オレは、一瞬頭に浮かんだ『王路が可愛い』の文字を、パッパッ! と手を振ってかき消した。
それから王路をリビングまで誘導して、白い革張りの高そうなソファに座らせた。――オレは恐れ多いので、ラグの上に胡座をかいた。……これも高そうだけどな。
「こほん! ……王路。よく聞け。今のお前は普通じゃない。お前が情緒不安定なのは、全部高熱のせいだ!」
オレは人差し指を王路の鼻先に突きつける。王路はぼうっとしながら、こてんと首を傾けた。
「お前に恋してるから、情緒不安定なんじゃなくて?」
王路の言葉に、オレの顔はカアッと熱くなった。――まっ、まっ、真顔で『恋』とか言うんじゃねえ!
「今はそういう話はしてません! ……とにかく! 今のお前は熱のせいで普通じゃないってことだ!」
オレが腕を組むと、王路も真似するように腕を組んだ。
「たしかにな。今の俺は、お前にムラムラしてて、めちゃくちゃセッ、」
「シャラップ!!」
――せ、せ、セーフ!
「なぁ、王路。頼むから、黙ってオレの話を聞いてくれ……」
羞恥心で、どうにかなりそうになって、オレは切実に懇願する。すると王路はこくりと頷いて、両手で口元を隠した。――そうじゃない。『黙って』とは言ったけど、そうじゃない。
王路の言動や行動に振り回されて疲れたオレは、とりあえず今の熱を測ってもらおうと、手提げ袋から体温計を取り出した。
「じゃあ、王路。コレで体温を計ってくれ」
「わかった」
王路は、オレから受け取った体温計を脇に挟んだ。ピピッと瞬速で音が鳴る。――まじかよ。これ、ぜってー熱高いやつじゃん!
オレは羞恥心も忘れて、パジャマの襟から王路の脇に手を突っ込み、体温計を取り出した。
「……38度2分」
想像していたよりは低めだったけど、高熱は高熱だ。
「まずは横にならねーと」
オレは膝立ちになって王路に近づくと、立てるかどうかを訊ねた。王路はこくんと頷いたので、オレは王路がよろけないように見守りながら、王路の部屋までついて行った。
「――とりあえず、これでよしっ」
王路を無事ベッドに寝かせることに成功したオレは、リビングに戻って手提げ袋を取ってこようと王路に背中を向けた。前に歩こうとすると、ツンとつんのめりそうになり、その原因を作った王路を振り返った。
「どうしたんだ? 他に何かやってほしいことでもあるのか?」
病人には優しく! の心情で、オレの制服の裾を掴んで離さない王路に微笑みかける。すると王路は弱々しい声で、「行くな。ここにいろ」と言ってきた。その言葉に、オレの胸はキュンとする。――正直、王路のことを恋人として好きかと聞かれると、「イエス」と即答することは出来ないと思う。
でも、こうして甘えられるのは嫌じゃないし、キスだって恥ずかしかっただけで嫌悪感は全く無かった。今回みたいに、普段見れない王路の新たな一面を見て、正直可愛いと思った。だけど王路が言うように、王路にムラムラしたり、セッ……スをしたいかと問われると、答えは「ノー」だ。
オレは王路に嫌悪感を感じないだけで、やっぱり女の子のことを可愛いと思うし、女の子が恋愛対象なんだと思う。王路だって、高校1年の最初の頃は、美人の彼女がいた。俺達はいわゆる『ノンケ』だ。――なのにどうして、王路はオレにキスしたくなったりするんだろう? オレは王路のことを可愛いと思ったりするんだろう?
俺達は『付き合ってる』けど、その関係は歪だ。
「……姫川」
オレが何を考えているのか分かっているみたいに、不安そうな顔でこっちを見つめてくる王路に、なぜか罪悪感を感じながら笑いかけた。
「もうすぐ電車の時間だから、ずっと側についててやることはできない。でも、枕元に経口補水のゼリーを置いていくからな。あと、体温計も。……そうそう。オレのかーちゃんが言ってたぞ。急性胃腸炎は無理に食事をせずに、胃腸を休めて水分をしっかり取れって」
「分かったか?」と聞いてみると、「わかった」と返事が戻ってくる。
「お前のかーちゃんが色々と面倒見てくれるかもしれねーけど、他にもいろいろ持ってきて、リビングのテーブルの上に置いておいたからな」
「……さんきゅ」と、王路は熱い息を吐いた。
「……朝は大体、熱が下がりがちになるっぽいんだけど、無理して動いたせいで熱が上がってきたかもな。そだ。朝の薬は飲んだか?」
「……抗生剤、飲んだ」
「解熱剤は出たか?」
「……ある。熱が出るのは身体が菌と戦ってるから、あまり飲むなって言われた」
「そうだな」と、オレは頷いて、それでも今は飲んだ方がいい、と薬が入った袋を探した。すると、王路がデスクの方を指さしたので見てみると、『とんぷく(解熱剤)』と書いてある袋を見つけた。
1回1錠と書いてある服用量を確認して、シートから錠剤を取り出した。オレはそれを王路の口の中に入れて、経口補水のゼリーで飲ませた。――吐き気がある時とか、この経口補水のゼリーで薬飲むと、気持ち悪くなりにくいんだよな。……まあ、個人差あるだろうけど。
「よし! 解熱剤も飲んだし、あとはたくさん寝るこった。じゃあ、そろそろオレは学校に――」
行くからな、と言う言葉が突然のどから出てこなくなった。だって王路が、心細そうな、すがりつくみたいな目でオレのことを見るから。
「……お前って、体調が悪くなると甘えん坊になるんだな」
「弱みを握ったぜ」と、オレはニシシと笑った。「……うるせえよ」と、王路は言いながら、手をつないでくれと掛け布団から左手を出した。
「ったく、しょーがねぇなぁ。『病人には優しく!』がうちの家訓だから、少しだけ側にいてやるよ。オレの優しさに感謝しろよな?」
オレが笑って手を握ってやると、王路は安心した顔をして目を閉じた。その寝顔を見て、不覚にも可愛いと思ってしまったオレは、頭がどうかしちまったのかもしれない。
そして、少しだけ側にいるはずが、いつの間にか王路と一緒に眠ってしまい、オレは学校を遅刻してしまったのだった。