひしと抱き合う、織羽おりはと先生。織羽おりははもちろんのこと、先生すらも目に涙を浮かべていた。

 そんな二人を遠目から眺める、ふたつの視線があった。ひとつは、教育課程が終了したと連絡を受け、織羽おりはを迎えに来たひそかのもの。そしてもうひとつは、『面白そうだから』というだけの理由で着いてきた星輝姫てぃあらのものである。二人は邸宅の正門前に車を停め、胡乱げな瞳を織羽おりは達に向けていた。


「ブフッ……プッ、ククク……あははははは! ちょ、なんあれ! オリ何してんの! あはははは!」


「なんでも、『先生のメイド道に甚く感心した』そうです」


「だはははは! バカじゃん! あんなに嫌がってたクセに? ってか目的変わってるし! ヤバいお腹痛い、どうしよ……くくっ」


 暫く見ない間にすっかりとメイドに染まった織羽おりはの様子が、どうやら余程面白かったらしい。下着が見えることなどお構いなしに、その場に蹲って地面をバシバシと叩く星輝姫てぃあら。もし隆臣がこの場に居れば、恐らくは彼女と似たようなリアクションをしていたことだろう。


「あ、どうやら終わったみたいですね。帰りますよ星輝姫てぃあら


「りょ。いやー笑った笑ったぁー……ンフッ」


 ひそかは運転席へと乗り込み、一頻り笑った星輝姫てぃあらと、そして織羽おりはを連れ帰路につく。

 なおその後、職場の一室を使って『メイド力試験』なる怪しいイベントが開催された。もちろん、織羽おりはの特訓成果を見るための場である。そこで振る舞われた織羽おりはお手製の豪華な料理は、そのあまりの美味しさで全員の度肝を抜いたという。唯一星輝姫てぃあらだけが、逆にゲラゲラと笑い転げていたのだが。




       * * *




 それから更に数週間後。

 初めの頃とは似ても似つかぬ、ぴしりと着こなされたメイド服。ズレぬようガッチリと固められた銀髪のウィッグ。迷宮情報調査室の室内には、大きなアンティーク調のキャリーケースを携えた織羽おりはの姿があった。厳しいメイド修行のおかげか、その表情にははっきりとした自信が窺えた。


「じゃあ、行ってくる」


「おう。一応こっちでも動向は監視しておくつもりだが、定時連絡は忘れんなよ?」


「分かってるよ」


 酷くあっさりとした、短いやりとり。だが、これがいつもの二人。なんだかんだと揉めることも多い二人だが、そこにはちゃんと信頼がある。実力も、才能も、性格も。そしてなにより、それぞれの持つ信念を。何を求め、何を恐れ、何をいとい、何の為に動くのか。互いが互いをちゃんと理解している。だから二人は、これだけでいい。


 そうして織羽おりはが部屋を出ようとした時のことだった。部屋の外から、なにやらドタバタと騒がしい音が聞こえてきた。この場所でこんな騒ぎを起こす者など、織羽おりはには一人しか心当たりがない。否、他にも心当たりはあるが――――それはもう既にこの場に居る。やはりと言うべきか、扉を開けて入室してきたのは星輝姫てぃあらであった。その後ろにはひそかの姿もある。


「間に合ったー! ほいコレ、オリにプレゼントだぜぇ」


 そう言って星輝姫てぃあらが差し出したのは、いくつかの、黒くて小さなボタンのようなものであった。サイズは随分と小さく、小指の爪ほどの大きさしかない。


「これは?」


「盗聴器と発信機だよん。あると便利っしょ?」 


「わぁいありがとぉ」


 プレゼントと言うからには、任務に赴く自分への、なにかご褒美のようなものだと思っていた。だがそこはやはり同僚というべきか。そうそう素直に褒美などくれるはずもなく。星輝姫てぃあらから手渡された怪しい機械を、織羽おりははそっとポケットにしまった。予想こそ外れはしたものの、しかし確かに有用だったから。


「にしても……やっぱ美人すぎるって! ここまでくると、流石のあたしもジェラシー感じるぜぇ」


「でしょ?」


「うぉ……なんかその余裕ムカつくんだけど!」


「あっはっは、大丈夫。星輝姫てぃあらもちゃんとかわいいよ。ボク程じゃあないけどね」


「うぜぇー」


 先生とのメイド修行で、最も大きく変わった部分はここだろうか。当初は嫌々していた女装だ。当然ながら織羽おりはには、何をするにも恥じらいがあった。だが今はどうだ。自らの容姿をイジられても、嫌がるどころか軽く受け流せるほどに成長していた。先生曰く、『メイドとは主を写す鏡』であり『おどおどしていれば、それは主に恥をかかせることに繋がる』とのこと。そんな先生の薫陶を受けた織羽おりはは、精神面で大きく成長を遂げていた。メイド方面にのみ、だったが。


「いってらっしゃい、織羽おりは


「いってきます、ひそかさん」


 隆臣ほどではないが、ひそかとの付き合いもそろそろ長い。やはり手短に別れの挨拶を済ませ、今度こそ織羽おりはは部屋を後にする。恐らくはいろいろあるであろう、未知の任務地へと向けて。メイドとしての矜持と、護衛としての責任をその身に背負いながら。


 そうして織羽おりはが去った後。

 星輝姫てぃあらは自分の持ち場へと戻り、迷宮情報調査室の事務室内では隆臣とひそかが会話をしていた。


「大丈夫でしょうか」


「心配いらねーだろ。あれならバレねーよ」


「いえ、そうではなく――――護衛の件です。今でこそ、任務には前向きな様子を見せていましたが……」


「それこそ要らん心配だろ。なんだかんだと言っても、結局アイツは最後までやるさ」


 そう言いつつ、室内にひそかしか居ないのを確認し、隆臣は煙草に火を付ける。


「お前も知ってるだろ。誰も救えなかった。誰も守れなかった。俺もアイツも。だから今もこうして、未練がましくこんな仕事をやってる」


 煙草を燻らせながら、隆臣が遠い目をしながら窓の外を見る。丁度外に出た織羽おりはの姿が、眼下に小さく見えた。どうやら隆臣は、それ以上を言葉にするつもりはないらしい。そうして彼が窓から視線を切り、煙草の灰を落とそうとした時だった。織羽おりはの指定席でもあるソファの前、ローテーブルの上に一枚のカードが転がっていた。それは黒を基調としたカードで、表面には探索者協会の紋章が描かれていた。


「……ん? オイひそか、アイツ探索者証忘れてんぞ」


「あら……まぁ、今回は必要ないでしょうが……一応、後で届けておきます」


 そう言ってひそかがカードを拾い上げる。

 カードの中央には真っ白な文字で、ただ『Ⅰ』とだけ記されていた。


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