第23話
朝起きた。さすがに、昨日の緊張もあってか、身体が重い。でも、毒とかは仕掛けられなかったようで、一安心だ。傍らには、寝ずに看病をしてくれた芽衣が安心したように笑っていた。
「ずっと起きてくれていたの?」
私が身体を起こして問いかけると、優しくうなずいた。
「もちろんです。翠蓮様に何か起きたときは、すぐに動けるようにいろいろ薬草の準備などをしていたんですよ」
「過保護ね」
「寝ていて主の危機に気づかなかったらどうするんですか。まだ、恩は返せていませんよ」
「恩を返すとかは……そんなことを言われると寂しいわ」
いろんなことがあって、少しだけ自分の心に余裕がなくなったのかもしれない。自分でも、少しだけ子供っぽいことを言ってしまったと恥ずかしくなる。芽衣のことは侍女じゃなくて、妹のようにも思っていたから……思わず本音が漏れてしまった。
「わかっていますよ、でも、私にとっては、翠蓮様は実の姉よりも深い関係で、そして、尊敬できる主なのですよ」
「ありがとう」
嬉しくて思わずむずがゆいほどの恥ずかしさも覚えてしまう。
「翠蓮様、皇帝陛下が朝食を一緒に食べたいとお申し出が……体調は大丈夫ですか」
やはり、しっかり謝罪する場を設けるつもりね、あの人は。私の方に過失もあったのだし、そんなに責任を背負い込まなくてもいいのにと思う。責任感の塊のような皇帝ね。だからこそのあの冷徹な態度を見せるのかもしれない。
「ええ、大丈夫よ。早く準備をしないとね」
昨日の件は、皇帝陛下がいなければ、大変なことになっていたはず。きちんとお礼を言いたいし、謝りたい。身体を動かすと、先ほどまで感じていたダルさはどこかに行ってしまった。頭の中で、陛下と何をしゃべろうか考えていく。
そんな私に芽衣は笑い始めた。
私、何か変なことしたかしらと不安になって「どうしたの?」と聞くと、彼女は若い少女の頃に戻ったように、少しだけからかいの意味も込めて、私に言うのだった。
「翠蓮様、すごくうれしそう?」と。
※
あんなに最悪の出会いをしたにもかかわらず、私たちはいつの間にか共犯関係になってしまっていた。敵の敵は味方という状況に流されてしまった。その説明が一番しっくりくると思うんだけど、どこかで自分が言い訳しているようにも思えた。
そんな矛盾を抱えながら、私と陛下の朝食は進んでいく。
皇帝陛下に貸しをひとつ。後から考えれば、とんでもない無礼を働いていたことに気づく。だって、陛下と対等な関係を求めてしまっていることになるから。でも、陛下は笑ってそれを許し、受け入れてくれた。そして、楽しそうに朝食を一緒にしてくれている。
そうだ、大事なことを言い忘れていたことに気づく。
「陛下、遅くなりましたが、昨日は助けていただき本当にありがとうございました」
謝罪は伝えても、感謝を言い忘れていた。今日の自分はなぜか、思考が変だ。
「ああ、そうだったな。無事でよかった」
陛下は見たこともないくらい朗らかに笑った。本当に良かったと思ってくれているんだろう。それがわかりやすく伝わる。
「陛下は、弓が得意なのですか」
「ああ、昔からこれだけは誰にも負けなかった。私は皇帝よりも猟師などのほうが向いているのかもしれない」
たしかに、あんなに大きな弓を操ることができる人は、初めて見た。戦士の国である西月国でもだ。あんな大きな弓を自由自在に使いこなすことができるということは、長い鍛錬と豊かな才能を持っていることを意味する。それも、外での射撃で、風などの影響を受ける中での長距離射撃。あながち忖度などで部下たちがもち上げているわけではないだろう。
「助けられたから言うのではありませんが、あの環境であの距離から正確無比に狙いを撃ち抜けるなんて、達人芸としか」
「本来なら頭を狙うべきだったのだろうが、あわよくば捕らえて情報を聞き出そうとしたんだ。あの傷で逃げおおせるとは思いもしなかった」
陛下もあの切迫した状態で、やはり情報を欲していたのね。ある意味、私たちの目的は一緒だった。だからこそ、あの女暗殺者を逃がしてしまったわけになるが。
お互いに朝食を食べ終えて、いつの間にか政治の話になっていた。
「翠蓮、そなたなら後宮の出費を減らすためにどうする?」
いきなり、ストレートな話になってしまった。
「なるほど、難しいですね」
この後宮は、皇帝の世継ぎを確保するために、徐々に肥大化しつつあるらしい。実際、後継者がいない皇帝は、継子の問題で分裂し内戦が発生する危険もある。実子がなかなか生まれなかったために、親族を後継者に据えたら、実子が生まれ、骨肉の親族争いが発生し数百年の争いの時代に突入した事例が東の海を越えた先にある島国で実際に起きたらしい。それほど、皇帝権の安定的な継承は国家の安定に必要なことだ。
その解決策として、この後宮制度がある。しかし、その場所から国が腐敗する可能性も高い。有力な妃と結びついた宦官の増長、妃の親族による政治への介入、そして、それらに群がるように賄賂などが横行する。
