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第2話

 馬車が揺れている。暑い砂漠を抜けて、森が増えてきた。数週間の長い旅。これが終わってしまえば、私はかごの中の鳥になる。自由なんてものはなくなってしまう。そして、そこからいつ終わるかもわからない地獄になるだろう。

「翠蓮様、見たこともない植物や鳥がいますよ」

 侍女として唯一ついてきてくれた芽衣やーいーがはしゃいでいた。彼女の子供のような反応に救われている自分がいた。彼女は、西月国の医官の娘であり、薬草などに詳しい。そう言った経緯もあって、自ら立候補しついてきてくれた。

「そうね。もうすぐ、帝都だわ」


 道中までの地図は、頭に叩き込んでいる。植生などから考えれば、あと少しで帝都ね。帝都には、お父様と一緒に一度だけ行ったことがある。まさに、文化と経済の拠点だった。商店のほとんどはブロックで立派に作られていて、いたるところに画家や書道家たちが尊敬を集めていた。これは、すでに民の腹が満たされていることを意味している。飢餓の心配がないからこそ、多くの人たちは自分の心を満たす芸術が浸透していたということだろう。我が国が、必死にターバン隊を集めて国力を上げて民を飢えさせないようにしていたことを考えれば、天地ほどの差がある。そもそも、巨大な農業国である大順と、地形的な面からほとんど農業ができないため安定した食糧生産ができない西月国には大きなハンデがある。だからこそ、父は長年の宿敵だった大順との和平を求めていたんだ。


「うわー、すごい大きな門。あれが帝都を守る西大門ですね」

 ついに、ここまで来てしまった。私は目を閉じた。

 あの日の私にとっては、未知の象徴だった西大門が、監獄の入り口となっている。なんという皮肉だろうか。本来なら旅人の夢でもある帝都が、自分の絶望の象徴となってしまった。

 馬車はゆっくりと門の中に進み、豪華な帝都が姿を現した。


「すごい、こんな大きな街はじめてみた」

 かつての私と同じような反応が、心にしみた。

 そして、帝都の後宮に向かって進んでいく。


 ※


「これは、これは翠蓮様。お待ちしておりました。私は大長秋だいちょうしゅうを務めております白黄と申します。以後、お見知りおきを」

 60歳くらいの少し小太りで白髪の宦官かんがんが出迎えてくれた。しかし、大長秋自らお出迎えとは、正直に言ってびっくりした。だって、大長秋という役職は、後宮の大臣とも呼ばれるくらいの大宦官。宦官にもかかわらず、貴族のように扱われるほどの大物。彼を敬称で呼ぶ場合は、”卿”と呼ばなくてはいけないくらいだ。


「お出迎えありがとうございます、白黄卿」

「私はどうぞ、大長秋とでもお呼びください。昔から貴族のようには生きていないものですからね。落ち着かないのです」

 大宦官は気さくな笑みを浮かべていた。こういう大宦官は、権力欲が強く保身にばかリ考えているのが定番なはずなのに、どうも人の好さがにじみでていて、とらえようがない気がする。だけど、歴史的に見ても宦官は意思疎通に長けた人が出世しやすいと聞く。気が利かなければ、皇族の世話なんてできるわけがない。どんな野心が心の中に潜んでいるかもわからないんだから、まだ、警戒しないといけないわね。


 周囲には女官や妃たちが集まってきた。嫌らしい視線を感じる。まるで、新しい妃を値踏みしているようなそんな印象を受けた。口々に、こちらにわざと聞こえるように感想を述べていった。

『ふん、あれが新しい妃ね』

『ずいぶん、貧相な衣装ね』

『指摘しちゃかわいそうよ。だって、砂漠の遊牧民の姫よ』

『蛮族の姫だもんね』

『ええ、しょせんは元敵国の姫。もしかしたら、スパイかもしれませんよ』

『えー、こわい。近寄らないようにしないとね』

 そして、案の定ともいえる誹謗中傷が人混みからこちらに向けられる。なるべく無視しようとするが、それは容赦なく心に傷をつける。


「これ、皆の者、失礼なことを言うのではない‼」

 大宦官は、口調こそ穏やかだが、怒気が明らかに含まれている言葉で、それを注意した。


 その注意に驚いたのか、女たちは蜘蛛の子を散らすかのようにいなくなっていく。


「ありがとうございます」

 思わずお礼を言ってしまった。


「お気になさらず。陛下からも、あなたさまのことは気にかけるように言われておりますので」

 そうひょうひょうとしながら、大宦官は私たちを先導し、後宮の奥に案内する。一度、部屋に入るように促されて、そこで専属の女官たちに荷物の検査とメイクアップを受けた。この厳重な対応は、つまり皇帝陛下と面会することになるということを暗に示しており、こちらも緊張でこわばってしまう。


「それでは、まいりましょう。陛下がお待ちです」

 すべてが終わった後、後宮の最も深い場所に案内された。

 戸が開くと、豪華な部屋の奥に玉座があり、そこに一人の青年が座っている。


 この大帝国の主である皇帝陛下、その人だった。きわめて瘦せ型で、眼光が鋭い青年がこちらをにらんでいる。


「そなたが、翠蓮か?」

 威厳がある低い声。顔はまるで絵の中から出てきたかのように美しかった。思わずひれ伏す。


「はい、これからお世話になります」

 最低限の礼儀を伴った挨拶しかできなかった。


「ああ、そうだな。砂漠の女帝と呼ばれていた貴殿が、まさかこんなに若いとは思っていなかったよ」


「お戯れを」

 砂漠の女帝というのは、私を冷やかすためにつけられた蔑称のようなものだ。まさか、それが帝都にまで広まっていたとは。


「いや、戯れているわけではない。だが、そなたに言っておかなければならないことがある。顔を上げろ」

 そううながされて、政治家としての自分がでてきてしまった。こういう場では飲まれるわけにはいかない。こちらは、あえて友好的な笑みを浮かべて切り返した。


「ふん、なるほど。噂に違わない胆力がある女だ。まさか、ここで笑うとは」

 それでも、主導権を譲るつもりはないらしい。


「お話とは?」


「ああ、最初に言っておかなくてはならないと思ってな。そなたの出生等を考えれば、四夫人の賢妃として扱う」

 皇帝の妻は、いくつかの序列にわかれる。まずは皇帝の正妻として別格の皇后。だが、これは現在、誰も任命されていない。皇帝陛下には子供が生まれなかった。誰かが世継ぎを産めば、その妃が皇后になる可能性が高い。四夫人は、階級としては正一品として遇される。正一品といえば、最高位の階級である。厚遇だ。そのほかに、正二品相当の九嬪、正三品から正五品に相当する二十七世婦と続く。


 正三品は省庁の大臣である尚書が、正二品は行政のトップである宰相の官位であることからすれば、元敵国の姫である自分にとっては異例の厚遇だ。


「ありがとうございます」


「だが、私はそなたを愛するつもりはない。そなたは、しょせん政治の道具だ。そちらをよく覚えておくことだな」

 その言葉を聞いた瞬間、世界の空気が凍り付いたように錯覚した。


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