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第6話 なんと、影武者かっ


 関白様のお言葉は続いた。

「だが……。

 他の絵を見てから戻ると、どうしたことか、今度は目が離せぬ。

 見ても見ても飽きぬ。

 花鳥が他の者を圧して華美に、うつくしく描かれているわけではない。

 全体の姿は突拍子なところもなく落ち着いていて、つまらないとすら言える。つまり、見なければ見ないで済む。

 これは他の絵にはない特長じゃ」

 それはそうだ。


 公家である関白様の好みを考え、武家や寺社の好みとは異なるものを描いた。また、障壁画を注文されるわけだから、俺は近衛家の生活の間を彩る絵を描いたのだ。

 床(の間)に飾る一幅の絵を描けというのであれば、俺はそれに相応ふさわしい渾身こんしんの絵を描く。だが、襖絵にいちいち目をとられていたら生活できぬであろう。


「これを描いた者は、おのれがなにを描くかを知っておる。つまり、これに限らず、どのようなものでも描き分けられるということであろうな。

 そう思って見れば、見れば見るほど飽きぬというのも、この者の手の内に落ちたということかもしれぬ。

 そこが、ちと腹立たしい」

 お褒めの言葉ではあるのだ。

 だが、「腹立たしい」という言葉は、俺を安心させなかった。


 ただでさえ、なにを言われているのか真意を推し量りにくいお公家様の中でも、関白様はさらにわからないお方だ。言葉は他のお公家様より明瞭で武将のようだが、腹ではなにを考えていらっしゃるか別の話だ。心の隅々まで武将でないなら、やはりそのお言葉は口から出たとおりの意味ではなかろう。

 それなのに公家の枠に納まらないお方なのだから、「そんな手に乗ってたまるか」と思われたらそれで終わりかもしれない。


 思い返せば、今までのお言葉、すべてがそうだ。

 全員の絵に対し、お褒めの言葉を発しながらも、決して手放しの褒め言葉だけではない。どれも褒められ、どれも足らない場所を鋭く指摘されている。結果として、誰の絵が一番良いのかは語られていないのだ。

 だから、それぞれに話されたときは決定かと思わされたが、最後になるとまたわからなくなっている。



「では、答え合わせと行こうか。

 まず一枚目、雪舟もかくやというこれを描いたのはたれじゃ?」

 ここで、肥前国から来た俺より年下の新参絵師が平伏した。

 俺の口から、驚きの息が漏れた。

 俺ばかりではない。そこにいた者で、答えを知っていた宗祐叔父以外は皆驚いただろう。


 まだ前髪の残る元服前の歳で、雪舟もかくやというものを描くとは……。

「名はなんという?」

 関白様の直接の御下問である。

「肥前国籾岳もみたけ城の城主、原直家はらなおいえが次子、原直治はらなおはるでございまする」

「見事じゃ。

 絵の厳しさは、若さの現れかの。原直治の名は覚えておく。

 まこと、先が楽しみじゃの」

 と、関白様のお言葉である。


 若年ながら身につけている立ち振舞いの見事さは、やはり育ちを映しているのだ。そこをも関白様は買われたにちがいない。



「次じゃ。

 この二番目の才気は誰のものじゃ?」

 ここで、能登国から来た俺より年上の新参絵師が平伏した。

名告なのるが良い」

「能登国、七尾の長谷川信春はせがわのぶはるにございまする」

「今までその名が京に届かぬは可怪しい。どのようなものを描いておったのか?」

はばかりながら、仏画を少々」

「なるほど。それで、自在に筆を動かしたくなったか?」

「仰るとおりでございまする」


 なるほど、と俺も思った。

 仏画はそこで独立しうる世界である。

 様式が定まっていて、自由な形には描けない。その憂さをここで晴らしたのであろう。また、描かれた仏画は、絵自体ではなく描かれた仏に価値がある。かなりの才気ある者が描いたことは一目瞭然でも、その者の名が伝わらないことは往々にしてあるのだ。


「うむ、面白い。

 仏画は障壁画のようには連らなって描かれにくいもの。精魂込めて一枚を描く、というのがその方の本性なのであろうな。

 ここまで絵というものが描く者の素性をあらわにするとはの。やはり、顔を見るというのは間違いではなかった」

 関白様の言葉に、信春と名乗った新参は平伏した。


「さて、三枚目じゃ。

 この鳥は、ほんにめぐいのう。

 先程も申したが、障壁画はともかく、麿にだけの扇絵は、是非にも描いて欲しいもの。

 名を名告るがよい」

 そこで、中堅の絵師が平伏したが……。


「……お許しくだされ」

 それだけ言って、名告ることもなく平伏したまま後退あとじさっていく。


 これはただ事ではない。

 顔は土気色となり、熱い汗か冷たい汗か、額から首まで滝のように流れ、襟はぐっしょりと濡れている。


 宗祐叔父が声を掛けた。

「これ、石見大夫いわみたゆう、どうしたのじゃ?