だから、後宮の規模や力は常に監視を続けなくてはいけない。皇帝が肉欲や豪華な生活に溺れて、国政をないがしろにすればすぐに腐敗は始まっていく。陛下のような哲学者のような統治者でもなければ、そちらに傾くことが普通ともいえる。
「陛下は、後宮が徐々に暴走していくとお考えなのですか?」
「すくなくとも、今の後宮が暴走していないとは言えないだろう。我が意思に従順なら、皇帝暗殺未遂も反対派が潜り込み正一品の妃を拉致しようなどとは思うまい。これを放置すれば、この国は崩壊する」
先代の皇帝は、武闘派で戦争の指揮は天下一品のうまさだった一方で、英雄色を好むの言葉通りに、後宮を拡張させ続けてきた。おかげで、各地方の有力者の娘や親族を見境なく後宮に入れて、情勢をより複雑化させた。妃同士の対立は、実家の衰勢のための代理戦争の要素を含み、次期後継者を生むことに骨肉の争いが起きた。妊娠したと噂された妃に、毒を飲ませて流産させたということまで起きたといううわさも聞いたことがある、司馬から。そこまではいかなくても、皇帝に少しでも関心を持ってもらうことが自分の運命を決めると考えている妃たちは、少しでも目立つためにどんどん華美な生活を求めるようになり、それも支える人員を増えていくことで、財政を圧迫する寸前まで肥大化してしまっている。
「それでは、やはり人員整理や妃の数を減らすことにしなくてはいけませんね」
その伏魔殿のような後宮を継承したことで、事態は複雑化している。
やはり、後宮の力を削ぐためには、人員を減らすというのが一番簡単だ。唐代の『長恨歌』の時代は、後宮三千人と呼ばれていたそうだが、今ではその3倍以上の1万人がここで働き過ごしている。
「だが、有力者の娘を後宮から追放すれば、逆恨みされて国が乱れる可能性もある。かといって、身分が低いものを追放してしまえば、生活が成り立たなくなる可能性もある」
どちらも難しい問題だ。特に、下級の女官は文字が読めない者も少なくない。ここでしか生きられない女性を外に放り出してしまえば、「死ね」と言っているに等しい。
「そうですね、まずは下級女官の教育の機会を作ったらどうでしょうか」
「ふむ」
「彼女たちはここでしか生きられない者も多いのが現実です。ですが、文字や簡単な計算ができるようになるだけで仕事の幅は広がります。この後宮をある意味で受け皿にしてはいかがですか」
こうすることで、もうひとつ利点がある。
「なるほどな。そうすることで、女官たちが外で働く口も見つかるようになり、なおかつ人員がそこにとどまらないことで、腐敗も防止できるとな」
「さすがです。はい、人が同じ場所に長くとどまることで、効率もよくなりますが、業務の隙がわかるようにもなってしまう。人員が流動的になれば、不正は行うことが難しくなります」
「まだ、案はあるか?」
こちらが何を考えているのか、わかったように話せ、話せと目で促してくる。
「東の島国の皇室では、後宮に宦官はいないと聞きました。女官たちに専門教育を行うことで、それを補っているとか。現在、多くの宦官を抱えていますが、女官たちに置き換えていくことである程度の人数を削減できるのではありませんか。私の侍女である芽衣も、女性ですが、長く修練したことで男性の医官よりも医術に詳しいのです。女官の中にも意外な才能をもつ人間はいるでしょう。そうすれば、陛下にも利があると思います」
「ふむ、それは最初の案と組み合わせるということか。だが、それではやはり辞めていく者を放り出すことになってしまう」
「そこで、自ら辞めたいものを募集してはいかがでしょうか」
「まさか⁉ 自分から食い扶持を捨てて辞めようとする者がいるわけが……いや、そなたには何か案があるのだろう。言ってみろ」
「はい、数年分の給金を一括で出すと言えば、応じてくれるものも出てくるはずです。今回の2つの事件で、ここから出たいと考える者も増えてくるでしょう。だからこそ、自分の人生を再建できる手助けをすることで、外に出たい者の背中を押すのです」
女官の教育をしっかり行った上で、この制度を導入すれば、無理をしないで後宮の規模を縮小できるだろう。一時的に後宮の出費は上がるものの、今では入ってから死ぬまでここにいる人間が多いのが実情だ。数十年払い続けなくてはいけなくなる給金は最終的に減らすことができる。
「長期的な視点に立った改革案だ」
陛下はそうまとめてくれた。
「このような大規模の組織を急激に変えてしまえば、間違いなく組織が崩壊するでしょう。ゆっくりと無理をせずに削ることで、反発や反動も抑えられると考えます」
「検討に値する考えだな。また、なにかあったら相談させてもらおう」
こうして、私たちの政治談議は終わった。陛下は有意義な時間だったと言ってくれた。