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第2話

 発端はこんな一言だった。


「そういや織羽おりは、次の仕事が決まったぞ。護衛だ」


 防衛庁迷宮情報調査室の長、天久隆臣あめくたかおみが放った言葉だ。短く刈り込まれた髪に、無精髭。左目の周囲には大きな傷跡。190センチはありそうな巨躯に、スーツの上からでも分かる鍛え抜かれた肉体。どう見ても堅気ではなさそうな、威圧感たっぷりの厳つい風貌だ。日常会話の流れで突然本題を切り出すのが、この男のいつもの手口であった。


「んー」


 『織羽』と名指しで呼ばれた少年が、ソファの上で雑に返事をする。

 目鼻立ちは整っているものの、少し幼い印象を受ける顔立ち。夜空のような濃紺色の髪。身長は少々低め。その顔立ちも相まって、黙っていれば少女と見紛いそうになる、そんな少年だった。或いは髪が長ければ、殆どの者が勘違いするかもしれない。


 まるで家でくつろいでいるかのような、気の抜けた返事であった。

 ちくちくと針を縫う手は止めず、趣味の裁縫に精を出す。仮にもここは仕事場で、会話の相手は上司だというのに。

 織羽がこの仕事に就いてから、もうかれこれ六年程になる。その間どんな任務を与えられても、織羽がそれを断ることはなかった。要人の護衛に始まり、暴走した探索者の捕縛。一般の探索者では手に負えない、強力な魔物の討伐。場合によっては、ダンジョン内部の調査までもが任務に含まれる。迷宮情報調査室の名が示す通り、ダンジョンに関わるほぼ全ての問題を解決するのが、彼らの主な任務であった。『仕事だから』と言ってしまえばそれまでだが、しかしその一言で片付けるには些かハードな仕事ばかりだ。


 だが、織羽はその悉くを解決してきた。

 若干十六歳にして、迷宮情報調査室のエース。それが来栖織羽くるすおりはという少年だった。


 織羽は過去、事故によって両親を亡くしている。

 以降は施設で妹と暮らしていたが、その最愛の妹でさえも、もう居ない。

 失意と絶望、倦怠の海に沈みならがらも、ただ独りダンジョンへと潜りつづけていた織羽。今際の妹と交わした、殆ど『呪い』のような『約束』の為に。そんな彼を迷宮情報調査室へとスカウトし、今ではすっかり上司兼、父親代わりのような存在になっている男。それが天久隆臣であった。この二人の関係を簡単に説明すれば、大凡こんなところだろうか。


「うん、まずまずかな」


 今しがた縫い上げた人形を手に、満足そうな表情を浮かべる織羽。彼にとって裁縫は、趣味と呼べる数少ないもののひとつであった。普段は荒事ばかりを担当しているおかげか、同僚からは『似合わない』などと言われたりもするのだが。


「で、次は何? また魔物でも出た?」


「ちげぇよ。護衛だっつったろうが」


「じょ、冗談だし。ちゃんと聞いてたよ、いやホントに」


 緊張感にはやや欠けるが、下らない会話はいつもの事。

 そうしていよいよ、天久は任務の詳細について説明を始めた。


「九奈白市は知ってるよな?」


「それは勿論。国内最大の迷宮都市だし、今日日知らない人なんて居ないよ」


 織羽の言葉通り、九奈白市とは国内でも最大の迷宮都市だ。

 市全体が巨大な人工島であり、ダンジョンを中心として囲うように作られた街。ダンジョンから産出する多くの資源によって栄えており、全国から探索者達が集まる、謂わば探索者の聖地とも呼ぶべき街だ。また海の上であるが故に景観もよく、観光地としても名高い。そういった理由から、富裕層や上流階級の者らも多く居を構えている。優れた治安と都市機能がウリの、日本を代表する都市のひとつである。


「おう、その九奈白市だ。んじゃあ、九奈白家は知ってるか?」


「それは勿論。九奈白市を作った、どえらいお金持ちでしょ?」


「まぁ、今はその認識でいい。なら白凪学園も知ってるよな?」


「いや知らないよ。何知ってて当然みたいな言い方してんのさ」


 当たり前といえば当たり前だが、流石に学園のひとつひとつまでは知らないらしい。とはいえ、天久もわざわざ補足したりはしない。そのまま話を進めたところを見るに、それほど重要な事ではないのだろう。


