織羽が出荷されてから、凡そ一時間が経過していた。
「……もしかすると我々は、とんでもないものを生み出してしまったのかもしれません」
「あははははは! やば、美少女すぎてウケんだけど! ちょいちょい、コレも被ってみ?」
「……確かにこれを見込んでの任務ではありましたが……逆に目立つのでは?」
「いやいや! 折角なんだし、思いきり美人にしたほうが良いって! いやー、実は前々からオリには女装して欲しかったんよねー。やっぱりあたしの目に狂いは……ブフッ! あははははは! マジでヤバいってコレ! ぶっちゃけあたしはイケる」
何故か既に用意されていたメイド服へと、半ば強制的に着替えさせられ。
現在織羽は、二人の同僚から好き放題に弄くり回されていた。
一人はもちろん、ここまで織羽を連行してきた密である。そしてその隣、先ほどからゲラゲラと笑っているのは星川星輝姫という少女だ。ドギツい金髪にピンクのインナーカラー、肌は浅い小麦色。着崩した制服に、少し動いただけで下着が見えそうな短いスカート。ピアスやネックレスといった数々のアクセサリー。どう好意的に解釈したところで、凡そこのような場所には似つかわしくないであろうギャルである。彼女は密の部下であり、織羽の同僚であり、そしてまさかの情報セキュリティ担当でもあった。人は見かけに依らないなどとは言うが、それにしても派手すぎる容姿である。
織羽が密に連行されていたところ、たまたま通りがかった彼女に、運悪く見つかってしまったのだ。以前より『女装が似合いそう』などと言って、織羽に目をつけていたティアラだ。彼女に見つかった以上、もはや織羽にはどうすることも出来なかった。そうして気がつけば、織羽の装いはすっかりと完成されていた。まだ鏡を見ていないため、織羽には現在の自分がどうなっているのかが分からない。だが二人の反応を見るに、どうやらそれなりに違和感のない仕上がりとなっているらしい。
「いやいやいや。ちょっと着替えて化粧しただけで、ボクの男らしさが隠せるワケないでしょ」
「ほい鏡」
そうしてティアラから手鏡を渡された織羽は、恐る恐るそれを覗き込む。
プラチナブロンドのウィッグを被った、どえらい美人のメイドさんが、そこに居た。
* * *
「ぶはははははは!!」
「このオッサンぶっ飛ばしていいですか?」
戻ってきた織羽を見るなり、隆臣は今年一番の笑い声を上げた。無論、隆臣とてある程度の予想はしていた。本人は否定するが、しかし織羽は美人である。女装が似合うであろうことは、最初から分かっていたのだ。だからこそ彼に白羽の矢が立ったわけで、そうでなければ、この任務は始まる前から失敗だった。だがそんな隆臣の予想を、織羽は大きく裏切った。それも良い方に、だ。
羞花閉月、と呼んで差し支えないだろう。
きりっとした柳眉に、切れ長の瞳。少し気の強そうな印象は受けるが、しかしふんわりとした優しい色のチークが、どこか優しげな印象を与える。元々整った顔をしていたが、薄く化粧をしたことでそれらがより引き立てられていた。元の黒髪はウィッグによって完全に隠されており、たとえ織羽のことをよく知る人物であっても、初見ではそれと気付かないことだろう。ノリノリで参加してきた星輝姫の手腕は流石のものであった。織羽にとって、それが良い事であったのかは微妙なところではあるが。
また、着せられたメイド服も特別製であった。
一見すればシンプルでありながらも、しかし細部の意匠にはこだわりが見て取れる。男性としては少し身長が低めな部類の織羽だが、それはつまり女性としては高めということ。ロングスカートと相まってか、スタイルが非常に良く見える。密曰く、とある有名デザイナーに依頼して作られた一点もののメイド服だそうだ。織羽にとっては、酷くどうでもよいことではあったが。事此処に至り、織羽は全てを諦め受け入れていた。
「胸にはスライム製のパッドを入れてあります。仮に揉まれたとしても、そうそうバレることはないでしょう」
なんとも情けない補足情報である。
「ぶはははははは!!」
「なぜ笑うんだい? ボクの女装は立派だよ?」
そう呟きつつ、いよいよ織羽は隆臣をボコボコにした。えらく美人の銀髪メイドが、筋骨隆々の厳ついオッサンを無心で殴り続ける図。傍からみたそれは、この上なくシュールな絵面であったという。今回ばかりは自業自得ということなのだろうか。流石の密も、織羽を止めることはしなかった。
そうして暫くの後。漸く話は次へと進んだ。
「んじゃあ織羽はこれから入学までの間、メイドとしての礼儀作法と、あと仕事を覚えるように。つっても下地はあるし、大した問題でもねぇだろ。あー痛え」
「りょーかい。気は進まないけど、任務なら仕方ない」
織羽が要人の護衛を行うのは、何もこれが初めての事ではない。中には身分の高い者や、それこそ海外から来た貴族が相手だったこともある。加えて、そういった場に潜入したこともある。そうした者達と接する機会は、この仕事をしていれば度々訪れる。故に織羽は、最低限の礼儀作法を習得済みなのだ。隆臣の言う『下地がある』とは、つまりそういう意味だ。
とはいえ、メイドとしての業務はまた別の話である。
一口にメイドと言っても、実際にはいくつかの種類に分かれている。今回の任務は、ヴィクトリア朝時代で言うところのレディースメイドにあたるだろうか。そもそも本当のメイドではない上に、本命の任務は護衛であるため、種類も何もあったものではないのだが。何れにせよ、怪しまれない程度にはメイド仕事に通じておく必要がある。隆臣は『大した問題ではない』と言うが、しかしそれなりに大変な準備期間となるだろう。おまけに、最大で三年間も任務が続くのだ。それを思えばこそ、やる気満々というわけにはどうしてもいかない織羽であった。
「では早速、明日からレッスンを始めましょう。今回はメイド業の事もありますので、専門の先生にお願いすることとなります」
「はーい」
「そうそう、分かっているとは思いますが……普段からメイドに慣れておかなければ、いずれボロが出てしまいます。ですので今日からは、基本的にその姿のままで生活して下さいね」
「なんて?」
「あと、言葉遣いも直して下さい。一人称は『私』でいきましょう」
「もしもーし?」
織羽の言葉が聞こえていないのか、或いは無視しているのか。淡々とした様子で、当然の様にそう告げる密。彼女の口から伝えられる衝撃の事実は尚も止まらず、遂には織羽が無意識の内に考えないようにしていた、とある話題へと突入した。
「衣服も含めた装備品は、後日支給します。 また、下着類もこちらで用意します。着方については、後ほど詳しく教えて差し上げますね」
「何ちょっと嬉しそうにしてるんです? マジで最悪なんだけど?」
この職場に来てから数年、依頼を引き受けてしまったことを初めて後悔していた。げんなりとした様子で脚を組み、その上に頬杖を突き、そうしてソファの上で悪態を吐いてみせる織羽。本来であれば、或いは同情も得られたことだろう。しかしメイド装備状態の彼は、ただ物憂げにしている美少女にしか見えなかったという。少々足癖の悪そうな美少女ではあったが。