第22話
―皇帝視点―
早朝の執務を終えて、朝食に向かう。さすがに、昨夜の事件もあってか疲れたな。そして、明け方、もう一人の調査部の宦官が死亡しているのが発見された。どうやら、そいつが不正を行っていた宦官のようだ。つまり、親玉が特定されないように口を封じられたということか。また、首が切られていた。この前の殺人事件と同じように。
陰謀はまだ終わっていない。さらに、まだ隠れているかもしれない裏切り者たちへの無言の圧力のようなものだろう。裏切れば、お前たちもこの宦官と同じように処分されるぞ、と。
まさか、自分の庭でここまで他人に自由にされてしまうとは。皇帝として、失格かもしれないな。いや、伏魔殿の後宮らしいと言えば、後宮らしいな。まさに、陰謀と嫉妬が渦巻く魔窟だ、ここは。
翠蓮は、すでに待っていた。私が部屋に入ると、丁寧に頭を下げる。うむ、顔色は良さそうだな。どうやら、毒などは盛られていなかったようだ。よかった。過失はあるものの、彼女を守り切るという最低限の義務は果たすことができたわけだ。
「体調は大丈夫か?」
めんどうな挨拶は、彼女には不要だとばかりに、いきなり本題に入る。
「はい、おかげさまで……この度は申し訳ございませんでした。私は情報を聞き出そうとするあまり、過剰な挑発をしてしまいました。あげくに、油断して虜囚寸前になるとは。恥ずべき愚行をしてしまいました」
翠蓮は、頭を深々と下げた。プライドが高いはずの有能な女が、まさかここまで真摯に謝ってくれるとはな。むしろ、普通なら護衛をつけていたはずなのに、その護衛が意味をなさなかったこちらにこそ、責められるべきだろうに。
その過失を認めずに、形式的には恥をかかせないように、こちらの顔を立ててくれているのかもしれない。たしかに、政治家として優秀な彼女のことだ。ここまでの配慮は、当たり前なのだろう。周辺に人が多すぎるのも問題だな。これでは、腹を割って、翠蓮と話すことができない。
そう思った瞬間、思わず冷笑がこぼれてしまう。まさか、自分が大長秋や身内以外と腹を割って話したいと思うことになるとは。何とも不思議なことだ。
「翠蓮と内密に話したいことがある。人払いをしてくれ」
その命令に従って、女官と宦官たちはすぐに別室に退散する。
二人きりになったので、翠蓮の顔をよく見ると、やや上気していた。
「どうした、まさかどこか痛いのか? いや、それとも熱があるのか?」
こちらが心配すると、「いえ、そんなことはありません。どうぞ、お話を‼」と慌てて否定されてしまった。
「うむ、まずは昨夜のことはすまなかった。こちらも護衛が役立たずでは、仕事を依頼した立場として問題があったと言わざるを得ないだろう」
「いえ、さきほども申し上げた通り、私が追求しすぎたのです。自分の身が政治の道具に使われる危険性をもっと考慮するべきでした」
彼女ほどの能力が高い人間ならそう反省するのか。こういう性格だからこそ、ここまで自分の才能を伸ばせたのだろうな。異性というよりも、人間として賞賛してしまう。
私よりも皇帝にふさわしい人間は、彼女なのじゃないだろうか。自分の無力さと能力の限界を見せつけられているような気がする。
「そうか。だが、今回の件で不正宦官も焙り出せたわけだ」
「えっ? まだ、そちらは誰かわかっていないのでは?」
「まだ発表されていないのだが、今朝がたそいつの遺体が見つかったよ。その宦官の私室には、給料では賄いきれないはずの金銀が隠されていた。簡単に動かせる量でもないし、暗殺未遂などで使われた毒物や睡眠薬も見つかっている」
「その宦官の役職は?」
「典事だ」
典事とは、数人の宦官をまとめる宦官の中では数人の集団のまとめ役だ。偉くないわけではないが、特筆するべき人間ではない。
「では、やはり他に黒幕はいるのですね」
「だろうな」
いくら優秀な人間でも、そんな下級の宦官ではこんな大きなことはできない。そもそも、最初の資金を用意することはできないだろう。あくまで組織の協力者か失っても最終的には困らない便利な使い捨ての下っ端。おそらく、用済みとされて処刑されたのだろう。まさか、複数人の暗殺者がここに紛れ込んでいるとは。
「ですが、彼らは2人の有力な駒を失った。監視も強まるだろうし、しばらくは目に見えた動きはできなくなるでしょう」
やはり、翠蓮も同じ結論に達したな。それだけで、自分の考えが補強される。
便利な下っ端とバカな妃だが、二人とも後宮においては重要な場所に配置されていた。
後宮にどんなものでも持ち込ませることができる男。王と面会もでき、他の妃たちと接触して情報を聞き出せる女。他にも代用できる人間なのだろうが、以前よりは動きが鈍くなるし、もしかすればミスが多くなるかもしれない。向こうにリスクを背負わせることができる。
「翠蓮、2件も事件を解決してくれたことに何か例をしたい。欲しいものなどはないのか?」
普通の女なら服や化粧品、宝石など次々と出てくるものなのだが……きっと、この女は何か面白いことを言うのだろう。
「私は、普通の人が欲しいと思うものにあまり興味がないので。お言葉だけで……」
やはりな、面白い女だよ、本当に。
「しかしな、それではこちらの気が済まない」
「では、貸しということにしてはいただけませんか。いつか、私が求める時に返してください」
「ほう、皇帝である私が借りを作らなくてはいけなくなるとは」
こんな女は、きっと翠蓮くらいだろう。実に面白い。普通なら不敬だが、彼女はここまでに見せてきた器量がある。不問に付せなくてはいけないだろうな。
大長秋の言葉を思い出した。翠蓮なら自分と同じ目線に立つことができる稀有な人間だとな。やはり、あいつの人物観察眼は間違いがないようだ。
この貸し借りが成立すれば、まさに自分でそれを認めたことになるだろう。
「そうだな、わかったよ」
これで、私は絶対的な皇帝ではなくなった。翠蓮は嬉しそうに笑い、そして感謝の意を示すように頭を下げた。
ここまで砕けた会話をするのは、死んだ弟と最後に会った時以来だ。