「ここまで言えば大体の予想はつくだろうが――――」


「つかないでしょ」


 そんな織羽の小さなクレームは、しかし天久に届くことは無かった。織羽とて、別に詳しい説明が欲しくて言った訳では無い。殆ど意味のない、ただのツッコミだった。


「今回お前には付き人として、白凪学園に通う令嬢の護衛に就いてもらう。期間は三年間」


「りょーか――――え、長くない? 聞き間違いかな?」


「つまりは令嬢が入学してから、卒業までの間ってことだな」


「聞き間違いじゃなかったかぁ」


 織羽はこれまでにも、何度か護衛任務に就いた経験がある。護衛任務と一口に言っても、その内容は様々だ。

 例えばダンジョン内での護衛。といっても特定の階層まで直接案内するわけではなく、先行しての露払いや、或いは陰からの援護が主だ。

 例えば要人の護送。一件畑違いに見えて、しかし敵対勢力に探索者の関与があれば、それは彼らの管轄になる。何れも非公式かつ秘匿性の高い任務であり、織羽ら迷宮情報調査室の名前が表に出ることはまずない。だが、そのどちらにも共通して言えることがある。それは隔絶した戦力が必要な場合であり、かつ短期間での任務だということ。なにしろ迷宮情報調査室は少数精鋭。つまりは人員が非常に少ないのだ。故に、三年間などという長期に亘っての護衛は本来あり得ない。


「え、どういうこと? ギャグじゃなくて?」


「あ? 別に問題ねぇだろ? え、何? お前やらねぇの?」


「いやまぁ、やるけどさ……」


「だろ? まぁアレだ、お前年頃なのに学校行ってねぇし。丁度良いからついでに学園生活を満喫して欲しいっつー、俺の親心だ」


 余計なお世話だ、という言葉は既のところで飲み込まれた。どこまでが本心かは分からないが、まるきり嘘というわけでもないだろう。それにどの道織羽には、最初から断るつもりなどないのだから。もし懸念があるとすれば、それは護衛対象が同年代の少女だということくらいか。

 護衛任務とは、護衛対象の協力が必要不可欠だ。極端な話、護衛対象が自ら危険へと首を突っ込んだ場合、どれだけ努力したところで護りようがないのだ。つまり護衛対象と良好な関係を構築することが、任務成功の必要条件というわけだ。しかし織羽はその経歴上、同年代の少年少女と接した経験に乏しい。幼くして所属することとなった迷宮情報調査室の同僚は、ひとり残らず年上だった。目の前のオッサンは比較対象にすらならない。こんな筋骨隆々の反社っぽい男とのやりとりなど、同年代との会話には何の役にも立たないだろうから。


「まぁいいか……なんとかなるでしょ、多分」


「よし。んじゃまぁ、一応形式だけはやっとくぞ」


 そう言うと天久は服装を正し、やたらと偉そうなデカい椅子から腰を上げる。対する織羽も同様に服装を正し、ソファから立ち上がる。先程までの気だるげな態度とは打って変わり、至極真面目な顔で直立する。少なくとも表向きは、だが。


「では任務を与える。本件依頼者の敵対勢力が排除されるまでの間、依頼者の娘を護衛せよ。また、障害が現れた場合はこれを排除せよ。期間は最長で三年間とする。準備が完了次第九奈白市へと赴き、同市に於いて九奈白家の長女、九奈白凪を護衛。及びその学園生活を補佐するように」


「りょうか――――ん?」


 はて、そんな話があっただろうか。護衛任務とは聞いていた。護衛対象が九奈白家の令嬢だというのも、家の話が出た時点で薄々感づいてはいた。だが学園生活の補佐とは、一体なんのことだろうか。聞き覚えのない命令に織羽が僅かに逡巡し、すぐさま記憶を遡る。確かに半分ほどは聞き流していたが、重要な部分を聞き逃すほど気を抜いてはいなかった筈である。しかし脳内の何処を探しても、そんな文言は見つからなかった。


「返事」


「りょ、了解」


 そんな織羽の考えを見透かすように、或いは誤魔化すように返事を促す天久。そんな勢いに流されるまま、織羽もまたつい返事をしてしまう。


「よし。なおこれは補足となるが、貴様が通学する白凪学園は女子校である。ついては織羽、お前はメイドとして学内に通うこととなる。くれぐれも男だとバレないよう留意せよ」


「りょうか――――ん?」


 突如として放り込まれた補足情報に、織羽の思考が一瞬停止する。目の前の男は今、一体何を言ったのか、と。一方の天久はといえば、先ほど命令を下した時と同様、何やら真面目な顔のままで織羽を見つめていた。どうやらこのまま、勢いだけで押し切るつもりでいるらしい。これまでどんな任務でも受けてきた織羽といえど、今回ばかりは流石に誤魔化されてやるわけにはいかない。


「返事!」


「いやいや、ふざけんなよオッサン調子乗りすぎだろ」


「返事は!?」


「するわけないでしょ!」


「貴様! これは命令だぞ、分からされたいのか!?」


「上等だよコラ、テメェ表出ろ!」


 そうして始まった、一般人とは隔絶した力を持つ二人の争い。

 騒ぎを聞きつけた同僚が駆けつけるまでの間、この戦いはたっぷり十分ほど続いた。当然ながら部屋は荒れ、二人はしこたま怒られたという。



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