第38話
「「えっ⁉」」
あの陛下がどうして……
冷徹無比な皇帝と恐れられている彼が、そんな娯楽の場に出てくることなんて今までなかっただろう。気持ちの変化があったのか。
「珍しいですな、陛下がそんなことを言うのは……」
大長秋様は驚きながら、お菓子を食べて落ち着こうとしている。
「ええ、驚きました」
私も素直にそう言った。
「何を言っているんだ。私も人間だぞ。たまには、ゆっくりしたいし、遊びたいとも思う」
いつになく朗らかで優しい笑顔だった。こういう顔もできるんだと驚いて、そして、思わず見入ってしまう。彼の本質はこの優しさなんじゃないかと思った。
「ぜひともいらしてください」
私は苦笑しながらそう言うと……
「私が参加すれば、みな、気をつかってしまいゆっくりできまい? それは本意ではない。私の代わりにゆっくり楽しんでくれ」
そう言いながら陛下は、少し寂しそうに笑った。
※
「まさか、陛下があんなことを言うとは……正直に言って、驚きました」
陛下のもとを辞して、私と大長秋様は、廊下でさっきの反応の感想を言い合う。
「ええ、冷徹無比な陛下が、こんな遊びに興味を示すなんて……」
「もともとは、もっと笑う利発な方だったんですよ、陛下は……皇帝という地位についてから、彼は変わってしまった。いや、変わらざるを得なかったというべきかもしれませんが」
「変わらざるを得なかった?」
「その責任ある立場のせいですよ。先代の皇帝陛下が急死して、まだ、あの若さでこの国を率いていかなくてはいけなくなったのです。それは、緊張するでしょうし、責任感が強い陛下のことですから気負わなくてはいけなくなる」
「……」
「それも陛下は、御父上の功績を認めつつも、それを修正しなくてはいけない難しい立場です」
「陛下はどうしてそんな難しい立場を選んだのですか?」
「それは本人しかわからないことです。ですが、一番簡単なのは、先代と同じ路線を継承して、武力による領土の拡張を目指す方法でしょう。陛下は先代の功績を継承しつつ、あの能力で間違いなく英雄と呼ばれる存在になるでしょう。しかし、その水面下で国はボロボロになっていく」
「すでに、農村部の荒廃は大変なレベルですからね。戦争が継続していれば、若い男は兵士として出征しなくてはいけなくなり、農業の生産力はがた落ちする。そうすると、食べることもままならくなり、兵士も変える場所を失う」
私はそう確認すると、大長秋様は頷いた。
「そうです。おそらく、陛下の代はまだギリギリ耐えることができるでしょう。しかし、次の代で、農村の荒廃は致命的となり、飢饉が頻発していくことになる。そうなれば、治安は悪化し、暴動や反乱が発生し、国は傾いていく」
そして、大宦官は続ける。
「ええ、この国は、民を思いやる徳がなければ、なくなったほうがいい。陛下はそういう風に漏らしたことがあります。自分のことだけを考えれば、保守派とも対立せずに、先代の路線を継承すればいい。でも、陛下は民のことを考えて、その楽な方向に向かうことはできないのです」
私は同意するようにゆっくり首肯して続けた。
「たしかに、戦災からの復興を行うには、陛下の代が最後の機会でしょうね。このまま放置すれば、帝国はゆっくりと自壊の道へと突き進む。どんなに有力な官僚がいたとしても、もう手遅れの状態では何もすることはできない」
「そうですね。そして、その中で一番つらい思いをするのもまた無力な民なのです」
陛下がどんな相手と戦おうとも、前を向いて突き進んでいる理由がよくわかる。
結局、彼の最大の目標は、民を豊かにすることなのね。
民を豊かにできないのであれば、自分の存在意義はなくなる。改革派という存在が力を握るのは大抵の場合、万策尽きた後なのだ。なぜなら、主流派が自分たちの力で改革を実行できることは少ない。既得権益に自分から傷をつけることは、難しい。それは、歴史が証明している。司馬のおかげで、私も歴史に詳しくなった。
では、改革を成功させるためにはどうすればいいのか?
まだ、致命傷にならないうちに、最大の権力者から変わっていくことが必要になる。陛下はそれを実践しているんだ。
「それでは、翠蓮様。私もお菓子を持っていきますので!」
そう言って好々爺は帰っていった。
私も準備があるし、図書館にもいなくちゃいけないから早く帰らなくちゃ!