第21話
―とある宦官視点―
どうすればいいんだ。あの女による紅の暗殺は成功した。彼にすべてをなすりつけて、俺は無罪放免となり、今後も工作に専念する。そういう筋書きだったんだ。だが、あの西月国の女のせいで、その工作は全部、露呈してしまった。このままでは、私が裏切り者だということがバレてしまう。
調査は今後進展してくだろう。俺は徐々に狭まっていく包囲網の中にいる。いつ捕まるかもわからない恐怖におびえながら仕事を続けなくてはいけない。仮に、逃亡しようとしても、今の状況では監視の目が強まっている。誰か協力者でもいなければ、逃げることもままならないだろうな。
どちらにしろ、いつかは捕まる運命だということ。だが、自殺する勇気もなければ、覚悟もない。あいつらは国家のためとか大きなことを言っていたが、俺にはただのお題目だ。稼ぎが良かったんだよ。だから、不正を働いて協力した。その金で、バカな妃たちに取り入り、今後生まれるだろう皇嗣の教育係にでもなって、今の大長秋のような存在になって、国政を思うままにすることができる。それが俺の夢だった。
今ではなんとバカな夢を見たのだろうと、後悔しか残っていなかった。怖い、誰か助けてくれよ。
「あら、やっぱりここにいたんだ」
女の声が聞こえた。振り返ると先ほど、逃亡したはずの暗殺者がそこにいた。
「来てくれたのか!」
彼女の顔を見て泣きそうになってしまった。これなら生きて逃げ出すことができるかもしれない。ここにいるということは、どこかに秘密の出入り口があるんだろう。そして、彼女は俺を底から逃がしてくれるということだ。
「ええ、もちろん。あなたを救わないとね」
「そうだよな、そうだよな」
俺は特別なんだよ、やっぱり。だって、後宮への浸透工作で俺ほど活躍した人間はいなかったもんな。報われなくちゃいけないもんな。
「だから、わざわざ戻ってきたのよ。さあ、行きましょう。逃げ道はこっちよ」
俺は促されるまま、彼女の前に立ち、急ぐ。だが……
左わき腹が急に熱くなった。その後で猛烈な痛みに襲われる。恐る恐る痛みの方向を見ると、鋭利なナイフが突き刺さっていた。後ろを振り返ると、彼女は愉快そうに笑っている。
「な、なんで……」
自分でも情けないくらいのすがるような声だった。
「だって、このままじゃあなた捕まっちゃうじゃない。それに工作はうまくいったもの。だから、あなたはもう用済み。わかるでしょ。このままでは、いつか私たちの正体までばれてしまう。あなたから情報が漏洩する危険性が高いのなら、仕方ないでしょう」
冷徹な声だ。完全に仕事の顔になっていた。
「いやだ、助けてくれよ。金ならいくらでも払うから」
「そんな怖がることはないわ。言ったでしょ。あなたを助けてあげるってね。西洋の人たちは、こう言っているらしいわよ。死は救済だって。こんなろくでもない世界より、死んで何も感じない世界のほうが幸せなんですって。面白いことを言うわよね」
自分の運命が決定し、心が凍り付いた。胸が苦しくなる。身体がとても重くなり、流血で身体が軽くなっているはずなのに、全身にしびれを覚えた。目もちかちかする。
「今までご苦労様でした。あなたのおかげで、私たちはまだ戦えます。あなたは、英雄ですね。歴史に名前は残らないけど」
とどめを刺すつもりなのだろう。ナイフが首に突き付けられる。
「だいたい、お前はどうするんだ。このままじゃ逃げられないだろう」
「そうね、でも、私は逃げるつもりはないのよ。だって、この顔は偽物だもの」
彼女は柔らかい素材でできた顔のカバーをゆっくりとはがしていった。彼女の本当の顔が明らかになっていく。まさか、俺たちに見せていた顔は偽物で……
「うそだろ」
「知ってる? 暗殺者は本当の顔を教えないの。そして、暗殺者の本当の顔を知っているのは、殺された人間だけ。涅槃でごゆっくりしてください、さようなら」
首に激痛が走ると、あとは意識が急速に失われていく。自分の血だまりに身体ごと倒れたのが、私にとっての最後の感覚だった。
「自分の実力を勘違いした野心家の末路には、ありきたりだったかもね」
しかし、皇帝と大長秋を中心に監視すればいいと思っていたのに、まさか、西月国の女帝が本物なんて思わなかった。私たちの工作を2度も看過し、皇帝との協力関係を強めていくなんてね。
今回の2つの事件。あのバカな妃をだまして駒にして、いろいろとやらせた。皇帝の食器に毒を混ぜたり、西月国のふたりに無罪の罪を被せて、2国間の関係にひびを入れて、また戦乱の時代に戻そうとしたり。バカなあの女は、嫉妬を煽ればすぐに行動してくれたから楽だったのに。バカなのに身分だけは高いから、扱いやすくて使いやすかったのになぁ。
あの暗殺未遂事件は、皇帝の命を奪うこともしくは翠蓮たちのえん罪を成立させること、どちらかが成立すればよかった。まさか、どちらも失敗するとは。
おかげさまで、捜査の目がこちらに向く可能性があったから、今度は捜査責任者を暗殺し、彼に罪をなすりつける計画だった。でも、ここでも翠蓮に邪魔された。おかげさまで使いやすかった駒をもう一人失った。
本当にあの女はムカつく。どこまで、私たちを邪魔すればいいのよ。
しばらくは、身を隠さなくてはいけないわね。駒を補充して、次の作戦に備える。大丈夫、これで翠蓮たちにも注意しなくてはいけないことが分かったのだから。
次はこうはいかないわよ。
最底辺を生きてきた私は、力だけでここまで成り上がった。力がすべての時代じゃなければ、ここまで人間のような生活を送れなかっただろう。だから、皇帝が目指す平和な世界は、私の存在自体を否定する最悪の世界だ。
私はそんな地獄を生きるために、ここまで生きてきたわけじゃない。あの子を殺してまで、生きてきた私の生きる意味を否定されるわけにはいかない。だから……あのお方のためにも、私は自分の人生を生き続けなくちゃいけないんだ。
ここからが本当の勝負よ、翠蓮‼