翌朝。豪華な食事とそして、それを不味くする各種の儀礼の説明を受けながら、私は黙々と食事をしていた。
芽衣の薬のおかげで、旅の疲れはほとんど目立たない。やっぱり、彼女は優秀だ。
しかし、昨日の様子では、私のところに陛下がやってくる可能性は極めて低い。ただ、階級が高位なだけの元敵国の姫。正直に言えば、誰も近づきたがらないだろう。私だって、別の妃の立場になれば、そう思う。ということは、誰も訪ねてこない。知り合いもいないこの監獄のような場所で、敵か味方もわからない女官たち相手に遊んで暮らすというストレスしかたまらない状態を今後何年も続けていかなくてはいけなくなる。はっきり言えば苦痛。
なので、できる限り本の世界に没頭するつもり。そうすれば、煩わしい思いもしなくて済むし、必要最低限に公務をこなせばいい。むしろ、仕事がある日のほうが、良い気分転換になることは間違いない。
「それじゃあ、案内よろしくね」
私が嬉しそうに言うと、味方のはずの芽衣ですら、若干怖気づいてしまっていた。
「大丈夫、私だけが中に入るから。皆は近くで遊んでいて」
「そんなわけにはいきません。翠蓮様をお一人にするわけには‼」
「なら、すぐに戻るから誰も入らないようにしておいて。そうすれば、安心でしょう」
「ですが……」
「そっか、そういうことか。そっちも安心して。死のうと思っているなら、国を出る前にしているから」
女官たちの顔が引きつっていった。かまうものか。この立場を利用して、私は自由に生きてみたい。かごの中の鳥という立場で最大限の自由が欲しい。それがここでの私の生きる道になるはずだから。
※
広い図書館には本当に誰もいなかった。暗くて少しカビの香りがする。でも、蔵書たちは誰かに読まれるために、静かに眠っていた。誰もいないと確認してから、入口を閉じた。
「落ち着くわね。意外と私は一人が好きなのかもしれない」
そう独り言をつぶやきながら、蔵書を確認していく。
四書五経とその解説本。老荘思想をはじめとする古代哲学。民衆の間で話題となって水滸伝や紅楼夢などの小説。そして、史記や漢書を中心とした先々代の王朝までの公式歴史書。これだけあれば、永遠に本の世界で過ごせそうね。
しかし、歴史書の本棚で冷たい空気を感じる。まるで、そこには異質な世界があるように思えるほどの威圧感。
「誰かいるの?」
思わずそう問いかけると、「それは問いかけとしては間違っているよ。だって、僕の方が先にここにいたんだからね」となぜか理屈っぽい少年のような声が返ってきた。思わず噂の幽霊かと思っていた私は、声の主が人間であることに安心し脱力する。
本棚の後ろには15歳くらいの青白く白髪の少年が顔をのぞかせた。いや、少年のわけがない。ここは皇族以外、男子禁制の場所。現在、ここに足を踏み入れることが許されている男性は、皇帝陛下のみ。
こんなに美しい宦官がいるんだ。見とれてしまい思わず声を失った。
「なんだ、噂の元敵国の姫様じゃないか。ここは僕の隠れ家だよ。悪いけど、出て行ってくれないかな」
その言い方はひどい。そもそも、曲がりなりにも、私は皇帝の妃だ。どんな大宦官といえども、最低限の礼儀は必要だろう。
「そう、怒るな、敵国の姫君。私は、皇太后陛下のお世話をさせていただいている司馬桂という宦官だよ。歴史が好き過ぎるあまり、禁書を読んでしまい宦官の身に落とされた、バカな男だ。そして、歴史の真実を知った。だから、礼を失した態度で処刑されても、もう思い残すことはない」
おそろしいほど達観している口ぶりだ。おもしろい人を見つけた。直感がそう語った。国家運営なんて、要はどれだけおもしろい人材を周囲に集められるかだ。こんな人見たこともない。そういう人が周囲にいたほうが、より選択肢が広がる。すでに、砂漠の女帝を引退しているはずの自分がそれすら忘れてしまうくらいの面白い人間。
「ねぇ、あなた‼ 私と友達になってよ」
「はぁ⁉」
こちらの反応に面食らったように素っ頓きょうな声が返ってくる。
私は興奮して、彼に近づくと、なぜか床に積みあがっていた本に足を取られてバランスを崩してしまう。
「なにやっているんだ」
あきれながらも、司馬は私の身体を支えてくれた。