第25話
私が翡翠宮に戻ると、見知らぬ女性の相手を桜花が行っていた。
「あっ、翠蓮様‼」
桜花は、私のことを見て安心したように笑う。
「桜花、こちらのお方は?」
そう言うと、彼女は礼儀正しく挨拶を始める。
「翠蓮様、私は貴妃である梅蘭(ばいらん)様の侍女・明々と申します。以後、お見知りおきを」
貴妃というと、私と同じ四夫人の筆頭。四夫人の中でも一番早く陛下にお仕えした最古参の妃ね。
「それは、知らずに失礼しました。新参者にも関わらず、いまだに梅蘭様にはご挨拶もできずに申し訳ございません」
こちらもしっかり礼儀をもって接すると、向こうはまさか侍女である自分にまで、ここまで丁寧に対応してくれるのかと驚くような表情を見せる。私の評判は悪いからなぁ。敵国のスパイとか殺人を呼ぶ女とか言われてそう。別に気にしていないけど、むやみに敵を作るのは避けたい。それも相手は大物だ。梅蘭様は、帝国建国の功臣の子孫で、その一族は帝国内に大きな力を持つと言われている。陛下とも古くからの付き合いだとか。敵か味方かはわからないけど、なるべくなら敵には回したくない人だ。
「お待たせして申し訳ありません。何かあったのですか?」
私がそう聞くと、明々は大きく頭を横に振る。
「いえ、少しもお待ちしておりません。実は、梅蘭様が翠蓮様とお話がしたいということで……一緒にお茶でも飲まないかと」
これは本当に単純なお茶会のお誘い? それとも何か裏があるの?
罠じゃないかと少しだけ不安になりながらも立場的には、断ることもできない。
「もちろんです。今日、お伺いしてもよろしいのでしょうか」
私が快諾してくれたように思ったのだろう。使者は明らかに顔をほころばせて喜んだ。そんなに警戒されていたのかなと少しだけ悲しくなりつつも、まあ自分の置かれた立場を思えば当たり前だろうと考え直す。それも一番新参者の妃である私がこうも、皇帝陛下の朝食を一緒にしていることを考えれば……嫉妬されてもおかしくない。いや、普通の妃なら夜に会うのが普通だけど、陛下は変わっているから……そういえば、妃たちのもとに陛下は通い続けているのだろうか。あまりそんな様子は見受けられないけど。
「ええ、ぜひとも。それでは昼食後にお越しください」
ぺこりと頭を下げて、大役を終えた彼女は安心したように戻っていった。
何を話したいのか、こちらは少しだけ気分が重くなる。今までの様子なら、嫌味や悪口を言われるはずだけど。そもそも、挨拶も遅くなったこちらの方にも問題はある。しびれを切らして、向こうから誘いに来たと考えるべきだろうか。なにか、贈り物をする必要があるのかしら。いくつか、美術品を持ってきたから、それをプレゼントするとかは……でも、趣味に合わないものだったらどうしよう。それは、それで問題になってしまうだろう。
こういうのは、政治以上にめんどくさいわね。なら、消耗品にしよう。たしか、芽衣が安眠効果のある薬草茶を作ってくれたから、それをもっていけばいい。薬の効果があるから、味が合わなくても、喜んでもらえる。ストレスが多い後宮だから、リラックス効果があるお茶は安定のお土産になるはず。
「芽衣、あなたに作ってもらった女無天(ミント)のお茶をお土産に持って行こうと思うんだけど、いいかな?」
侍女はいつものようにぱあっと笑顔になり、「光栄です。この前、翡翠宮の裏庭に畑を作ることを許可してもらったので、どんどん女無天(ミント)作りますね」とやる気に満ちている。そういえば、大長秋様が芽衣のたぐいまれなる医術の知識を称賛して、特別に医療用の薬草畑を作ることを許可してくれたそうだ。まだ、女が医者をやることに偏見もあるのに、それが認められたことで、彼女はやる気を高ぶらせていた。
女無天は、西洋の呼び方を、西月国で無理やり漢字表記に改めただけだ。東洋の島国ではハッカと呼ばれている一般的な薬草。
「女無天(ミント)はですね、すごい薬草なんですよ。どんな土壌でも育てやすいし、感想だけに注意していればいいんです。まあ、水が貴重な西月国では、オアシスの近くでしか育てられませんが。だから、こっちに来て、畑でたくさん作れるのが夢みたいです」
「女無天(ミント)は、どんな効果があるの?」
「有名なところで言うと、歯を強化してくれますし、その病気を防いでくれますね。さらに、他の食べ物と一緒に食べると胃もたれを防いだり、食中毒なども防止できるそうですね。それに、緊張感が緩和される効果もありますね。お茶で飲んでも美味しいですし、少し水差しに入れておいて、すっきりとした女無天(ミント)水も美味しいですね。私の場合は、お肉を焼くときに味付けでも使ったりしました」
さすがは、スラスラ出るわね。でも、これならお土産として間違いない。
「ありがとう」
「翠蓮様に渡したのは、後宮の外から取り寄せたものですけど、自家製の女無天(ミント)も収穫したら、食べてくださいね」
ルンルンになりながら、彼女は畑の様子を見に行った。彼女は、あの人懐っこい性格と健康相談に対する的確なアドバイスでいつのまにか同僚からも信頼を勝ち取っているらしい。あの子は、ああ見えて非常に賢い。私と一緒に漢語を学んでいる時も上達が早かった。漢人の女官たちとも、普通におしゃべりして、一緒にお菓子を食べているのもよく見る。
「じゃあ、行ってくるわね。桜花、悪いけど一緒についてきて」
指名された彼女は少しだけビックリした。
「芽衣さんのほうがいいのでは?」
「いいえ、あなたが一番よ。私や芽衣では、こちらの文化に対応できないかもしれないし、そもそも、翡翠宮では、あなたが侍女頭でしょ。あなたじゃない人を連れて行ったら、向こうに非礼になってしまうかもしれない」
その話を聞いて、「そうでしたね」とうなずいてくれた。
「それに、あなたのことをよく知りたいのよ。あなたは、陰ながら私のことを支えてくれている人だもの。感謝している。あなたにとっては、元敵国の姫のお世話をすることになって、大変な思いをしているはずなのに、そんなことはおくびにも出さないで、よくしてくれている」
彼女は「恐縮です」と言って震えながら頭を下げてくれる。彼女は少しだけ嬉しそうにはにかんでいた。
「あまり、湿っぽいことを言うのもよくないわね。さあ、昼食前に準備を済ませてしまいましょう。遅れたら、向こうの迷惑になってしまうし」
こんなことでもなければ、滅多にしない化粧をすることになる。ついでに、お土産の女無天(ミント)茶もかわいい布を見つけて包んだりして。桜花はやはり慣れているのだろう。てきぱきと仕事をこなしていく。彼女の優秀な処理能力に感嘆しながら、私は他の女官たちが楽しそうに、私の顔を化粧道具でいじるままになっていた。