あまりの衝撃に、俺は、姫川が落下した場所で呆然としていた。そして、たまたま近くを通りがかった飯ごう係の女子に、「あれ? 王子……じゃない。……王路君、どうしたの? 大丈夫?」と声をかけられたことでハッと正気に返った。
俺はその場に膝をついて、姫川が滑り落ちていった跡を眺める。緩やかな傾斜の先は、切り立った崖のようになっていた。――こんな崖みたいな所から落ちたら、姫川は……。
赤黒い血を流しながらグッタリと横たわる姫川の姿を想像してしまい、ゾッと背筋に震えが走って、全身に鳥肌が立った。
「姫川っ!」
俺は無意識に姫川の後を追いかけようとして、グイッと腕を強く引かれ、地面に尻もちをついた。
「ちょっと! 何しようとしてるの、王路君!」
のろのろと女子を見上げた俺は、多分酷い顔色をしていたんだと思う。異変を察知したらしい女子が、「何かあったの?」と聞いてきた。俺は渇いてパサパサになった口をはくはくさせて、なんとか「姫川が」という言葉を絞り出すことができた。
「姫川君……?」と、困惑した表情を浮かべた女子は、俺と崖を見比べて、
「……まさか、姫川君がここから落ちちゃったの!?」
と、驚いたように言った。
俺が何も言えずに頷くと、女子は「とりあえず立って!」と言って、俺の腕を引っ張った。なんとか立ち上がった俺の腕から手を離した女子は、「
でも俺は、電池切れになったロボットのように動けなくて、女子の背中をぼーっと眺めていた。すると、俺がついてきてないことに気がついたらしい女子が、後ろを振り返った。
「何、ぼーっとしてるの! 早く! 急いで!」
と叫ばれて、「あ、ああ!」と、ようやく動き出すことができた。――自分でも情けなかったと思うが、地面に足を縫い付けられたように、全く動くことが出来なかったんだ。人間、強い衝撃を受けると、動けなくなるって本当なんだな。
その後、鮴岳の元まで全速力で走っていき、姫川が崖から転落したことを説明した。鮴岳以外の教師や生徒達は騒然となり、パニック状態になった女子もいたが、鮴岳が上手く収めてくれた。そして、一刻も早く姫川を助けに行こうとした俺を、冷静な態度の鮴岳が止めた。
「なんでだよ! 早く助けに行けないと姫川が……っ!」
「もうすぐ雨が降りそうだ。だから、今すぐに捜索するのは危険すぎる」
「雨……?」と、俺は空を見上げる。確かに、さっきまでよりは雲が増えた気がするけど、青空が広がっていて雨なんか降りそうには見えない。
「っ、俺一人で探してくる!」
俺は身をひるがえして走ろうとしたが、大きくてゴツい手に肩を掴まれてしまう。誰だよ! とイラついて振り返ると、真面目な顔をして首を左右に振る鮴岳がいた。俺は鮴岳の表情から本気を感じとって、泣きそうになりながら、姫川の捜索を断念した。それから数十分後。鮴岳の言う通りに雨が降り出した。
「姫川……」
肌を刺すような冷たい雨に、ますます不安が増した俺は、「もう待てない!」と鮴岳に訴えた。教師達は、他の生徒への指示でてんやわんやしている。――今なら目を盗んで……!
そんな俺の考えなどお見通しだったのか、再び鮴岳が立ちはだかった。「どけよ!」と、俺は怒鳴ったが、鮴岳は怯むどころか表情を険しくした。だけど、俺も負けないくらいに鮴岳を睨みつける。すると、ハァとため息をついた鮴岳が、
「……先生も同行しよう。ただし、捜索の前に装備を整えてからな」
と言って、苦笑した。
……そうして俺は、鮴岳と二人で姫川の落下地点を捜索して、無事に姫川を見つけることができたのだった。
――キャンプ場。
俺は、救護テントの簡易ベッドに姫川を下ろして、すっかり冷え切ってしまっている身体を揺すった。
「おい、姫川、起きろ。キャンプ場に着いたぞ」
「んんぅ……」
グズる姫川が可愛くて、俺は顔が熱くなるのを感じた。だけど、ここには養護教諭のおばちゃん先生が居て、姫川が起きるのを待っている。俺は心を鬼にして、気持ちよさそうに眠る姫川を、ゆっさゆっさと揺さぶった。
「う……?」
長いまつ毛を震わせて、姫川は目を覚ました。ぼんやりしている姫川に、キャンプ場に戻ってきたことを伝える。すると姫川は、へにゃりと笑って、「良かったぁ〜〜オレ、ちゃんと生きてるわ〜〜」と言った。――気の抜けた笑顔がめっちゃ可愛い。尊い。
俺は心の中で悶えながら、怪我の手当てを受ける姫川を見守った。幸い大きな怪我はなく、左足首を捻挫しただけだったようだが、頭を打っている可能性があるらしい。今はピンピンしているが、冷たい雨にも打たれていて、体温はかなり下がっている。
姫川は服を着替えて毛布にくるまると、雨が止むのを待ってから、鮴岳におんぶされて下山した。副担任も同行した。どうやら近くの病院を受診するそうだ。――大丈夫だといいんだけどな。
俺は姫川の姿が見えなくなっても、しばらくの間、見送った場所に立ち止まっていた。――こうして、俺と姫川の校外学習は終わりを迎えたのだった。