荒れた室内。正座をしているが、しかし反省の色は見られない隆臣と織羽。
そんな二人の前に、一人の女性職員が仁王立ちしていた。 何かしらの仕事で来たのだろう。右手には大量の付箋がはみ出たバインダーを抱えている。
「はぁ……それで、これは一体何の騒ぎですか?」
それは質問というより、むしろ詰問だった。
ブラウンカラーの毛先が、肩で少し跳ねる程度のミディアムヘア。少し垂れた目尻が、どこか後輩的な愛嬌を感じさせる。普段は温厚なのだろう。務めて冷静に振る舞うその声色は、ふんわりと、まるで人の心の隙間に忍び込んでくるかのようで。そんな彼女ではあるが、しかし吊り上がった眉を見れば一目で分かる。現在の彼女は明らかに怒っていた。
「生意気な部下が命令を無視したもんで、ちょっと分からせてやろうと思っただけだ」
「この言葉を巧みに操る反社会的ゴリラが、白昼堂々、ボクにパワハラをするんですよ」
「あ?」
「お?」
正座をしたまま、互いにメンチを切り始める二人。
彼らを問い詰めていた女性職員――――
「二人とも、やめなさい」
「はい」
二人同時の素直な返事。まるでチンピラのような態度をとっていた二人が、その一言ですぐに大人しくなる。仮にもここは職場なのだ。自分たちが悪いということは、二人もよく理解していた。何より、彼女は怒らせると怖いのだ。現時点で既に怒ってはいるが、本気で怒りを顕わにしたときの彼女は今の比ではない。下手に反抗すれば厄介なことになると、同僚である二人はよく知っていた。
「本気でないのは分かりますが、自重して下さい。二人にとってはただのじゃれ合いでも、です」
「はい……」
今度は主に、隆臣へ向けられた苦言であった。
「それで、結局のところ原因は何ですか?」
「例の護衛依頼の件だよ」
「……そういうことですか」
隆臣の言葉に、得心がいったような表情を見せる密。当然、彼女も依頼の内容は知っている。だが隆臣が自信満々に『任せろ』と言ったからこそ、織羽への説明役を譲ったのだ。その結果がこの部屋の有り様では、密が呆れるのも無理はないだろう。
「織羽、私が改めて説明します」
「お願いします」
密は織羽にとって理想の上司と呼べる存在だ。常に冷静で、しかし時には優しく。まさしく、仕事が出来る大人の女性だ。自分の隣で、自分と同じように正座をさせられているゴリラでは、とてもではないが比較にならない。そんな密が相手とあらば、織羽の態度も自然と改まるというもの。姿勢を正し、話を聞く姿勢へと移行する織羽。
「もう聞いたことかと思いますが、貴方にはとある御令嬢の護衛任務に就いてもらいます」
「はい」
「ですので、貴方には女装メイドになって頂きます」
「そこのゴリラと一緒じゃんね」
* * *
「というわけです」
冗談もそこそこに、漸く話の詳細を聞くことが出来た織羽。
密曰く、今回の依頼主は『あの』九奈白家当主であるらしい。九奈白家は資産も、家柄も、権力も、その全てが超一流だ。であるが故に、敵対している勢力もまた多い。こればかりはどうしようもない、金持ち特有のよくある話だった。そんな九奈白家であるが、来年度より娘が高校へと進学するとのこと。となれば、娘を溺愛している当主からすれば一大事である。身代金目当ての誘拐など、如何にも起こりそうな話ではないか。
自らの管理下にある学園といえど、常に目を光らせておけるわけではないのだ。九奈白市の治安は良く、また治安維持にも力を入れている。だが探索者が集う街ということもあり、通常の警備では対応出来ない『万が一』や『もしも』が起こるかもしれない。そういった理由から、腕の立つ護衛を求めてきたというわけだ。聞いてみればなんのことはない、ただの親馬鹿話であった。
「令嬢自身は『付き人など要らない』と言って憚らないそうですが、依頼主はその父親ですから……」
「大体は理解しましたけど……え、民間のボディガードでも良くないですか? わざわざウチに依頼する内容ですかね?」
