「い……っ、てぇ〜〜……」
オレは、張り出した木の枝や草や落ち葉で、身体のあちこちに擦り傷や切り傷を負った。幸い頭は打たなかったみたいだけど――
「うぐ……っ!」
立ち上がろうとしたら、左足首に激痛が走って、オレは涙目になった。
「転がり落ちた時に捻ったんかなぁ? 全然、覚えてねぇけど……」
軽い捻挫か……もしかしたら、骨にヒビが入っているかもしれない。どちらにしろ、うろうろ歩き回るのは難しそうだな。
あり得ない状況に陥ったからか、それともアドレナリンが出ているからか、怪我の痛みはそこまで感じなかった。――いや。左足はクソ痛ぇけどな。
「てか、ここどこだよ……?」
オレは尻もちをついたまま、回りをキョロキョロと見回してみたけど、木と草と落ち葉しか見つけられない。手でひさしを作って、遠くを見渡してみたが、すくすくと空高く伸びた木の幹が見えるだけだった。
「……現実的に考えるなら、落ちてきた道を戻ればいいんだよな? そしたら、元の場所に戻れる訳だし」
オレは近くの木の幹に寄りかかりながら、よいしょっと、立ち上がった。そして、オレが落ちてきた跡が残っている場所を見上げて――
「これ、上がるのムリだわ」
という結論を出した。
当初の目的としては、鍛え上げた両腕と右足だけで、上に上がる予定だった。しかし、思ったよりも、山の斜面の傾斜がエグかったのだ。
「ボルダリングかっつーの!! 無理に決まってんだろーがこんなのォ! オレは怪我した、か弱いバスケ部員だぞ!!」
喉が痛くなるほど叫んだのに、やまびこどころか、こだますらしなかった。多分、わんさか生えている木が、音を吸収してしまってるんだと思う。――木が音を吸収するから、木で作った『防音壁』ってのがあるって、いつだったかテレビで観たわ。
「……じゃあ、叫んでも体力の無駄じゃねーか。どうやって助けを呼べって言うんだよっ」
オレは、椅子くらいの大きさの石を見つけて、取り敢えずそこに座った。――てか。マジ、あぶねー。もう少し軌道がズレてたら、この石にぶつかってたわ。
足から突っ込んでたら、足の骨バッキバキに折れてただろうし、頭から突っ込んでたら……想像したくねー。
「オレって運いーじゃん! って、運がよかったらこんなことになってねーか……」
はぁ~あ、と元気のないため息をついて、サワサワと気持ちよさそうに揺れている枝葉を眺めた。
「……これは全部、王路のせいだ」
あいつが女の子と楽しそうに料理なんかしてるから、オレがこんな目に遭ってるんだ。
あの時の様子を思い出したら、また胸の辺りがもやもやしてきて、喉の奥にピンポン玉が詰まったような不快感を感じるようになった。
「……そうだった。オレ、水飲み場に行こうとしてたんだった」
気付かなかったらなんともなかったのに、気付いてしまった途端に喉が渇いて仕方がなくなっちまった。
「あーあ。せめて水飲んでから落ちればよかったぁ〜〜!」
――ポツン
「あ?」
大きく開けた口の中に水滴が落ちてきた感覚がして、そのまま空を見上げると、枝葉の隙間から灰色の雲が見えた。――ついさっきまで晴れてたのに!
「嘘だろ……?」
オレの言葉をせせら笑うみたいに、曇り空からポツポツと雨粒が落ちてきた。
「水は欲しかったけど、雨は頼んでねーって!」
――『山の天候はいつ崩れるかわからない』って、
今はまだ4月で、それにここは標高が高い山の中だ。体操服の上にジャージを着ただけの格好で、山の冷たい雨に打たれて濡れたら、体温が下がって低体温症になるかもしれない。そんで、最悪の場合は死――
「……うわ、やべえじゃん。マジで」
――まさか、漫画やドラマみたいなことが自分の身に降りかかるとは。
「ハハッ」
楽しくもなんともない、危機的な状況なのに、何故か笑いが込み上げてくる。多分、危険を察知して、アドレナリンがドバドバ出てきてるからだろう。
「ランナーズハイかよ……マジで危機的状況じゃんか」
オレは、ドキドキしてきた心臓をジャージの上から押さえながら、キョロキョロと周囲を見渡した。――雨宿り出来そうなところは見当たらない。
「……仕方ねえ。やっぱりここから移動した方がいいか。雨が酷くなる前に、どっかで雨宿りしねぇと」
よいしょ、と椅子代わりにしていた石から立ち上がって、左足を引きずりながら移動する。すると、パラパラと降っていた雨が勢いを増してきた。オレは、ヤバイヤバイと連呼して、森の中をさまよう。――雨にぬれたジャージは重いし、地面がぬかるんで上手く歩けないし、どしゃぶりの雨で前は見えにくいし! 一体オレが何したってんだ!
「……くそっ」
オレは段々イライラしてきて、ハァハァと肩で息をしながら、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。そして――
「王路のバカヤロー!! お前が女子とイチャついてっから、オレがこんなひでー目に遭ってんだぞー!! お前はオレの彼氏なんだろーがっ! ……っ、彼氏なんだったらっ、今すぐオレのこと見つけ出せよ……っ。 バカーーっ!!」
「――馬鹿はお前だ、馬鹿っ!」と、王路の声が聞こえた気がした。「えっ? 王路?」と、後ろを振り返ろうとした瞬間。
バサッ!
と、背後からビニール――黄色の雨ガッパを被せられ、そのまま誰かに抱きしめられた。
「えっ!? えっ、えっ……えっ?」
「『えっ?』しか喋れねーのかよ、お前はっ!」
聞き慣れた良い声でツッコミを入れられ、オレはようやく、王路に助けられたことを理解した。
「あっ、あの、王路……オレっ」
「いーから! ……少し黙っとけ」
王路の声は震えていて、オレを抱きしめる力もどんどん強くなっていって。それが痛くて……でも嬉しくて、安心して。オレは、王路に抱きしめられたまま、ボロボロと涙を流したのだった。