第33話
「水を入れた桶はとても重いわよね。それを2階から落とせば、どうなるかしら? 琴さんには2階から大声で呼び出して、こっちに来てとでも言えば誘導できる」
そういわれた瞬間、「あっ」と小さな声を上げてしまう。そうか、だから桶があったんだ。あれは抵抗したから壊れたんじゃなくて、凶器として使われたから壊れたんだ。そして、凶器となった水は、桶が割れて、雨と混ぜれば消えてなくなる‼ 上から落としたから足跡もつかない。
「でも、どうしてそんなことを……」
「それは当人同士にしかわからないわ。もしかしたら、お友達とお別れしたくなかったのかもしれない。ケンカをしてしまったのかもしれない。でもね、この事件は、事件にするかどうかは、琴さんが決めたほうがいいと思うの」
私の主は、そう言って笑った。
※
数日後。
琴は、後遺症もなく、元気になって仕事に戻っていた。医官たちからは、「さすがは芽衣殿だな。あなたの適切な応急措置のおかげだよ」とほめてもらった。
そして、彼女は目を覚まし、事件前後の記憶はよく覚えていない。もしかすると、貧血で倒れて、頭を打ってしまったのかもしれない。桶の残骸は、自分が友達の看病のために持っていたものだと証言した。
宛という下女ともすれ違うことがあった。琴は、今でも普通に彼女と接していて、仲良しに見えた。でも、宛の顔はどこか黒くくすんでいるように見えた。
この事件は後宮の幽霊事件のような扱いを受けており、悪霊が怖い女官や下女たちは、興味津々でうわさ話にしていくことで消化されていく。ただの、怪談話になって、いつかは当事者たちの話は、忘れ去られていくことになるんだろうな。
結局、翠蓮様の推論が正しかったのか。それとも幽霊の仕業だったのか。
真相はわからないし、琴に聞くこともできない。でも、彼女はハーブ畑の仕事を手伝いながら「ここを出たら、宛と一緒に地元に帰ろうと思う」と満面の笑みで笑っていた琴は本当に幸せそうだった。
私はその幸せそうな笑顔を守るために、何も言わなかった。
もうすぐ、別れの季節だ。