織羽が所属している防衛庁迷宮情報調査室は、ダンジョン関連の問題に対応するための公的機関であって、護衛業がメインというわけではない。そもそも秘匿された組織であるため、その存在を知ってる者すら極僅かだ。そんな自分たちへと依頼するには、今回の件は少々不釣り合いに感じられた。探索者による犯行の可能性がある、という点は分からなくもないが、それでもやはり理由が弱い気がする。
「通学中だけならいざ知らず、学園内でも護衛をするとなると……」
「……まぁ、それは確かにそうかも知れませんが」
「それに、学園内で堂々と護衛を行うわけにもいきません」
「何故です?」
「そういうの、すごく嫌う方だそうです」
密曰く、その御令嬢というのが少々厄介な性格をしているらしい。
なんでもかなり気位の高い少女だそうで、自らの能力に関係ない部分で、特別扱いされることを嫌うとのこと。一生に一度の学園生活だというのに、家の力で護衛を付けられ、あまつさえそれらを連れ、偉そうに学内を練り歩くなどと。そんな行為は断じて受け入れられないと、それはもう激しく抵抗されたそうだ。しかし当主としても娘が心配だ。そうして父娘で言い争った末、漸く引き出した妥協案が『世話役のメイドを一人付ける』というものだった。
「めんどくさー……」
「ちなみにですが、令嬢本人の能力は極めて高いそうです。学力は勿論のこと、探索者には及ばないものの、身体能力も抜群だそうです」
「じゃあ特別扱いでいいじゃないですか、やだー」
聞いただけで分かる面倒な依頼内容に、織羽は『勘弁してくれ』とでもいいたげな表情を浮かべる。
というよりも、この案件が防衛庁迷宮情報調査室まで回ってきている時点で既に特別扱いだ。『そんな人材はどこにもいません、無理です』と切って捨てることが出来ない時点で、九奈白家としての権力は大いに発揮されているのだから。
「っていうか、それなら密さんが行けばいいじゃないですか」
「流石に違和感しかないでしょう。それともなんです? 今年で28になる私に、学生に混ざれと?」
「え、怖っ。なんかすみません……」
つまり今回求められる条件は3つ。
通学先が女子学園である関係上、女性であること。
傍に付けられるのはメイド一人であるため、令嬢自身にもそうと気づかれないよう、密かに護衛が行える実力者であること。
そして最後に、学生達に混じっても違和感のない年齢であること。
このような条件、民間のボディガード会社が満たせるはずもない。否、どこであっても不可能だ。
正攻法であれば、の話だが。
しかし都合の良いことに、ひとつの条件を除けば、その他全てを満たしている者がここいる。
今回の話が防衛庁迷宮情報調査室まで回ってきた理由とは、つまりはそういうことであるらしい。
「さて――――ここに女顔で、偶然令嬢と同い年の十六歳で、かつ『一桁』の人間がいます」
「そこのゴリラ、実はまだ十六だったんですねぇ……」
「貴方ですよ、貴方」
そう、この場にいる『一桁』は二人。
一人は室長の天久隆臣。そしてもう一人が
『桁』とは、探索者としての序列のことだ。
世界中に存在する探索者達は、その能力や魔物の討伐数によって格付けされている。『桁』とは文字通り、その探索者が何桁台の序列に位置しているのか、ということ。もちろん、それらは探索者協会によって管理されている情報であり、一種の個人情報として扱われている。自ら開示しない限り、第三者に知られるようなことはない。要するに『一桁』とは、世界中に存在する探索者のうち、
無論
護衛は別にいい。女子校に潜入するのも、まぁいい。だがしかし、女装だけは。
「誰が女顔ですか! こんな男前を捕まえて、よくそんなことが言えますね!」
「というわけで、別室に女装道具を諸々準備してあります。とりあえず一度試してみましょう」
「パワハラの豊洲市場」
正座をしたまま、密の手によってズリズリと別室に連行されてゆく織羽。その後ろ姿には哀愁が漂っており、殆ど出荷されるかのようであった。しかし残念ながらこの場には、彼に救いの手を差し伸べる者は居なかった。