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第10話

―芽衣視点―


「もう、無茶をし過ぎよ。あなたがいなくなったら、私はこの伏魔殿で一人になっちゃうんだからね」

 翠蓮様は、私にそう語りかけた。本当に優しい。

 毒を判断するために、それを飲んだ私は胃を洗浄されて、医官室の寝台に寝かされている。数日は絶対安静と言われてしまった。


「申し訳ございません。翠蓮様」

「でも、本当にありがとう。あなたのおかげで、私たちの疑いは晴れたわ」


「それで真犯人は……」


「やはり、昭儀だったみたい。荷物から残っていた水仙の粉末などが見つかったわ。私に嫌がらせするために、あわよくば自分に成り代わるつもりだったとか」


「あの、罰とかは?」


「もちろん、厳罰よ。彼女は、毒薬を自ら飲まさせられて自殺させられるみたい。彼女の命令で動いていた女官たちもみんな処罰された。実家も反乱の疑いで取り潰し」

 後宮に来て、いきなり大変なことに巻き込まれちゃったな。でも、よかった。翠蓮様を守ることができたのだから。こんなことで、彼女に対する恩を返せたわけじゃないけど、それでも役に立つことができた。


 こういう政治の場は苦手だ。どうして、自分の身を捨ててまで、嫉妬に狂い、それでもなお高い位置を目指すのか。


 その高い位置にたどり着いても、翠蓮様ほどの願望もなければ思いもないはずなのに。


「あなたの好きなお菓子を持ってきたわ。ここに置いておくから、食べられるようになったら食べてね」


「はい、ありがとうございます。明日には、動けるようになりますので、もうしばらくお待ちください」

 私がそう言うと、「早く元気になってね」と言われた。

 先ほど飲んだ薬の影響か、こちらがウトウトしてしまう。


「じゃあ、私は戻るわ」


「はい」

 かろうじて、そう返して、私は眠りに落ちた。


 ※


 夢を見た。父が亡くなったときの夢だ。私は、たしか6歳くらい。

 住んでいた村を戦争で焼かれた。医官だった父は、私を守るために、敵の毒矢で負傷し、村人や兵士を助けるために、最後の力を振り絞って、指示を続けて、力尽きた。


 私はそんな父を後ろで見ていることしかできなかった。泣きながら「ごめんなさい」と言い続けて、冷たくなる父を見守ることしかできなかった。


 最後は族長様率いる兵が、敵を倒してくれた。親を失った私を、歳が近いからという理由で翠蓮様お付きの侍女になった。さらに、族長様と翠蓮様は、私に父の志を継ぐことまで許してくれた。女が医者になるなんて、普通はありえないことなのに。


 私は村を焼かれて助かったもう一人の弟共に、族長様や翠蓮様にも助けられて、頑張ってきた。弟は一人前の兵士となって、つい数か月前に結婚もした。もう、私がいなくても大丈夫。


 だから、私はついてきたんだ。


 一緒についてきたら、二度と帰れないことも、弟にも会えないとわかっていても。


 翠蓮様は、優しい人だ。優秀な人でもある。彼女は、いつも夜遅くまでいろんな本を読んで勉強していた。族長様に認められたのも、翠蓮様が努力したからだよ。なのに、こんな追放するみたいな仕打ち。


 許せるわけがない⁉


 できる限り、私は能天気になろうとしていた。そうすれば、翠蓮様が私に負い目を感じる必要もないし、彼女の心が軽くなるはずだと信じていたから。


 あの毒をあえて飲んだのも、周囲の何も知らない人たちが翠蓮様をこれ以上、バカにすることに我慢できなくなったから。


 そして、翠蓮様に守られているだけの自分が嫌だったから。

 ここに来るときに、自分に誓ったのに。

「恩を返すためにも、私が翠蓮様を守る」

 そう誓ったのに、拷問が怖くて、震えていることしかできなかった自分が嫌になった。


 私はもっと強くなりたい。だから、もっと勉強しないとダメだ。翠蓮様は、こんな場所で腐る人じゃない。どんな場所でも輝いてしまう魅力を持った人。


 どうして、みんなわからないんだろう。たぶん、彼女のことをよく知らないからだ。


 翠蓮様のすごさを知っている人は私だけ。それだけで、皆よりも自分が優位になったと感じる。


 幸せな気分で目が覚めた。体調もすこぶる良い。翠蓮様がさきほどまでいた場所に視線を移す。美味しそうなお菓子がたくさんおかれている。それだけで、自分は主に大切にされているのが分かった。


 楽しみだな、翠蓮様が持ってきてくれたお菓子‼

 心を躍らせながら、私はゆっくりと寝台から身を起こした。


 ※


―九嬪・昭儀視点―


 私は冷たい牢獄に繋がれる。どうして、ここにいるの。私のおじいさまは、礼部尚書まで務めた大役人。お父様も礼部で出世を重ねている。なのに、どうして。


 最初は、お付きの女官の一人が提案したことをそのまま採用しただけだったのに。どこからか来る指示に従うと、お金や宝石がもらえた。最初は簡単なことだけだったのに。女官と男の密会を助けたり、皇帝陛下が会いに来る頻度を教えたりすればよかった。でも、それに加担したことをいつの間にか脅迫されるようになっていった。厳罰が怖くなった。少しずつ取り返しがつかなくなって、いつの間にか駒のように使われた。


 こんな大事になるとは思わなかった。きっと誰かに裏切られたんだ。こんな伏魔殿、早く逃げだしたい。でも、冷静に考えれば考えるほど、自分の将来に絶望する。


「どう考えても、皇帝陛下や上位の妃を暗殺しようとした犯人……」

 大丈夫よ。あの人は私を見捨てないはず。あの人の力なら、皇帝陛下に隠れて、私を逃がすことだってできる。いくら陛下と言えども、おじい様の功績は無視できない。


 お願いします。どうか、誰か助けてください。こんなはずじゃなかったんですよ。


 私はただ、国母になりたかっただけで。小さいころからずっとそうなるように言われ続けていて、「国母になれないお前に存在意義なんてない」とまで言われ続けていたから。


 私は夢をもって、後宮に入ったの。なのに、なかなか四夫人に上がれなかった。皇帝陛下のお気に入りにもなれなかった。実家の期待とプレッシャーに押しつぶされそうになったからただ、ストレスを解消したかっただけ。

 なのに、どうして。

 どうして‼


 悲痛な叫びは言葉にならずに、無言の慟哭どうこくとなって牢に響いていく。それでもなお、何もできない自分の無力感を味わうことしかできなかった。


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