「ただいまー」
父と母は共働きなので、昼過ぎに学校を早退してきた息子のことなど知らない。――まあ、親への連絡を断ったのはオレなんだけどな。
「……正直、体調が悪いとかどーでもいいわ」
オレはスポーツバッグを床に落として、脱いだブレザーをデスクチェアに放り投げる。そして、Yシャツと制服のズボンを履いたまま、自分のベッドにダイブした。
「『付き合う』って、言っちゃった」
オレはその言葉を声に出すと、ふかふかの枕に顔を埋めて、ぎゃーぎゃー叫びまくった。――もちろん、照れからだ。
枕に顔を押さえつけて、ベッドの上でゴロゴロしていたら、ドスン! と大きな音を立てて床に落ちてしまった。
「いてて」と、腰を擦りながら膝立ちになり、そこでようやくハッとする。
「男同士が付き合うって……何すればいいんだ……?」
気になって仕方がなくなったオレは、ブレザーのポケットからスマホを取り出して、男同士の交際について調べてみることにした。
オレはラグの上で胡座をかくと、枕をクッション代わりにして抱き込み、スマホの画面をタップした。
「えーっと。『男同士』『恋愛』『何をする』……っと」
検索結果はすぐに出てきた。さすが○ー○ル先生。
「なになに……? 『手を繋ぐ』かぁ。結構、ハードル高いな……」
『肩を組む』なら簡単にできそうだけど、手を繋ぐとなったら話は別だ。
「……いくら女っぽい顔してるって言っても、どこからどう見ても男だしな、オレ」
現実は漫画のようにはいかないな、とため息をつく。が、すぐにハッとして、頭をブンブンと左右に振った。
「なに考えてんだバカっ! オレはこの女顔が嫌いなの! それをまるでステータスみたいに言いやがって、コノヤロー!」
オレは気を引き締める為に、思いっきり両頬を叩いた。「よしっ」と、気合を入れ直したあと、もう一度スマホを手に持つ。――頬がヒリヒリして痛い。ちょっと強く叩きすぎたかもしれない。明日、腫れないことを祈る。
「あとは……『ハグ』ね。これはなんとかなりそうかも。そもそも毎日のようにくっついてるしな」
ふむふむと頷きながら、オレは自分の口からポロリとこぼれ落ちた言葉に、数テンポ遅れて気づく。そして、ついさっき言った台詞を脳内再生して、抱えていた枕を部屋の壁に叩きつけた。
「わああっ! うわーっ! 何言ってるんだオレ! 何考えてんだオレ! お、落ち着くんだ。落ち着け……落ち着けぇ……」
スーハー、スーハー、と深呼吸を繰り返し、ちらっとスマホの画面を見ると、知らない間に画面が動いていた。――指か何かがあたったのだろう。
そして、その画面に表示されている文字を、なんの覚悟もなく見てしまった。
「……『キス』」
そう呟いた途端、顔全体にかあっと血が上ったのを感じた。
昼間のキスの感触が鮮明によみがえる。
王路の唇は薄くてカサついていた。ファーストキスはレモンの味がするって聞いたことがあったけど、王路とのキスはカスタードパンの甘ったるい味がした。それに、
「全然、嫌じゃなかった。むしろ、もっとしていたかったような……」
オレは、ぼうっとしたまま、自分の唇を触った。王路に比べて少し厚めの唇は、カサついて荒れていた。
「……リップクリーム、買ってこようかな」
そう呟いて立ち上がると、オレはカッターシャツの上にスカジャンを羽織った。そして、スポーツバッグの中から長財布を取り出して、ズボンの尻ポケットに入れる。
「よし。んじゃ、行ってくるか」
オレはスマホと家の鍵を手に持ち、近所のコンビニへ向かったのだった。
「――で? まだ授業中のお前が、なんでここにいるんだよ」
コンビニで王路に出会ったオレは、奢ってもらったカフェラテをちびちび飲みながら、つっけんどんに言った。――自分でもかわいくない態度だと思ったけれど、キスしたばかりの相手と平気な顔して話すのは、かなりレベルが高いと思う。
そう考えると、オレの隣で当たり前のように車道側を歩いて、照れることなく会話をする王路はレベチだと思う。
王路は焼きそばパン――またパン食ってやがる――を咀嚼しながら、ちらっとこっちを見てきた。
「早退してきた」
「なんで?」
「彼氏が体調不良で早退したから。その見舞いに来た」
「お……っ、まえ、彼氏いたのかよ!?」
「姫川……お前のことだよ、お・ま・え」
「いてぇっ」
王路にでこピンされた額をなで擦りながら、ああ、オレのことだったのかと内心で納得した。
「――それで? 体調はもういいのか?」
「ああ、うん。まぁ、そこそこかな。まだ胃のあたりが痛いけど」
「そっか。お大事にな」
「おう。サンキュ」
それきり会話が途切れてしまう。
オレは気にしてない風を装って、内心ではめちゃくちゃ焦っていた。――な、何か、何か話さないと!
そんなことを考えていると、結局ろくな会話も出来ないまま、あっという間に我が家に到着してしまった。
オレは心の中で涙を流しつつ、門扉に手を掛けて後ろを振り返る。
「あれ? お前、寄ってかねーの?」
「えっ。……あ、ああ。顔が見れたから……それでいい」
王路はここにきて初めて動揺を見せた。それにつられてオレも動揺する。
「そ、そっか。わかった。じゃ、じゃあ、また明日学校でな!」
なんとか噛まずに言えたことに、内心でガッツポーズをしていると、フッと影が重なった。驚いて振り返ると、目の前に王路のかっこいい顔があって、オレは静かに目を閉じた。――触れるだけのキス。
王路は無言で離れ、
「明日から家まで迎えに来る。待ってろ」
と言って、颯爽と来た道を帰って行った。
オレはその後ろ姿が見えなくなるまで見送って、熱く火照った頬に、冷たい手の甲を当てた。
「か……っ、かっこよすぎるだろ……!」
そう言って、オレは腰が抜けたように、ずるずるとポーチに座り込んだのだった。