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第5話 付き合って初めての登校

 筋トレを終えてシャワーを浴び、脱衣所で髪をセットしていると、ピンポーンとチャイムの音が聞こえた。


「えっ! あいつもう来たの!?」


 焦って手に着いたワックスを洗い流していると、パタパタと廊下を小走りするかーちゃんのスリッパの音が聞こえてきた。


 「はいはーい」と、かーちゃんは脱衣所の前を通り過ぎて玄関へ向かう。「かっ、かーちゃん待って! オレが出るからっ」と、廊下をひょっこり覗いた時には、もう玄関扉は開いていた。――かーちゃん、行動が早すぎる! さすが看護師!!


 などと感心している場合ではなく、オレは焦って玄関へ向かった。


「あらあら、王路君じゃない! 久しぶりねぇ」


「おはようございます、おばさん。ご無沙汰してます」


「まあまあ、ご丁寧にどうもありがとう。もしかして環ちゃんを迎えに――」


「かーちゃん! あとはオレが相手するからっ。かーちゃんも仕事行く準備があるだろ?」


 オレがまくしたてるように言うと、かーちゃんは玄関の壁に掛けてある時計を見て、あらやだと言った。時刻は6時15分過ぎである。かーちゃんはこれから化粧をして、家事をこなして7時には家を出なければならない。


「今日は日勤なのよ〜。王路君ごめんなさいねぇ、バタバタしちゃって!」


「いえ。自分は大丈夫っす」


「いいから、かーちゃんは早く準備しろって」


 「はいはい、わかったわよ〜。それじゃあ、王路君、またね」と、かーちゃんは忙しなく階段を上っていった。


 かーちゃんがいなくなった途端、肌がむず痒くなるような、項のあたりがそわそわするような妙な空気が流れた。とりあえず、何か言わなければと思い朝の挨拶をする。


「はよっす」


「はよ。……急がねーと、電車に乗り遅れんぞ」


 言われて、オレはハッと自分の姿を見下ろした。――まだ、Tシャツにスウェットパンツ姿だった!


「わ、わり! すぐに着替えてくるわ!」


 「おう。行ってら」と、王路の声を聞きながら、オレは急いで階段を上がった。自分の部屋の扉を開けて、すぐに制服に着替える。スポーツバッグはキッチンに置いてある。


 オレは青いネクタイをテキトーに結んで、羽織ったブレザーのボケットにスマホを入れて、財布をズボンの尻ポケットに入れた。「よし!」と言って部屋を出る。バタバタと階段を駆け下りて、キッチンに向かい、スポーツバッグを引ったくるように持った。


「わり! 待たせた!」


 オレは雑にスリッパを脱いで、踵の潰れたスニーカーを履く。よし、行くぞ! と立ち上がると、すぐ目の前に王路の顔があってびっくりする。――も、もしかして、ここでおはようのチューをするつもりか!?


 なんて思い、反射的に両目を瞑ると、シュルッとネクタイが解かれる音がした。


 オレは頬に血液が集中するのを感じて、


「あ、朝っぱらから人んの玄関で、ナニするつもりだっ」


 と小声で抗議すると、王路はきょとんとして、


「ネクタイがぐちゃってたから、結び直してやろーと思って」


 と言った。――な、なんだ。ネクタイか……いや、でも、ネクタイ締めてもらうのも結構恥ずいだろ!


 オレは王路からネクタイを奪った。


「い、行きの電車の中で結ぶからいい!」


「? すぐに済むぞ?」


 「い、いいんだよ! 早く行くぞ!」と、オレは王路の手を咄嗟に握って、玄関ドアを開けた。――な、なんかすげぇナチュラルに手ぇ握っちまったーー!!


 オレの頭の中はパニックになっていた。――ど、どうする? これってどのタイミングで手ぇ離せばいいんだ!?


 王路の手を握ったまま、オレは早足で駅に向かう。早朝の住宅街はひっそりと静まり返っていて、今のところ人影はない。手を繋がれたまま、大人しく着いてくる王路をチラッと確認すると、王路の顔が赤くなっていた。――わ、わ、わぁーー!!


 オレは恥ずかしさに叫び出したい衝動に駆られたが、寸でのところでなんとか耐える。……こいつ、可愛すぎだろ!!


 オレよりデカい図体をして、大型犬のように大人しく引っ張られる王路は、なんというか言葉にできない不思議な感情を与えてくれた。


 オレが、ニヤつく顔を引き締めようと必死になっていると、前方にサラリーマンらしきおっさんの姿が見えた。ヤベッ! と思った瞬間、オレの手の中から、するりと王路の手が抜けていった。


 こんなにアッサリ手を離されると思っていなくて、オレは自分の胸がズキンと痛んで、テンションが下がって行くのを感じた。でも、住宅街を抜けると一気に人が増えるので、そろそろ手を離さなければいけないのは確かだった。


「ちぇっ」


 思わず心の声が出てしまい、ハッとすると、さっきまで繋いでいた王路の手がオレの頭を優しく叩いた。そして耳元で、


「また明日、手ぇ繋ごうぜ」


 と言って離れていった。オレは、おう、と素っ気なく返事をするのが精一杯で。太鼓のように、ドンドコ、ドンドコ鳴る心臓が、口から飛び出てきそうだった。


 4月の早朝はまだまだ寒い。


 けど、オレの耳は燃えるように熱くて、額にもじっとりと汗をかいていた。


「……制汗スプレー、持ってくればよかった」


「あ? なんか言ったか?」


 「な、なんでもねぇよ! ほら早く! 電車に乗り遅れるぞ!」と言って、オレは王路に顔を見られないように駅まで猛ダッシュしたのだった。

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