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第3話

 場も騒然となる。記録係の女中や宦官しかいない場所でも、妃を愛するつもりはないというのは暴言だ。なぜなら、この後宮では皇帝の世継ぎを生むことが何よりも優先されるのだから。


「それは、つまり、私に女としての利用価値はないということでしょうか」

 下を向きながら、そう返すと、皇帝陛下は短く「ああ、そうだ。少なくとも、皇室に元敵国の血を入れるのは危険だからな」と返してきた。ただの政略結婚の相手としか考えていない。相応の地位にとどめておくが、実質的にはただの人質。それ以外の価値はないとはっきり宣言された。


 思わず、笑いがもれてしまった。自分でもこの場で笑いだすなんて、思いもしなかった。でも、おかしい。私は何を期待していたんだろう。バカみたいじゃない。そうよ、これでいいのよ。ある意味で、自分に自信を取り戻すことができた。


「どうした、なにがおかしい?」

 陛下は、私の態度が気に食わなかったのか、少しだけ怪訝な声色をぶつけてくる。


「いえ、申し訳ございません。少し安心したもので。ご無礼をお許しください」

 やっと、彼からきちんと見てもらえた気がする。


「何を考えている?」

 考えを話せと促されたので続ける。


「陛下のお考えは、素晴らしいですわ。冷静に考えれば、当り前なのです。この身ひとつで、両国の恒久な平和が成立するならば、なんとお安いことでしょうか。私は政治の道具になりに来たのですから」

 陛下以外の人間の表情から血の気が引いていくのがわかった。この女は、どんなに無礼なのか。ここで殺されても、文句は言えないほどの放言だ。だが、勝算はあった。私を殺せば、大順国は、国際的な信用を失う。それも、皇帝自らが挑戦的な言葉を先に私に向けてきたのだから、責められるべきは目の前の陛下だ。


「よくわかった。噂通りの面白い女だな、もう下がってよい」

 私は礼儀に従って所作をした後に、命令に従った。


『なんと気が強い女だ』

『あれが砂漠の女帝か』

『皇帝陛下にすらあの態度。我々はなめられているのではないか』

 後ろから聞こえてくる宦官たちの小言は、どこか賞賛に思えた。


 ※


 私はそのまま、用意されていた翡翠ひすいの宮に入る。数人の女官たちが自己紹介し、今後自分たちがお仕えすると言っていた。おそらく、監視要員たちだろう。適当にあいさつし、旅の疲れを理由に、さっぱりとした食事を用意してもらって、すぐに眠ることにした。


 簡単な粥が用意されて運ばれてくる。毒見を通したせいか、そこまで熱くはない。

 一口食べると、海の味がした。これは、貝だろうか。内陸国で生まれた私にとっては、干した貝ですら最高級品だ。それが惜しげもなく使われている。恐ろしいほどの国力の差を感じてしまう。だからこそ、よかった。この国と和平を結び、戦う必要がなくなったのだから。民は喜ぶ。血もこれ以上、流れない。

「ねぇ、桜花いんふぁさん。この後宮に、本を読めるところはあるかしら?」

 仕えてくれる侍女の中で最もベテランらしい桜花に確認すると、「本ですか?」と不思議な顔をしていた。どうやら、他の妃たちは、あまり読書をしないらしい。


「お化けが出るから、誰も近づかない図書館はありますけど……」

「あら、お化けなんて、この怨念が詰まった後宮にどこでも出そうよ。それに、会えるなら会ってみたい」

 私の反応に少しだけ苦笑いしながら、案内してもらう約束をする。中には入らなくていいというと、安心したように笑っていた。


 これで、暇はつぶせそうね。煩わしい後宮の嫉妬問題からも距離を置くことができるだろうし、静かな図書館で本に囲まれるのも悪くない。

 なんだか、後宮生活が楽しくなってきた。


「あっ、翠蓮様。よかったらこれをどうぞ」

 芽衣から薬の粉末を渡された。


「これは?」


「長旅の疲れをいやすためのお薬です。これを飲んで眠れば、すぐに疲れが取れますよ」


「ありがとう」


 ※


―皇帝視点―


「皇帝陛下、よろしかったのですか」

 大長秋が心配そうな目をこちらに向けてくる。

「ああ、面白い女だったな。どこまでかき乱すのか。それとも、なにか隠しているのか」

「念のため、監視は強化しておりますが……」

 こいつがそう言うなら大丈夫だろう。大宦官は抜け目がない。


「構わん。たとえ、寝首をかかれるくらいなら、それが私という器の限界なのだろう」


「そのような、投げやりなことを言うのはおやめください。この国の最高権力者が突然いなくなれば、なにが起きるかわからないのです」


「ああ、気を付けるよ」


「まだ、後悔しているのですか……あの件は、致し方なかったのでは……」

「大長秋よ、あなたの忠義には感謝している。だが、それ以上、私の心の中に入り込むことは、許さない」


「これは出過ぎた真似をしました、申し訳ございません」

 古傷を指摘されて、思わず父親並みに歳が離れた側近に八つ当たりしてしまった。


 バツが悪い。逃げるようにして、その場から離れる。

 どうして、あの女一人のせいでここまで心をかき乱されなくてはいけないのか。子供のように悪態をつきながら、私は歩き始めた。


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