 せっかくの関白様からのお言葉ではないか。しっかりおこたえせよ」

「お、お許しを」

 ついに、平伏をこえ、這いつくばってしまった。

 異音が聞こえると思えば、恐れのあまりか歯がかたかたと鳴っている。全身が震えているし、殺されるような恐怖に耐えているに違いない。


 石見大夫は、石見の国から来た男という意味で、そのまま名前代わりにそう呼ばれている。

 地方から上洛してきた者たちの中には、実の名よりもそのような呼ばれ方の方が地縁を活かせて有利という者もいる。めずらしいことではない。


 そこで、父が平伏し言葉を発した。

「大変に申し訳ありませぬ。

 どうやら、この者、替え玉であったような。この者の画風、師たる手前、知り尽くしております。ここにあるこの絵、決してこの者の描いたものではございませぬ。

 ただ逆に、当家を統べる者として描いた者もわかり申しますし、名乗り出られなかった理由もわかり申します。これは我が狩野の家の恥、どうかお許しを」

 そう言って父が平伏したので、俺もわけもわからぬまま同じく平伏した。


「そういうことか。その方、不埒にもどうせ選に洩れると思い、この場だけ切り抜けられればと思うたか」

 関白様のお言葉に、怯えきった石見大夫は必死で頷こうとする。

 だが、すでに額は床に擦り付けられているため、うなじが何度も持ち上がるだけだ。


 宗祐叔父すら絶句している中、平伏したままの父の声だけがこの期に及んでも動じずに響いた。

「関白様。

 恥を忍んで申し上げまする。おそらくはこの絵、描いたは我が娘、小蝶にございまする」

「なんと……。

 狩野の血は争えぬものよな。娘でありながら、これほどのものを描くとは……」

 俺も息を呑んでいた。


 小蝶め、いつの間にここまで腕を上げたのか、と。そして、大画を一度も描いたことがない弱点を突かれるとは、と。見抜いた関白様の眼力の確かさには、恐れ入るしかない。

 もしかしたら、関白様は日々、優れたるおのれの力を持て余していらっしゃるのやもしれない。その発散が鷹狩であり、乗馬であり、武将との交流なのではないか。

 またそれは、今日の酔狂とも呼べる絵競いの見証けんじょ(※)にも繋がっているのであろう。



「誠に申し訳ございませぬ。

 関白様にお仕えする者を公正に選ぼうと、誰が描いたかわからぬよう手順を決めたことが裏目に出申してしまいました。これは、ここにいる宗祐すら、公正を期す取り決めのために知りえなかったこと。

 重ねてお詫び申し上げますが、すべての責はこの狩野直信なおのぶにあること。この身を隠居させ償いとうございます」

 そう言った父が、再び平伏する。父は小蝶だけでなく、宗祐叔父をもかばったのだ。

 そこで、その場にいた我ら全員が平伏した。


「直信、狩野の家は盤石ばんじゃくよの」

 関白様のお言葉に、父がさらに頭を下げた。関白さまの言葉は唐突に聞こえた。だが、その真意はわかる。


女子おなごは、おおっぴらには絵師にはなれぬもの。その女子ですら、狩野の家の者はここまで描くとは、の。だが、これを見れば認めざるをえまいよ。

 おまけに、この最後の一枚も其方の息子のものであろう。すでにこの場に残った者、其方の息子しかおらぬではないか。

 これ、名はなんという?」

 御下問を受けて、俺は平伏して答えた。

「源四郎でございまする」

「なるほど、其方か。足利将軍に十歳にして目通りを許されたというのは。

 うむ、得心が行った。

 ここにある花鳥図の表すものにしても、その所作振る舞いにしても、だ。狩野の長子なれば、おのれがなにを描くかわかっているのは当然と言えるし、おのれの芸を抑え、あえて型に嵌める抑えの姿勢を取る必要もあろう。

 良きかな。

 さすがは法眼ほうげんの孫よ」

 法眼とは、祖父のことだ。妙心寺霊雲院れいうんいんの障壁画を描き、僧としての位である法眼を頂いたのだ。


 関白様が喜んでいらっしゃるのであれば、それはもうなによりのことだ。

 だが……。

 最後に関白様は、誰を良しとされるのであろうか。



見証けんじょ ・・・ 審判

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